第十八話 翡翠騎士遭遇戦ー弐ー
狭い廊下の中を矢と魔法が絶え間なく飛来する。多くの兵士がひとりの侵入者を排除する為、矢継ぎ早に攻撃を放ち続けるも、億さず宙を舞い突進する白い影。
レーヴェンが持つ権能の力で魔法を。持ち前の強靭な龍毛と四肢の黒鱗が矢を妨げる。
「(……権能で魂引っこ抜くより)」
レーヴェンの両手首を権能の光が覆うと光の剣となり、それを彼は兵士達とのすれ違いざまに幾度と振り抜く。
龍族の膂力に加え、権能による身体能力の強化。そして並の剣とは比にならぬ切れ味を誇る光の剣は、あらゆる鎧や防御魔法を無視して切り裂き……廊下にいた兵士の大部分は呆気なく斬り殺された。
「(こっちのが早いや)」
権能で殺すには相手に触れて魂に干渉し、肉体から剥がすという三工程を挟む。それを何十人と繰り返すと却って遅い。
であるのなら。直接的な暴力の方が遥かに速い。
変わらずレーヴェンは生命を奪ってもなお涼しい表情を浮かべながら空を翔ける。
父の気配を辿りながらこの施設内を飛び回るが、父の気配はひどく弱々しく、おおよその方向も覚束無い。
余程気配をこぼしにくい場所に閉じ込められているのか、単にひどく弱っているのか…………どの道、シュトルムを見つけねば話にならない。
「無事でいてくれ…父さん……!」
「レーヴェン。どこに行く」
シュトルムは森の外に赴こうとする“我が子”を引き留めようと声を掛け続ける。
しかし当の本人は父の声を無視して悠々と歩き続けており、そんな彼の態度に、子供に甘いシュトルムと言えど流石に苛立ってくる。
「……いい加減にしろ。我の声は聞こえているだろう。理由も言わず此処を出ていくなど、断じて許さぬ」
その言葉をシュトルムが口にして、“我が子”はようやく足を止めた。父の方へと振り返ると、その目はひどく冷めていて、そんな顔を向けてくるとは思っていなかったシュトルムは分かりやすく狼狽する。
「……父さんこそ、いつまで夢に縋り付いてるのさ。母さんはもう……何処にもいないのに」
シュトルムの言葉が詰まる。
そう、ここはシュトルムの夢と幻想の世界。“息子と妻が生きている世界”。都合のいいこの世界に、シュトルムは囚われている。それを、彼は自覚するのを放棄しているのだ。半年が過ぎた今もなお。
「何を……言って…………」
「事実でしょ。僕も、母さんも死んでるのに。なのに生きているんだと思い込んで、縋り付いて……正直情けないよ」
「ッ……ッッ……!!」
ふるふるとシュトルムの身体が震える。目の焦点が合わず、目の前の我が子すら真っ直ぐ見据える事が出来なくて。ふつふつと沸く怒りのまま、気付けばシュトルムは“我が子”を組み敷いていた。
「……その口を…閉じろ」
「なんで? 僕は本当の事を言っているだけだよ」
「黙れ!! もう……もう我は沢山なのだ!! どれだけ愛し、守りたいと願う存在も、全て!! 我の手からすり抜けていく……お前なら、分かるだろう…? お前が我が生み出した幻であるのなら、なおさら」
……分かっていた事だ。
目の前の現実を無視していたのは、他ならぬシュトルム自身である事も。
だが、そうせねばならぬ程、シュトルムの心は摩耗し切っていて、限界だったのだ。生涯を掛けて愛し、守ると誓った妻も死なせ、そんな妻が遺した息子さえ、助けられなかった。
それが、どれだけシュトルムの心に傷を残したのだろう。
……しかし、それだけの叫びを聞いてもなお、レーヴェンの表情は変わらない。
「それでも立たなきゃ。父さんは【嵐帝龍】なんだから」
心が磨り減り、幻想に縋るシュトルムに。レーヴェンは立てと告げる。
その言葉に対し、シュトルムは苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべ、片眼の視線を逸らす。
「……もう、我は【嵐帝龍】などではない。ヤケになった末、森を棄てた我に……あの森を統べる資格など───」
「父さんは、本気で森を見限った訳じゃないだろ」
「ッ…! いい加減に……」
「だって」
シュトルムはレーヴェンを見る。自身と同じ紅の瞳は、自分だけをハッキリと見据えており……その目から、不思議と目を離せない。
「───家族と過ごした思い出が詰まったあの森を……心の底から棄てられる訳ない。僕が憧れた父さんなら、まだ諦めきれてない筈だから」
その言葉で、ようやく均衡が崩れた。
世界が歪む。シュトルムの意識が目覚めに近付いている証拠だ。息子の言う通り、本心では諦めきれていなかった。
愛した妻と過ごし、大事な我が子を育ててきた。そんな場所を本気で見限るなど、できやしない。
取り戻さねば。あの森の統治者として。シュトルムの覚悟が決まった事を理解したらしい、幻想の息子は、嬉しそうに口角を上げる。
「あなた」
凛とした声が聞こえる。息子と同じ様に、シュトルム自身が生み出した幻想の妻……フィオーレが声を掛けてきた。まるで、この世界が崩れる事……そして、シュトルムが彼女を置き去りにするのを引き留める様に───
「どうして私達を置いて去ろうとするのですか。……私は前にも言った筈です。貴方は十分頑張ったと。楽な道に逃げてもいいと。私は……」
「…………フィオーレ」
シュトルムの唯一の紅の眼が、自身の生み出した幻の妻を真っ直ぐ見据える。柔らかく、確かな愛情がこもったその眼を見て、フィオーレは言葉を詰まらせる。
「我は今も、昔も……お前ひとりを愛している。……だが、我はまだそちらには行けぬ。やらねばならぬ事が残っているが故」
その真っ直ぐとした、信念がこもったシュトルムの目を見た彼女は、これ以上言い寄る事、引き留める事は無意味と察したらしい。
一歩引いた彼女は、穏やかな表情を浮かべては口を開いて……
「……いってらっしゃい。あなた」
夫を送り出す言葉を紡ぐ。その言葉を聞いたシュトルムは、突然身を翻してフィオーレの元へ寄ると……彼女の口許に、接吻をひとつ落とした。
「行ってくる。……愛しているぞ、フィオーレ」
その言葉を最後に、シュトルムは再び身を翻して暗闇の中を進む。終ぞ振り返る事なく、シュトルムは闇の中に消えていった。
崩れゆく夢の世界、ひとり取り残されたフィオーレは、白い体毛に覆われた顔を微かに赤らめて、恥ずかしそうに翼で顔を隠す。
「……本当、卑怯な龍。貴方をもう一度立ち上がらせたくて……帰ってくるレーヴェンちゃんと会わせるたくて戻ってきた……本当に、それだけだったのに」
彼女の身体が消えゆく。───しかし、その消え方は夢の世界の崩壊とはまた違う。まるで、元いた場所に還る様に。
「……まさか惚れ直させてくるだなんて、思いもしなかったわ」
きゃー、と声を出しながらひとり悶えるフィオーレ。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻した彼女の表情は、先程まで照れていた様子とは打って変わり、真剣な……だが、どこか未練が残った様な、複雑な感情が現れていた。
「……どうか……どうか貴方達の未来に、幸あらん事を─────」
死んでしまった自分には、残る我が子と夫の幸福を望む事しかできない。だが、心残りが何もない訳ではない。自分の不注意が原因で死んでしまい……もしもそれがなければ、きっと自分はレーヴェンの母として愛情を注ぎ、守り育てただろう。
だが、そんな未来は存在しない。全てが幻想で、どれだけ手を伸ばしても届く事のない願い。
それでも。フィオーレは希う─────家族と共に過ごせる未来を。
「…………母さん…?」
幾つか階段を降り、同じ様に宙を翔けていたレーヴェンは、不意に立ち止まる。父の……シュトルムの気配に混じって、知らない龍の気配を感じた。
だが知らないというにしては、どこか懐かしさを覚える。だが、シュトルム以上にその気配は鮮明で、直感的にそれが亡き母……フィオーレのものである事、そこにシュトルムがいるのだと感じた。
再度翼を羽ばたかせ、レーヴェンはシュトルムの元に向かう。てっきりまだまだ遠いのかと思っていたが場所は近く、階段をひとつ降った先にある妙に大きい扉の先に、父の気配が漂っていた。
そしてその扉を、レーヴェンは何の躊躇いもなく蹴破った。
当然、中にいた研究者達は唖然とする。そしてその研究室の中にいたのは……無数の機械の管に繋がれた父、シュトルムの姿がそこにあった。
両翼を失い、全身傷だらけの姿。レーヴェンの知る姿からあまりにも変わり果てたシュトルムを見たレーヴェンは、ほとんど反射で動いていた。
瞬く間にシュトルムの元へ駆け寄ると、繋がれた管を引き千切ろうと手を掛ける。
唖然としていた護衛の兵士達はようやく状況を理解し、突然の侵入者であるレーヴェンを仕留めようと走りながら剣を抜き、彼の首目掛けて振り抜く。
「邪魔だ……!」
背中の翼が羽ばたく。同時に放たれた無数の光の羽根が飛び散り、近付いた兵士達の尽くを穿つ。
特に被害を受けなかった研究員達は悲鳴を上げるが、レーヴェンは気にも留めない。
焦った様子で、必死な表情で管を握る手に力を込める。権能の力を最大限腕力に回し、その管を引き千切……
「なにやってんの」
……ろうとした矢先、背中に衝撃。
レーヴェンは自身の胸元を見る。幅広の刃が、自身の胸から突き出ていて、刀身には鮮血が滴り落ちている。
時間差で、レーヴェンの口からゴポッという音が鳴り、おびただしい量の血を吐き出した。
レーヴェンの手から力が抜ける。
同時に、シュトルムの瞼が微かに動いて……目を開いた。
ふたりの深紅の瞳が交差する。
シュトルムは眼前にいた龍人の男が誰なのか、始めは分からなかった。だが、匂いや気配が、あまりにも見知ったものだったから、すぐに誰なのかを理解した。
「……レー、ヴェン…………?」
「……父、さ」
胸から飛び出した刃が乱雑に抜かれると、糸が切れた人形の様にレーヴェンが倒れ伏す。胸の傷からドクドクと溢れる血が、水溜まりの様に床一面に広がっていって……シュトルムの表情が絶望に染まるのは、すぐだった。
「あ、ああぁぁぁあああ……!!」
何故、レーヴェンが生きているのか。
何故、レーヴェンが龍人の姿となっているのか────
その疑問を飲み込む以前に、また、目の前でレーヴェンが死んでしまった。その事実に、再びシュトルムの感情がぐちゃぐちゃになる。
「あれ。目、覚ましたんだ。……ていうか催眠の術解かれてんじゃん。なっさけないなあ、ルークの奴」
“翡翠騎士”ゲイル。彼こそが、レーヴェンの胸に刃を突き立てた張本人である。
その姿を確認したシュトルムは目を大きく見開いた。明確な殺意を宿して。
「き、さま……許さん…許さんぞ…! よくも我の……我の子を……!!」
憤怒に飲まれ、荒い息と共に牙を剥き出しては、今にも飛びかからんとするも……身体が繋がれている上に、薬漬けにされていた弊害か、身体が麻痺していてほとんど身動きできない。
「あっはははっ! 何それ、芋虫みたいに暴れてて面白ーい!」
その様子を、ゲイルはケラケラと嘲笑う。強大な力を持つ“帝”の龍が、今や無様に藻掻く事しかできない。
それでもシュトルムは構わなかった。最愛の息子の仇が取れるのなら、誇りも何もかも捨て去る覚悟だった。だが、未だ身体は上手く動かせず、何も出来ない。
あまりの悔しさと、何も出来ずにいる自分への怒りが込み上げ……シュトルムの目元から一筋の涙が伝う。
そして─────
「…………あー、痛った」
ムクりと、レーヴェンが起き上がった。呑気にも痛がる様な言葉を口にしながら。
「えっ……?」
「は……?」
そんな事態に、ゲイル、及びシュトルムは素っ頓狂な声をこぼしては呆然とする。
そんなふたりを気にも留めず、レーヴェンは自身の後頭部をガシガシと掻くと、自身の胸に触れる。先程刺された筈の傷は、綺麗さっぱり消えてなくなっていた。
「死ぬかと思った。まあ、実際死んでたんだけど」
うわ、血まみれじゃん、と言いながらレーヴェンは立ち上がる。死んだ筈の彼が生き返った事実に誰もが言葉を失う中、ため息をひとつ吐いたレーヴェンが、冷めた眼でゲイルの方へと視線を向ける。
「……で。いきなり僕の事殺してきたんだ。ぶっ殺しても文句ないよな?」
いきなり殺された事やら何やら……レーヴェンの様子からして、静かな……だが確かな怒りと殺意を滾らせているのが誰でも分かる。
対してゲイルはというと、その殺気に驚きこそすれど、すぐさま飄々とした態度に戻り、自らの獲物である幅広のククリナイフを握った。
「やってみなよ。さっき僕に何も出来ずに殺された癖にさあ!」
「うっせぇんだよこの糞餓鬼。微塵切りにしてやる」
珍しくレーヴェンの口が悪い。それだけ怒り心頭である証拠だ。両手から権能の光を剣の形に展開し、レーヴェンとゲイルは同時に駆け出した。




