第十話
───数刻前。
シュトルムが戦闘していると思われる場所に到達するまで、残り数キロといった所だろうか。
レーヴェンは焦りを募らせ、今の自分が出せる最高速度で空を飛ぶ。
「もう少しだ……父さん…!」
レーヴェンの考えは、何も戦いに参加する事ではない。今回の襲撃者達の意識を、少しでもシュトルムから自分にそらす事。そうすれば、シュトルムも少しは戦いやすくなる筈だ。
他に出来る事といえば、自身の異能でシュトルムの手傷を癒してやる事くらいか。
レーヴェンは空を翔ける。焦りの念と共に、敬愛する父の元へ───
───故に気付かなかった。背後から忍び寄る伏兵の存在に。
魔力の気配。それを感じた時には、もう遅かった。
突然、レーヴェンの背に高熱の何かが直撃する。毛を貫き、肉を焼く痛みにレーヴェンは悶絶し動きを止める中、追撃と思わしき炎の弾丸が幾度となく殺到する。
それに気付いたレーヴェンは、痛みを堪えながら翼を羽ばたかせ、その炎を右へ左へと避けていく。
やがて攻撃が止んだ事に気付き、レーヴェンは背後を振り返る。
そこには紅玉の様な石を埋め込んだ鎧を身に纏う、長い金髪の…人間の女性が空に立っていた。
手には紅の槍を持っている。彼女からは強い敵意が滲み出ており、先程の炎は彼女の仕業だろう。
「誰だ…!」
「アタシはシュヴァリア帝国が誇る“九聖騎士”が一人。“紅玉騎士”のルーシー・バーンテッドだ」
「森を荒らしているのはお前達か? なんでこんな事を…!」
レーヴェンは戦闘態勢に移る。薄々気付いてこそいたが、彼女の様子からして、戦闘は避けられない。
前世が人間であったレーヴェンからすれば、以前と同じ種族の存在と戦う…否、殺し合うのは…いささか気が引ける。
対してルーシーと名乗った人間は、レーヴェンの問いに対して頬を膨らませると……プッ、と吹き出しては高笑いをする。
「何が可笑しい…!」
「おっかしいに決まってんだろ! 分かんないか? この森も、世界各地にある地脈も、全てアタシ等人間が管理すべきなんだよ。もう龍の時代は終わったんだ」
腹を抱えながら大笑いをするルーシーの態度に、段々レーヴェンも苛立ちを募らせていく。喉から唸り声が漏れ、口内の牙を剥き出しにし、ルーシーを睨み付けていた。
「巫山戯るな…そんな勝手が許される訳ない…!」
「そう怒んなって。つーか、アンタ誰だよ。ここは【嵐帝龍】シュトルムの森だろ? シュトルムが死んだ時でも狙ってきたか?」
「違う! 僕は、シュトルムの息子…レーヴェンだ!」
叫ぶ様に、怒りの感情を乗せながらレーヴェンは名乗る。レーヴェンが名乗った肩書きにルーシーはキョトン、とする。
「へぇ、シュトルムの息子ねぇ……なら」
ルーシーの両足から火を吹いた。炎の魔法によって生じた炎が推進力となり、彼女をレーヴェンへと突進する。
「なおさら、生かしとけねぇなあ!」
「ッ!」
高速で突進し、その紅の槍でレーヴェンの眼を貫かんと突き出すが、咄嗟にレーヴェンは異能で強化した身体能力で頭の位置を素早くずらして回避。
同時に、速度・威力共に強化された右腕をルーシー目掛けて振るうが、再び彼女の両足から炎が灯り、ルーシーの身体を上方向に飛ばした事で、レーヴェンの右腕は空を切る。
「(一旦距離を…!)」
レーヴェンは翼を羽ばたかせ、後退。
しかしそれに追従する様に、ルーシーもまた炎を推進力に距離を詰めてくる。レーヴェンとしては、変に距離を詰められるのは厄介極まりない。
如何せんその体格の差がありすぎるせいで、攻撃の狙いが定めにくい。その上に全力で攻撃を繰り出そうにも、ルーシーとの距離が近すぎるせいで、最速かつ全力で攻撃できない。
仮に当てられても大した手傷を与えられない事は、否応無しに分かる。
「(せめて……僕が小さかったら…)」
龍族として生まれてきた利点が、今の自分には全く活かせていない。
それが堪らなく悔しくて……だが、そうも言っていられない。気を抜いたら、間違いなく自分は死ぬ。
「……ちょこまかウザイな」
不意に、ルーシーがそう呟いて動きを止める。
それに釣られてレーヴェンもまた距離を取った上で動きを止め、ルーシーの出方を伺う。
「さっさと済ませるか…………“紅炎槍斬”!」
刹那、彼女の手にある紅の槍に真っ赤な炎が纏わり付く。それに気付いたレーヴェンは、素早く回避動作に移り、右方向に身体を投げ出す。
…………しかしその直後、レーヴェンの全身から血が吹き出ては、左前肢が滑り落ちた。
「…………へ?」
レーヴェンは遅れて自覚する。自身の腕が、切断された事に。
「あ…え……? ッッッ! ギャアアアアア!!」
経験のない痛みに、レーヴェンは絶叫する。
ズキズキと、腕が消失した事による激痛がやってきて、レーヴェンは咄嗟に腕の断面に残った片手を押さえ付けて、零れ出てくる血を止めようとする。
「治れ…………治れ治れ治れ治れ治れぇぇぇ!!」
レーヴェンは異能を使用するも、痛みで集中できず、その治癒速度もひどく遅い。いつもの速度であったら、既に傷口は塞がっていた筈だ。
「何しようとしてんのか、知らないけど」
レーヴェンの上から、凛とした女性の声が聞こえてきた。それに気付いたところで、痛みに悶え苦しむレーヴェンには……何も出来やしない。
「さっさと死んでくれ」
視界の端に移った紅の槍が、自分の喉を貫き……槍を縦に振り抜いた。
切り裂かれた長い首から、おびただしい量の赤い血が飛び散る。
「かっ…ごほっ……」
口から血が溢れ、吐き出すのに伴い、レーヴェンの身体から力が抜ける。大空を舞う為にある翼は羽ばたくのをやめ、白い毛に覆われた龍の巨体は地面目掛けて墜落していく。
同時刻、“封魔結界”内部。
「レーヴェンッッ!!」
愛する我が子が、血を垂れ流しながら墜落していく。その光景を目の当たりにしたシュトルムという隻眼の黒龍は、自分の状況、使命、役割……その全てを忘れ、我が子を救わんと空を翔け出す。
「儂を」
背中に激痛。翼の感覚が途絶える。
「忘れては困るな」
グリシャという、金剛が嵌め込まれた鎧を纏った男が、空間すらも断つ魔法を纏わせた剣を用い、強靭な鱗に覆われた龍鱗を切り裂き、その翼を叩き切った。
「ッッ……! …邪魔を、するなァァァァァ!!」
そして、自身の役目や誇りすらも忘れたシュトルムは、龍族にとっての禁忌……大気中の魔力を使用し、大嵐を巻き起こす。それは自身の魔力操作すらも乱す結界を強制的に破壊するだけに留まらず、木々を、大地を…風が触れたもの全てを掻っ攫い、破壊していく。
そして自身が起こした嵐を推進力に、シュトルムはレーヴェンに向かって投げ飛ばされる。
「レーヴェ───」
もう少し、あと少しで手が届くという所で……シュトルムの背中が大きく切り裂かれた。
「取ったぞ」
シュトルムの背を斬ったのは、グリシャだ。
あの大嵐の中でもなお生存できたのは、彼が卓越した空間属性魔法の使い手であったからか。
息子の救出に気を取られていたシュトルムを奇襲し、致命傷を負わせたのだ。
【嵐帝龍】としての誇りすらも失った黒龍は、愛する我が子と共に、力無く墜落した───