第九話
「父さんの魔法が…!」
空を翔けるレーヴェンは、目の前で起こった光景に言葉を失う。
“黒嵐禍”。父、シュトルムが扱える風魔法の極地。話には聞いていたが、実際に見た事はない。だが、父の魔力と共に現れた巨大な黒い嵐は、まさしく災禍と言われても遜色ないものであった。
……しかし。その嵐は突然消え去った。同時に父の、嵐の様に激しい魔力の気配も酷く曖昧になってしまって───
「何が起こって……父さん、無事かな」
異能の力による身体強化を用いて、更に飛行速度を上げる。
嫌な予感と不安があった。
この事件で───父が…シュトルムが。居なくなってしまうのではないかと。
「今回、【嵐帝龍】シュトルムを相手に使う魔法……それは、“封魔結界”と呼ばれる新式の魔法です」
ひと月前の、シュヴァリア帝国の会議室。ルークが告げた魔法の名に、他の騎士達は静かに傍聴する。
「“封魔結界”とは……聖属性、冥属性、空間属性の複合魔法による結界。これまでの帝龍の戦闘結果や、【焔帝龍】、【砂帝龍】の脳構造を解析し……体内の魔力を放出・魔法に変換するのを妨げる作用をもたらします」
「……ですが、それでは結界内の我々も同様の効果を受けてしまうのでは…?」
その魔法の詳細を耳にしたひとりの女性…唯一神職が身に付けるようなローブに黄色の石が取り付けられたペンダントを下げる騎士、“黄玉騎士”アリア・セインティアがそう告げた。
対してルークは眼鏡を正しながらアリアの方へと視線を移しては、その言葉に対する返答を述べる。
「ご心配なく、“黄玉騎士”アリア殿。この魔法は、龍族の脳に直接作用する仕組み。人族たる我等に害はありません」
「だが……かの【嵐帝龍】が大気中の魔力を行使した場合はどうする」
自分らに害はない、と告げたルークに対し、グリシャはそう聞いてくる。
大気中の魔力を用いられた場合、人族が扱うそれよりも強大な魔法を扱える龍相手に、勝ち目は零に等しいだろう。
「問題ありません、“金剛騎士”グリシャ殿」
それに対してもなお、ルークは余裕いっぱいの表情を崩さない。その場の全員に視線を移しながら、ルークは口を開いた。
「頭が固く…そして自分達の役割に囚われている連中は……自分以外の魔力は、何があっても使いませんから」
シュトルムは翼を羽ばたかせ、空を翔ける。
対してグリシャは絶え間なく空間属性の魔法で足場を創り、高速で飛翔するシュトルムへと距離を詰めては空間属性の魔力を剣に纏わせ、横薙ぎに振るう。
その斬撃を、【嵐帝龍】は急速に上昇して回避。そして反撃として上半身の捻りを利用して威力を高め、右前肢を力強く振り下ろし、グリシャへと爪を立てる。
……しかし、その一撃が到達する寸前、グリシャの姿が消えてしまい…渾身の一撃は空振ってしまう。
「(“空間跳躍”……後ろ!)」
背後から感じた気配に、シュトルムは急速に右方向に飛び退く。全ての防御を無視する死の刃が、シュトルムの翼の翼膜を僅かに割いた。
「どうした? 【嵐帝龍】ともあろう龍が、この程度とはな…!」
「卑劣な……!」
汗腺を持たぬ故、汗をかかないシュトルムだが…初めて冷や汗が伝う感触を抱く。
自身の魔力を上手く解放出来ない上、魔法も安定させられない。人間達は巨大な、シュトルムの知識にはない結界を張っている。
それが原因であある事は分かっているが……目の前の男が、結界の外に出ない様立ち回っている上に、空間魔法の扱いが人間にしてはあまりにも巧みだ。隙がない。
「(このままでは……押し切られる…!)」
なんとか脱出したい。しかし、グリシャの存在がそれを阻む。どうするべきかと頭を回す中───
「ギャアアアアアッ!!」
───息子の……レーヴェンの、悲痛な悲鳴が響き渡った。
思わずシュトルムは声のした方を見る。
同時に、その光景を目の当たりにして言葉を失った。
そこには、左前肢を切り落とされ、全身から血を噴き出しながら墜落する、何よりも大切な我が子……レーヴェンの姿があった。