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第十七話 翡翠騎士遭遇戦ー壱ー

「……それで。“嵐帝龍の仔”の身体、まだ治ってんの?」

「はい……その原因も、未だ掴めない様です」

「はあ〜? 全く早くしてよね。その一匹に時間と手間を使ってらんないだからさあ」


 研究施設の廊下を、ひとりの少年らしき容姿の騎士と、その少年に並ぶ一般的な男性の背丈の騎士。しかし、その立場は容姿にそぐわず逆の様で、少年はタメ口で、もう片方は敬語で話している。


「あーあ。なあんで僕がこんなトコに来なきゃなんないのさ。こういうのはルークの仕事だろうに」

「ゲ、ゲイル様。ルーク様も多忙です。こういった役割は他の九聖騎士の方々にも回っている筈ですし……」

「知ってるよ。ルーク(アイツ)も、僕の事見る目ないよなあ。護衛・警護(こういうの)が苦手なの、分かってる癖に」


 ゲイル、と呼ばれた少年は不機嫌さを隠さずに呟く。

 ゲイル・エメラルダ。最年少で九聖騎士の一端に選ばれ、“翡翠騎士”の肩書きで知られる少年。その肩書きにそぐわない技術と実力を兼ね備えている彼は、専門分野ではない見回りやら護衛やらに回されたのが、ひどく不愉快らしい。得物である幅広のククリナイフをくるくる回しながらため息をつく。

 …………途端、どこからか轟音と振動が、施設全体を駆け抜けた。


「な、何事…!?」

「……あっちか」


 突然の事態に混乱する騎士を置いて、ゲイルは颯爽と駆け抜けていく。人の域を外れたその速度は、常人から見れば突然姿を消したのではと錯覚する程に。






「僕は【嵐帝龍】シュトルムのひとり息子…………レーヴェンだよ」


 何でもない様に。当然の様に名乗りだした白い龍人。その場の誰もが耳を疑った。

 その困惑を押し殺しながらも瓦礫から這い出たヴァッシュは剣を構え直しながら、目の前の龍人を睨む。


「何を…言っているのだ、貴様……【嵐帝龍】シュトルムのひとり息子だと? 戯言を…!」

「……あ、そっかこの姿だから分かんないのか」


 ひとり納得したレーヴェンを名乗った龍人は、ふと両手を床に着ける。


 途端。龍人の肉体から歪な音が響く。


 肉が。骨が。彼の身体の全てが書き変えられ、別のものに変化する様な音。

 骨格を変え、身体の大きさを変え、遂にその姿を顕にする。

 白銀の体毛に覆われ、四肢に漆黒の鱗。背には鳥の様な翼を持つ─────【嵐帝龍】シュトルムの子供である……知る人ぞ知るレーヴェンの姿がそこにあった。


「なっ……ば、馬鹿な……!?」


 ヴァッシュ含めた全員は驚愕する。巨大な龍の姿から極めて人に近しい姿、体躯に変える事ができる龍など、過去に例がない。

 それだけの能力を持ちながら、何故“九聖騎士”の一角に殺されたのだろう。能力上の相性か。あるいは、単なる実力や経験不足か。


「これで信じてくれる?」

「……ああ。貴様の言う事は真実なのだろう。……だが」


 ヴァッシュが駆ける。その剣の切っ先を、レーヴェンの右目に向けながら飛び上がった。


「貴様は我らシュヴァリア帝国の敵だ! ここで貴様を屠る!!」


 その剣の先端が、レーヴェンの右目に接近する。このままレーヴェンが抵抗しなければ、右目は貫かれ、先程まで眼球があった穴から鮮血を噴き出すだろう。


「……だから。危ないって言っただろ」


 無抵抗ならば、の話だ。

 右目の瞬膜……人間を始めとした哺乳類で言う瞼を閉じながら権能で膜を補強し……その剣を防いだ。

 暫しの間、金切音が反響し……剣の耐久が限界を迎え、先端から無惨にも折れた。


「いきなり殺しに掛かったんだ」


 ヴァッシュの身体が硬直する。

 今になって気付いた。己の判断を誤った事に。そして……レーヴェンが纏う、夜の静けさを彷彿とさせる様な……あまりにも静かな殺意に。

 右側から突然衝撃が走る。一瞬だけ視線を動かす事ができたが故に、理解する。

 レーヴェンの左前肢が、いつの間にか叩き付けられていた。

 膂力の差と質量の差を認識するよりもなお速く叩き込まれ…ヴァッシュの身体からミシミシと骨が軋む音が鳴る。


「ぁ…………」


 骨が砕ける。……否、粉々に粉砕される。次いで、内臓という内臓が破裂し、潰れた。

 レーヴェンの打撃の威力に伴い、砲弾の様に吹き飛ばされたヴァッシュは、轟音に加え凄まじい衝撃と共に壁に叩き付けられ、僅かに遅れて衝突した壁からおびただしい量の鮮血が、噴水の如く噴き出した。


「……殺されたって文句……言えないよな?」


 無惨な肉片と成り果てたヴァッシュを冷めた目で見据えたレーヴェンは、手に着いた血を払いながら冷酷にもそう告げた。

 その場の誰もが、状況を飲み込めずにいた。その中で状況を理解し、素早く判断できたファルコは瞬く間に逃げの姿勢に移る。殺される事を理解したからだ。

 しかし、いくら早く判断を降す事ができても、相手がその速度を上回る場合─────


「逃げるな。アンタら、シュヴァリア帝国ってトコの連中だろ」


 こう(・・)なるのは、必然である。

 いつの間にかファルコの頭上に移動していたレーヴェンが、なんの躊躇いもなく、ファルコをその体重差で踏み潰す。ファルコの口からギャッ、という断末魔がこぼれると、その直後には身体中から吹き出た血液で床一面を赤く染め上げた。

 その場にいた研究員達は絶望する。

 この部屋の出入口は、レーヴェンが立つ場所しかないからだ。

 逃げ道を塞がれた事を理解し、顔の穴という穴から体液をこぼして震える者、中には尻餅をつきながら股を濡らす者もいる。

 そんな様子の彼等に興味すら向けず、レーヴェンは殺意に染まった眼差しを向けた。


「……直接じゃなくとも、間接的に森を荒らしたアンタらを、逃がす訳にはいかない」


 死神が静かに宣告した。同時に、悲鳴が木霊する。

 少しでも長く生きようと室内を逃げ回る者は、鋭利かつ巨大な爪に切り裂かれ、輪切りにされて死んだ。

 避けられぬ死を悟り、無抵抗を貫いた者は、レーヴェンに喰い殺された。

 無謀にも抵抗を試みた者は、強靭な尾で薙ぎ払われ、前肢で、下肢で蹴り飛ばされ、踏み潰された。




 ────およそ一分ほどは、部屋に悲鳴が響き、肉が、骨が裂かれる音が木霊した。その一分後は、恐ろしい程の静寂が包んだ。




「(あー…………結構殺したな)」


 死屍累々。その言葉が似合う惨状だった。

 先程まで生きていた生命だったものを、レーヴェンは脚で踏み付け見下ろしている。前世が人間だった彼だが……彼自身も驚く程、人を殺すのに抵抗がなかった。

 感性がそれだけ龍に寄ってきている証拠だろう。何より、父と共に暮らしてきた場所を荒らした事、父を傷付けた連中を許せなかったというのが大きい。

 たとえ直接、レーヴェンの故郷である森を焼いていないのだとしても……


『レーヴェン。もしもこの森を侵す輩が現れた時……容赦はするな。森の恵みと我らの守護を求めるだけならばまだいい。だが、龍脈を……そしてこの森を大々的に荒らす輩は先んじて排除せねばならん。この森には、多くの生命が芽吹いている。この森にある生命の廻りを守れるのは、我らだけなのだから……』


 研究という名目で森を踏み荒らしたのなら、森の守護者……その息子として粛さねばならない。いつしか父がそう言ったのを思い出すと、実際父の言う通りなのだと思う。

 再び龍人型に戻ったレーヴェンは、研究員が着ていたであろう白衣を剥がしながら腰に巻き、同じく剥いだベルトで絞める。流石に人の姿形で素っ裸は堪える。せめて隠せる所は隠しておきたい。


「変化する度、布が破れるのはな……」


 体躯の差故に姿を変える度に服が破れるのは致命的だ。早い段階で解決しなければならないな、と考えながらレーヴェンは扉を蹴破る形で部屋を出た。


「(……微かに森と……父さんの気配がする)」


 微弱な、生まれ故郷と父の気配。父が生きている事実に安堵するも、すぐに気を引き締める。

 まずは父を助けよう。そう考えた矢先、レーヴェンの左手側から炎の塊が飛んでくる。見ると、ひとりの兵士が魔法陣と共に魔法を放っている姿が見えた。


「(権能で)」


 権能の力を一部解き放つ。権能の力の副次効果は、大気の魔力を正常な流れに戻す事である。

 シュヴァリア帝国の扱う魔法は、大気上の魔力を行使する特性がある。故にレーヴェンが僅かに権能の力を纏っても防ぎきれてしまう。

 実際、兵士の放った魔法は瞬く間に分解され、正しい魔力の流れに還されてしまう。


「し、侵入者です! 敵は一名……白い龍じ」


 何か通信機らしきものへとレーヴェンの存在を告げた。しかし、それ以上は続かなかった。

 刹那の間に距離を詰めたレーヴェンが、その頭を掴んだ。

 権能が発動する。肉体と繋がった魂が、強制的に引き剥がされる。糸の切れた人形の様に、兵士は倒れた。魂を失った身体は呼吸も、血流も停止し……文字通り死んだ。

 ついさっきまで生きていた肉塊を一瞥もせず、レーヴェンは背中の翼を広げて飛び出す。

 今もなお弱々しい、父の気配を辿りながら。






「……うわ。こりゃ酷い」


 【嵐帝龍】シュトルムの息子、レーヴェンの亡骸が安置され、正体不明な力を発動し続ける彼の力を研究していた部屋に来たゲイルは、その惨状に顔を顰めた。

 臓物や肉片に加えおびただしい量の血が天井や壁、床に飛び散っている。

 先程の轟音の元に来てみたはいいが、この惨状を成した輩は、既にこの部屋を出ているらしい。

 それに加え、ゲイルはある事に気付く。


「“嵐帝龍の仔”の死体がない……?」


 ここに安置されている筈の“嵐帝龍の仔”……レーヴェンの死体が消えて無くなっていた。身体を吊るしていた筈の紐や鎖などは千切られた形跡もなく、まるで拘束そのものをすり抜けたかの様な状態で放置されている。


「(さっきの通信も気になるし……ひとまず、しらみ潰しに回ってみるかあ)」


 面倒臭そうに身体を伸ばしながら部屋を出ると、ゲイルは走り出した。ここにいる外敵(レーヴェン)を排除する為に。

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