第八話
【嵐帝龍】シュトルムが統治する森で戦いが起こる───そのひと月前。
大陸の西に広い領土を有する『シュヴァリア帝国』での出来事。
帝都の中央にある執務館、その会議室。総勢九名の鎧甲冑を身に纏った老若男女が集っていた。
九名が円卓を囲う様に椅子に着席し、その内の一人…紫の宝石の様なものが埋め込まれた鎧を身に付けた、眼鏡を掛けた金髪の長髪を揺らす男が口を開いた。
「……シュヴァリア帝国が誇る、“九聖騎士”の皆々様方。今回の会議にご参加いただき、誠にありがとうございます。つきましては、今回の議題は……」
「東の大森林を牛耳る、かの【嵐帝龍】討伐についてです」
その騎士───『ルーク・ヴァイオレット』が口にしたのは、シュヴァリア帝国の東に位置している広大な森の支配者…シュトルムの討伐についてであった。
「討伐ねぇ……【帝龍】の中でも一際強いんでしょ? ほんとに出来んの〜?」
九人の騎士の中で、翡翠らしき石を埋め込んだ鎧を身に纏う少年に見紛う体躯の騎士、『ゲイル・エメラルダ』は疑問を顕にした口調で問い掛ける。
「…たしかに、かの【焔帝龍】や【砂帝龍】とは比にならぬ強さを持つと耳に挟んでいます。討伐が可能という確固たる照明がなければ、わたくしは賛同しかねますわ」
ゲイル同様、訝しむ様に告げるは『エミリー・アズリア』。蒼玉らしき石を埋め込んだ鎧を身に付け、ルークへと【嵐帝龍】討伐を成せるという根拠を問う。
「“翡翠騎士”ゲイル殿。“蒼玉騎士”エミリー殿。無論、可能です。でなければ、そもそもこんな場は設けませんから」
ルークは眼鏡を正しながら自信を持ってそう宣言する。
一同押し黙る中、改めてルークは口を開いた。
「……今回、【嵐帝龍】含めた…対【帝龍】戦を想定した魔法の開発に成功しました。それは…………」
森のど真ん中。吹き荒れるは漆黒の大嵐。名を“黒嵐禍”という、【嵐帝龍】シュトルムのみが扱える風魔法の極地。
全てを飲み込み、また己を守る盾とする、攻防一体の広域殲滅を目的とした魔法。
「吹き荒れよ!」
シュトルムは自身の魔力を操り、その嵐の領域を更に押し広げる。木々を含めた全てが巻き上がり、シュトルムを中心としたそれ以外は瞬く間に更地となっていく。
“黒嵐禍”の風はただの風ではなく切断性を持つ風であるという特性がある。ただ吹き飛ばされるだけならばまだ幸運だ。その斬撃能力のある風が幾度とぶつかれば、たちまち細切れになる。
当然、それを貰えばシュヴァリア帝国の飛空艇であれど無事では済まない。
───しかし。
「想定通りだ」
“紫晶騎士”ルークはシュトルムの攻撃に対して鼻で笑いながらひとり呟く。
見ると、全ての飛空艇は死の嵐の影響を全く受ける事なく優雅に航海していた。
まるで、目に見えない何かに妨げられている様な……
「(……空間属性の、結界か)」
空間属性の魔法の特性は空間操作による物理法則の無視。文字通り、船の周辺を別空間に置き換える事で死の風を受け流しているのだ。
だが、それに対して力押しをする程、シュトルムは甘くない。
「……ならば、風に空間属性を付与するまでだ…!」
シュトルムは二重で魔法を起動し、自身の嵐に空間属性を付与させる。人がやれば即座に魔力切れを起こしかねない行為だが、莫大な魔力を有する【嵐帝龍】だからこそ可能な荒業。
切断性を持つ風が、空間を飛び越え物理的な防御力を無視し……遂に船体に到達する。
「……これも、想定内」
またしても不敵な笑みを浮かべ、独白を零すルーク。その独白は誰にも届く事なく虚空に吸い込まれて消える。
同時に、シュトルムの放った空間無視の暴風は敵の船体を徐々に細切れにしていく中で───突然、シュトルムの放つ魔法が途切れた。
それは、空間属性を纏う風に留まらず……死の嵐、“黒嵐禍”すら、なんの予兆もなしに消失したのだ。
「なんだと…!? ッ…!」
突然己が扱う魔法が途切れた事に驚きを隠せないシュトルムへと、何かが空を切る音が響き、シュトルムは飛来する“それ”を反射的に避ける。
シュトルムは飛行姿勢を立て直し、飛来してきたものの方を見る。
白髪混じりの灰髪。結晶よりも強く煌めく白銀の石の様なものを埋め込んだ鎧を身に付けた、初老の大男。
その手には、黒と金の両刃の剣を持っている。
「何者だ」
「儂はシュヴァリア帝国が誇る、“九聖騎士”が一人。“金剛騎士”グリシャ・ダイアモンド」
グリシャ、と名乗ったその男は…あろう事か空中に立っている。
シュトルムは魔力感知を使用し、その原理を解き明かす。そして、その原理そのものが、シュトルムにとって最悪の事態であった。
「空間魔法で空に足場を……それ以上に貴様…大気中の魔力を利用しておるのか…!」
「ふむ……何か問題でも?」
「大問題だ! 貴様等人間は何も分かっておらぬ。自身の内に秘める魔力を用いるならば、自然環境にも、ましてや世界にも大きな影響はない。……だが、大気中の魔力を利用する事は即ち、世界からの許可なくその力を行使するのと同意義! 同時に、それは世界のあり方すら乱す重罪だ!」
魔力とは、“この世界”にとっては必要不可欠な力。しかし龍脈や、龍脈から流れ出る魔力の流れは一定でなければならず、“この世界”だけでは調整が追い付かない。
そこで世界は、魔力の流れと環境の維持。そして龍脈の制御を担う役割を持つ存在を生み出した。それが、シュトルムを含めた“帝”の名を冠する八頭の龍と、龍脈の最奥にして中心に位置する場所を根城にする一頭の龍。
無論、これらは“帝”の名を持つ龍にしか出来ぬ芸当であり、その血筋の者でもなければ他の龍でも不可能。ましてや他種族には、決して出来ぬ行為である。
そして、前述した様に魔力の流れは一定でなければならず、大気の魔力を利用する事は、その流れを乱しかねない。無論、自身の魔力をほとんど使用せずに魔法を行使できるという利点があるものの、それだけだ。それ以上は、世界に影響を与えるだけなのだから。
「貴様等は自分達の繁栄の為、我が友にして同胞…【焔帝龍】イグニース…【砂帝龍】サンドラの二体を殺した……これが、世にとってどの様な影響をもたらすか、計り知れぬのだぞ…!」
友を殺された事による怒りを顕にしつつ、溢れてくるシュトルム自身の魔力がその感情を表す様に渦を巻く。
それに対してグリシャは……つまらなさそうに欠伸を零した。
「長話は終いか? 【嵐帝龍】シュトルム」
「なんだと?」
「分からぬか? 貴様の言う事は専ら真実なのだろう。なんせ、儂よりも長く生きておるのだからな。説得力がある。……だが、それは昔の話に過ぎん」
グリシャの口から出てきた、“昔の話”。なんの事だと怪訝そうに顔を顰める中で、初老の男は言葉を続ける。
「貴様等龍に変わる存在……それが我等、人間なのだよ。今や世界の大部分に住み、発展した技術と力を有した選ばれた種族。世界を手に取るに相応しき我等に、龍脈…否、地脈の管理が出来ぬ方がおかしいであろう?」
「戯言を…! 貴様等の様な矮小な人間如きに、龍脈に干渉する術も、権利もある筈がなかろう!」
「できる、と言ったら? それこそ…帝龍の身体を利用すれば可能なのだからな」
「…………は?」
理解が、追い付かなかった。今、この男はなんと言ったか。【帝龍】の身体を利用?
シュトルムは思い出す。イグニースとサンドラが支配していた火山と砂漠。彼等の死によって、環境が大きく変動したという話は依然として聞かない。
───嫌な予感が脳裏を過ぎる。
「…………まさか」
「ようやく理解したかね? 【焔帝龍】イグニース、【砂帝龍】サンドラの肉体を利用し、二つの地域の龍脈をこちらが制御・管理しているのだよ。まあ死体を使っても意味が無い故、瀕死の状態で機械に取り付けて運用しているだけだが」
シュトルムは一層怒りと殺意を募らせる。命に対する冒涜が、どうしても許せなかった。この男は……否、この場にいる人間は、一匹たりとも生かしてはおけない。
「……八つ裂きにし、殺す…!」
「やってみよ。……“金剛騎士”グリシャ・ダイアモンド……参る」
「【嵐帝龍】シュトルム……参る!!」
互いが改めて名乗り合い、森の上空で激しい死闘が繰り広げられた。