第二話
ガラッ、という何かが崩れる様な音がした。
その次には、自分の身体は宙に放り出されていた。竜司の身体が重力に従って落ちていき……地面に頭から激突する。
首が折れる音。割れた頭蓋から血が吹き出し、地面一帯をドロッとした赤が染め上げる。
竜司がひとつ、覚えている事があるのだとしたら…………
地面に激突した瞬間、今までに味わった事のない激痛が、全身を突き刺した事だけだった。
◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇
「…………ン。……ェン。レーヴェン」
「ん……むぅ……?」
「起きなさい、朝だぞ」
「はぁい……」
穏やかながらも低い声が、自分に起床を促していて、それに気付いて従ったレーヴェンは致し方なく目を開く。
そこには、自分よりも何倍も大きい隻眼の黒龍がジッとこちらを見据えていた。
その姿に一瞬ギョッとしてたじろぐが、レーヴェンはすぐに思い出す。
龍なる生き物に生まれ変わり、【嵐帝龍】シュトルムと名乗るこの黒い龍の子供となった事を。
「おはよう…おとうさん」
「おはようレーヴェン。……昨晩はうなされておったが、怖い夢でも見たか…?」
「えっ? ……まあ、うん。ちょっとね……」
レーヴェンは視線を逸らして言葉を濁す。
当然だ。……誰も想像出来ぬだろう。己が落下死する瞬間を夢に見るなど。
それに自分が元は人間だった、などとシュトルムにはだいぶ話しにくい。故に転生してから半年が経ってもなお、シュトルムには自分の正体を告げていない。
「……さて。レーヴェンも起きた事だし、今日はお前を連れて見回りに出るぞ」
「えっ……ぼくも……わっ!?」
そう言ってシュトルムはレーヴェンの首根っこを咥えて持ち上げると、自身の背中に乗せる。
背に生えているその巨大な翼を大きく広げると……
「しっかり掴まっていろ」
バサッという音と共に羽ばたき、レーヴェンを乗せたシュトルムは空に躍り出た。
レーヴェンは振り落とされぬ様ゴツゴツとした父の鱗にしがみつくと、飛び上がる恐怖で閉じていた目を開く。
視界いっぱいに広がったのは、広大な森林。
木々の隙間からは川が陽光を反射してキラキラと煌めき、また別の方には鳥らしき生物が群れを成して空を飛んでいる。
あまりにも壮大で、美しい景色を目の当たりにし、レーヴェンは目を輝かせて分かりやすくはしゃいだ。
「わあっ…! すごい、すごいよおとうさん!」
「そうであろう。この森は、我が何万という年月の間守り抜いてきた秘境。それと、はしゃぐのは構わんが落ちるなよ」
まるで子供の様にはしゃぐ様子にシュトルムは苦笑しながら注意を促す。
とはいえレーヴェンの前世は、三十路手前の男性であったのだが…どうやら龍の身体に思考の一部が引っ張られているらしい。どうも行動や口調が幼くぎこちない。
仕方ない事だと割り切ってはいるが、レーヴェン自身は未だ違和感が拭えずにいる。
それはさておき、シュトルムが飛行速度を落とすと、ひとつの巨大樹の前に着地した。
その木は枯れ始まっているようで、葉も少ない。
首をもたげてレーヴェンを咥えて背から降ろすと、その木に歩み寄っていく。
「丁度良い。見回りも兼ねて、我の役目たる龍脈の調整を見せよう。こっちにおいで」
「う、うん…!」
最近ようやく四足で走れる様になり、まだまだ遅いがレーヴェンは父の近くに歩み寄る。
それを確認したシュトルムは着地と共に畳まれていた翼を広げながら、唯一残っている眼を閉じる。
その瞬間、温かな風が流れ、シュトルムの周囲に白…あるいは緑の光り輝く粒子が表れ、あちこちに飛び交う。
幻想的なその光景にレーヴェンが見惚れている中、シュトルムの周囲を飛び交う光の粒は、先程まで不規則に飛び交っていたというのに、やがてその全てが一つの方向に並んで流れていく。
その行先は目の前の巨大樹。
木の根元に向かって流れる無数の光は、木の下へと消えていく。やがて光の全てが木の根元に消えると、穏やかな風は止んでしまう。
すると、それに変わる様に朽ちていたとは思えない程、緑の葉を枝に広げていた。
先程まで枯れていた筈の巨大樹は、瞬く間に美しい緑を纏う生き生きとした木へと早変わりをし、その光景にレーヴェンは改めて言葉を失う。
「こ…れは……」
「この木は龍脈に干渉できる場所のひとつ。酷く乱れておったからな。その流れを正した事で、こうやってこの樹木は緑を得た」
「りゅうみゃく…?」
「龍脈とは、この大地の遥か下に根を張る、この世界の中枢の様なものだ。魔力が存在できるのもまた、龍脈が正しく流れているからとも言える」
父は…シュトルムは続ける。
その龍脈に直接干渉できるのは龍族…その中でも“帝”の二つ名を持つ程強い力を持つ龍のみであり、世界各地にある龍脈に干渉できる場所……森、海、火山。果てには砂漠まで。多くの龍が龍脈の流れに触れ、乱れた力の流れを正す事でこの世界の環境を調整し維持しているのだという。
「……じゃあ…おとうさん以外にもりゅうみゃくに干渉できる龍がいるんだ。すごいなあ」
「…………そう、だな」
レーヴェンが素直に、シュトルムの様な龍が他にもいる事に感心する。
しかしそんな様子のレーヴェンを他所に、シュトルムは悲哀の念を滲ませており……それに気付いたレーヴェンは不安そうに表情を曇らせる。
「……おとうさん?」
「……いや、何でもない。さあ、次へ行こう。まだ調整すべき龍脈は多数ある」
取り繕う様に話題を切り替えると、再びレーヴェンを背に乗せ、シュトルムは空を翔ける。
「(レーヴェン……我が息子よ。友も、妻も守れなかった情けない父だが…お前は、お前だけは……この命に変えても守り抜いてみせる…!)」
手を伸ばしても届かなかった友と、愛する妻の姿を思い浮かべ、シュトルムは息子を…レーヴェンを背に乗せ、次なる目的地へ向けて飛翔した。