2話 裏切り
ミルファが新たな守護獣の契約者に指名される数日前。
王太子シヴァンは、人気のない王都の外れにミルファを呼び出していた。
ミルファは待ち合わせの時間よりもだいぶ早く到着していたようで、シヴァンが姿を現すと、すぐに彼の存在に気づいて駆け寄った。
「シヴァン様! お待ちしておりました! シヴァン様の方からお声がけいただくなんて本当に久しぶりで……私、とっても嬉しいです!」
「あぁ、夜分遅くによく来てくれたなミルファ……と、言いたいところだが、残念ながら今日はすぐに別れることになるだろう」
「ええっ……な、なんでですか!? 私、シヴァン様にお会いできるならと、お母さまお父さまにも黙って抜け出してきたのに……」
月明かりに照らされたベンチの前で、やや面倒くさそうに告げるシヴァンと驚きの表情を隠さないミルファ。
そう、普段の逢瀬は昼間が中心で、ここまで遅い時間にミルファが呼び出されたのは初めてのことだった。
本来ならばこのような時間に若き貴族令嬢が外を出歩くなんぞご法度だ。
だが、前回のデートからさらに期間が開いた中でのシヴァンからの呼び出しだったこともあり、悪いことをしているという自覚がありながらも彼女は両親に黙ってこの場所を訪れていた。
深夜デートというものに憧れがあったことも否定できず、彼女はいつになく気持ちが高ぶっているのを感じていた。
だが、対照的に、彼女を見下ろすシヴァンの眼は酷く冷めたものだった。
そして大きなため息をついてから、ゆっくりと重い言葉を吐き出した。
「ミルファ・ヴェンディア。残念だよ。このような形で君に裏切られるとは思いもしなかった」
「――えっ?」
「キミとの婚約は破棄――いや、そもそもまだ婚約を結んでいなかったか。そうだな、ではその話も全てなかったことにする」
「えっ、ええっ……ど、どうしてですか!? 私、何かお気に障ることをしてしまったのですか!?」
全くと言っていいほど状況を理解できていないミルファは、困惑し、焦りの言葉を口にする。
同時に今までの自分の行動を急速に振り返り、何か至らなかった点がなかったか必死に探そうと試みる。
だが、そのような行動を取った覚えは一つもなかった。
ほんの一瞬、その様子を見ていたシヴァンの口角が僅かに上がったのだが、それどころではないミルファは当然気づかない。
そして、漏れ出そうな本音を必死に抑えながら、冷たい表情を取り繕い、わざとらしく大手を広げて言葉を紡ぐ。
「どうして、だと? 本当に心当たりがないとでもいうのか? だとしたらキミは舞台の演者が向いているだろうな。そのようなわざとらしく焦って見せる演技も、なかなか様になっているじゃないか」
「ふえっ……え、演技って、そんなこと……」
「ふん。キミから告げる気がないというのなら、僕から言ってやろうじゃないか。以前、デートの際にキミが土産として僕にお菓子を送ったことがあったな」
「は、はい……シヴァン様は甘いお菓子がお好きなので、手作りしたら、喜んでいただけるかなと思って……」
「喜ぶ、だと……? ふざけるな! お前が僕に渡したのは、お菓子ではなく毒物だろうが!!」
「――ッ!!?」
普段は決して彼女に対して怒鳴ったりなどしないシヴァンが、珍しく声を荒げた。
ミルファは激しく動揺し、目からは僅かに涙が滲みだす。
「僕の大好物の甘いお菓子ということで、帰ってから期待して蓋を開けてみれば、漂ってきたのは怪しげな匂いがした。もちろん大事なお前からの贈り物だ。疑いたくはなかったが、念のために毒見役を用意して食べさせてみた。するとどうだ。その者はすぐに悶え苦しみ、ついには帰らぬ者となった」
「う、うそ、です……私は、そんな事なんて絶対にしないです!!」
そう、嘘だ。大嘘だ。
ミルファはお菓子に毒物なんて混ぜていない。
過去に何度も作ったことがあるお菓子で、家族にも味見をして貰った上でシヴァンに贈ったのだ。
包装してからは誰にも触らせていないし、直接この手で彼に渡しているから少なくともミルファが贈った段階で誰かがいたずらをしたということもあり得ない。
だが、シヴァンは自分の言うことが真実であると振舞い続ける。
「重ねて言うが、残念だよ、ミルファ。お前だけは最後まで僕を裏切らないと信じていたんだがな」
「う、裏切ってなんか……なんか……」
「ふん、言い訳など聞きたくもないわ。お前がやったことは、僕――ひいては王家に対する明確な叛逆行為だ。普通ならば即座に処刑台送りが妥当なのだが……」
一呼吸おいて、今度は彼女の耳元で囁くように。
「万が一にも故意ではない可能性もないわけではない。だからこそ、これは僕がお前に与える最後の愛、温情だ。もしお前が一人でこの国を去り、二度と我が国の土を踏まぬと誓うのならば――特別に見逃してやらないこともない」
「――えっ」
「無論、お前の生家であるヴェンディア伯爵領に戻ることも認めない。もし戻ったことが発覚したら、お前の家族にも先ほどの罪を同様に背負ってもらうことになる」
「そ、そんなっ……」
「お前に許された行為は、今すぐ守護獣の結界の外へと駆け出し、醜く逃げ延びることだけだ。もっとも、その後どうなろうが僕の知ったことではないがね」
あくまでミルファただ一人を、秘密裏に処理することがシヴァンの目的。
二人の逢瀬の事実が明るみに出る前に、真実を知る彼女を消すためだ。
だが、自らの手を汚すことを良しとしなかった彼は、このように国外追放という手段を取った。
彼の目の届かぬところで野垂れ死んでくれれば、それが最も都合が良いと言える。
今のところは順調に事が進んでいる。あと少し、あと少しですべてが終わる。
シヴァンは己の醜い本心と真実を必死に隠して演技を続けた。
「さぁ、僕の気が変わる前に早く消え失せてくれ。ああ、残念だよ、本当に」
「ぅ、ぁ……」
ミルファは膝を付き、崩れ落ちた。
様々な感情がぐちゃぐちゃになって、ついには溜め込んでいた涙があふれ出した。
どうすれば良いのか。どうしたら自分の無実を信じてもらうことが出来るのか。
必死に思考を走らせても、一向に答えは出てこない。
そんな彼女を突き放すように、冷たい言葉が飛んできた。
「さあどうした。一家もろとも処刑台に送られたいのか?」
ミルファを絶望へと追いやる一言。
前へ進むことも、この場へ留まることも許されない。
彼女に出来ることは、下がることだけ。
自分の選択で大切な家族が不幸になる。
それだけは絶対に避けなければならない。
自分は何も悪いことをしていない。それだけは絶対の自信があったけれども、もう彼には自分の言葉など届きはしないのだろう。
「うぅっ……」
とめどなく流れる涙を拭いながら、ふらふらと立ち上がり、振り返った。
そして別れの言葉すらも出すことが出来ず、生気の抜けた顔のまま王都の外へと向けてゆっくりと歩き出した。
(くくっ、これで邪魔者の始末は完了だ。お前は悪い女じゃなかったが、僕に釣り合う女ではなかったってだけのことさ。ま、運が悪かったとでも思っておけ)
彼女の背が夜の闇に消えてから、シヴァンは卑しい笑みを浮かべた。
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