第一話
狭い。
“彼”は、自分の全身を何かが覆っている事に気付いた。
身体を動かそうにも上手く手足も伸ばせず、ジタバタと暴れるだけになってしまう。
「(何だ…僕の身に何が起こってるんだ……?)」
“彼”は普通の人間として生きていた筈で……そして、死んだ。
登山が趣味の“彼”は登山中、不運にも足下が崩れ、そのまま落下死した。その筈だ。
しかしどういう訳か“彼”は生きていて、こんな殻らしきものに閉じ込められている。
結局暴れる他に手段がなく、そんな中“彼”は全身を覆う何かに頭突きをすると、パリッという音と共にヒビが入った。
出られる…!
一抹の希望と共にもう一度頭突きを見舞うと、今度は完全に割れた。
割れ目から光が差し、“彼”は目を開く。
そこには、見上げる程の巨大な黒龍が、ジッとこちらを見つめていた。
「……ピッ」
“彼”は驚きと共にヒヨコの様な声を発しては、再び殻の中に閉じこもり、身を潜めた。
その様子に片目が潰れている故、ひとつしかない目を丸くした巨龍は、その長い首をもたげてはそっとその卵に頭を寄せてみる。
「……こらこら。いきなり顔を隠すでない」
“彼”は驚いた。それに伴い、“彼”が閉じこもる殻がビクッと跳ね上がる。
「(ドラゴンが……喋った…!?)」
“彼”の中ではドラゴンの鳴き声など熊やライオンなどの様な猛獣の声だと思っていた。
しかし目前にいると思われる巨龍は、流暢に言葉を話していた。驚かないのも無理はない訳であって───
「折角孵ったのだ……せめて父親たる我に、その顔を見せてはくれんか?」
「(…………父親…?)」
“彼”は訝しんだ。
父親。一体なんの冗談なのだろうか。自分は人間で、件の巨龍は龍ではないか。
しかし……“孵った”。この言葉が気になった。
もしや、と思った。それはある意味で嫌な予感でもあって……致し方なく、“彼”は殻を頭に乗せながら、顔を出す。
「おお……白い龍毛……一瞬見えた時にもしやと思っておったが……矢張り、我とフィオーレの子なのだなぁ」
その巨大な龍の顔がずいっと近付き、“彼”は驚いては体勢を崩してしまい、後ろに転がった。
「ああっ…! だ、大丈夫か!?」
その様子に、巨大な龍は心配そうに顔を寄せてくる。
そして“彼”は、巨龍の血の様な紅の瞳に映る己の姿に、言葉を失った。
真っ白な体毛に四肢には目の前の黒龍同様の漆黒の鱗があり、その瞳は血の様な紅。しなやかな四足獣の体型に長い尾。背には一対の鳥の様な翼。頭には小さな角が二本。
どう見ても、人間ではない。
「嗚呼、怪我はしておらぬか? 我の子……レーヴェンよ」
「レー……ヴェン……?」
“彼”……レーヴェンは、それが自分の名だと理解し、自覚するまで少しばかり間を開けるも、思いの外すんなりと受け入れる事ができた。理由は、分からない。
「そう、お前の名だ。……我の事は、気軽に父とでも、親父とでも……まあパパと呼んでくれても構わん」
「じゃあ……おとうさん、で……」
「む、そうか……」
隻眼の黒龍は、何故か落ち込む様に尾を垂らす。レーヴェンは知る由もないが、どうやら黒龍は“パパ”と呼んで欲しかったらしい。
気を取り直す様に黒龍は頭を振ると、改めて威厳に満ちた表情を浮かべては、息子たるレーヴェンに向き直る。
「我の名は【嵐帝龍】シュトルム。これからよろしくな。我が息子よ……」
穏やかな父親の表情と共に、優しく鼻先をレーヴェンへと擦り付ける。
突然の事でレーヴェンも当然驚くが、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ、心地いい。
“彼”…もとい、竜司という人間の人生は幕を下ろし、レーヴェンという龍生が幕を開けたのであった───