5話 幕開け
「――なっ!?」
守護獣の石像――消失。
その異様な現象を前に、誰もが目を疑った。
シヴァンが外へ出ようとする間までのほんの一瞬、僅かに目を離した隙を突くかのように、守護獣は消えた。
この場にいた誰もが驚きを隠せなかったが、最も動揺していたのは前代の契約者だった。
「バカな……守護獣様との契約が、切られた……? 何故このようなことが……」
そう。守護獣の消失と共に、彼女との間に結ばれた契約も終わりを迎えた。
「今日までご苦労だった。我は新たな契約者と共に行く。あとはゆっくり休むが良い」
神獣アンキルから彼女へ与えられた言葉は、たったこれだけだ。
たったこれだけの言葉で、この異常事態を説明するにはあまりに言葉が不足していた。
しかし、これは最後の神託。守護獣が残した貴重な言葉故に、老婆はその言葉をそのまま皆に伝える。
「新たな契約者――ミルファ・ヴェンディアと共に行くと、守護獣様はそう仰ったのだな」
「はい……」
「この国は守護獣様の守護領域。にも拘らず、こうしていなくなられたということは、つまり、ミルファは現時点でこの国の領域内にいないと推察できる。これはどういうことだ、シヴァンよ」
「――うっ」
この異常事態に驚きつつも、嫌な予感が止まらなかったシヴァンはこっそりこの場を抜け出そうとしていたのだが、扉に手を触れた瞬間に背後から声をかけられたので振り返るしかなかった。
当然、その顔は冷や汗に濡れており、足が震えているので立っているのもやっとという酷い有様だった。
しかしそれでも、今更事情を白状するわけにもいかないので、精一杯平静さを装って返答した。
「わ、分かりません……もしかすると、どこかへ旅行へ出かけているのかも……」
「ほう、結界を脱出しての旅行か。そのようなことを試みた民は、余の知る限りでは両手の指で数えられるほどだったと思うが」
「そ、そうでしたでしょうか……」
「シヴァンよ。お前は何を知っている。全て話せ」
「そ、それは……」
「無論、嘘偽り言い訳などは無用だ。本件において余に隠し事は許さぬ」
「…………」
恐ろしく鋭い目線でそう言われてしまっては、素直に真実を伝えるほかになかった。
一呼吸おいてから、シヴァンは恐る恐る口を開く。
ミルファと水面下で交際をしていたこと。偽りの罪をでっちあげて国外追放を言い渡してしまったこと。全てを話した。
それを聞いていた父王は、開いた口が塞がらないと言った様子だった。
そして大きなため息を吐いてから、苦々しい表情でこう告げる。
「我が息子ながら呆れてものも言えん。この状況、一体どうしてくれるというのだ」
「わ、私が必ずミルファを連れ戻してきますので! どうかそれまでは――」
「待てと言いたいのか。自分の勝手な都合で、徹底的に追い込み、あまつさえ国外へ追放した彼女を連れ戻すまで、待てと」
「わ、私はただ、彼女の愛を試しただけなのです! 偽りの罪をでっちあげられようとも、決して折れることなく自らの無実を証明できる強さがあるかどうかを……将来は王妃に成り得る女性ならばそれくらいできて当然でしょう!?」
「…………」
開き直ってそう力説するシヴァンを前に、父王は過去に類を見ないほど大きなため息を吐いた。
どこで教育を誤ったのか。どうしてこれほどのバカに育ってしまったのか。
決まった、と言わんばかりの表情の息子を見て、後悔ばかりが湧き上がる。
「彼女は――ミルファは王妃になる器ではなかった。ですが、守護獣様の契約者として選ばれたのならば、まだ利用価値があります! 今からでも国外追放を取り消し、呼び戻せば――」
「もう良い。口を閉じよ、シヴァン」
「――っ!」
恐ろしく冷めた目でそう宣告され、体が震えあがるシヴァン。
あの眼は決して愛する家族を見るような目ではない。
地を這う蟻を見るかのような眼。下等な生物を見るような眼を前に、シヴァンは言葉が出てこなかった。
それは奇しくも、ミルファを裏切ったあの日の自分の眼のようで――
「お前への処分は追って通達する。王国において最重要人物となる守護獣様の契約者を逃がしたのだ。その罪の重さ、良く噛みしめよ」
「ま、待ってください父上! 私は――」
「大臣。すぐに結界の確認を。その後すぐに今後についての会議を行う」
「はっ、承知いたしました。すぐに取り掛からせていただきます」
「頼む」
シヴァンの声は、もう父には届かない。全てはもう遅いのだ。
そこにあったのはただ先の事を憂いて頭を抱える王の姿だけだった。
♢♢♢
「――ここは?」
蒼き精神世界は崩壊し、気づけばミルファの体は再び深い森の中へと引き戻されていた。
自分の体の様子を見る。どこにも傷はない。ただし、服は新調されており、体に汚れもなく、彼女はかつての清潔感を取り戻していた。
「あっ、髪が……」
だが、母親譲りの自慢の桃色の髪は、美しい白銀に染まっており、更に身長も少し伸びているようだ。
その上、肩には何やらもふもふとした柔らかい感触の何かが乗っている。
それは生き物だった。彼女の肩から降りた小さくて可愛らしい獣は、まるで神獣アンキルをそのまま小型化したかのようで……
「まるでもなにも、実際に体を小さくしたのだ。我の巨体では同行する上で不便だからな」
「あっ、本当に守護獣様なんですね!」
「うむ。だがその守護獣という呼び方はやめよ。我は守護の役割を放棄した、ただの神獣アンキル。故に主もその名で呼ぶが良い」
「分かりました! 神獣アンキル様!」
「――主、融通が利かぬ性格と言われたことは無いか?」
何を言われているのかよく分からなかったミルファに少し呆れながらも、再び彼女の肩に乗るアンキル。
どうしてこのような状況になったのか、ミルファは少し前に起きた出来事を思い出した
「主が旅に出るというのならば、我も同行しようと、そう言っているのだ」
「ええっ!? 守護獣様が、そんな事をしても良いのですか!?」
「元より我がこの国の守護獣となったのは、世話になった初代契約者への恩に報いるため。そして歴代の契約者が、本気で国を護りたいと願い続けたからにすぎぬ。我が国を守護し始めてから既に千年を超える時が経ち、次なる契約者が国の守護を望まぬというのならば、我がこの地を離れる理由となろう」
アンキルが言ったその理屈が正しいか、正しくないかを判断する事は彼女にはできなかった。
しかし、アンキルが自分の言葉を好意的に捉えてくれたということだけは分かる。
「元より我も、今の外の世界に興味があった。流石に千年も同じ場所に留まれば飽くのも当然というもの。故に契約だ」
「契約、ですか?」
「そうだ。我は主に力を与える。一人で生き抜く力、旅の妨げとなる者を退ける力を。その対価として主は我に、娯楽を与えよ」
「娯楽、と言いますと」
「美味い食事、美しい景色、得難い体験。なんでも良い。退屈していた我に楽しみを与えよと言っているのだ」
つまり、一緒に旅をして楽しもうと言っているのだとミルファは解釈した。
それならば、断る理由など存在しない。
どちらにせよ、アンキルに見捨てられたら間もなくして自分は死を迎えるのだ。
それならば、新たなお供を連れて楽しく旅をしたほうが良いに決まっている。
「分かりました。守護獣様。私で良ければ、よろしくお願いします」
「うむ。契約成立だ。では元契約者を通じて、しばし国を離れると伝えておこう」
神獣アンキルとの契約は、想像していたよりもあっさりと終わった。
彼の頭に手を触れ、目を瞑っているだけで終わったのだから。
だが、違和感がなかったわけではない。
身体がさらに軽くなったり、目線が若干高くなったりしている気がする。
「――では、行こうぞ。当代の契約者、ミルファよ」
「はいっ! 行きましょう!」
その言葉と共に、精神世界は崩れ去り、ミルファは新たな世界へと送り出された。
今ならば、どこまでもいける気がする。
嫌なことは一時的に全部忘れて、今は思うがままに旅をしてみよう。
それから先のことは、また後でゆっくりと考えればいいんだ。
こうして、一人と一匹のあてのない旅が幕を開けた。
プロローグはここまでです! 次回から第1章に入ります!
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