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我を封印した聖女に復讐しに行ったら、聖女がちょっとやばい感じになっていた。

作者: 特になし

がっつりめの恋愛物に挑戦しました。ヒーロー目線にも初挑戦です。タイトル迷子なため、しばらくタイトルが安定しなさそうです。

「ふはははは! 封印は解けた! 今こそ復讐の時! 汝を血祭りにあげてやる!」


 にっくき聖女に封印されたあの日から、我はこの瞬間だけをずっと待ち望んできた。片時たりとも忘れたことのない、あの少女。そして、ついに訪れた再会の時。しかし、そこに少女の姿はなかった。


「何だあ、君ぃ?」


 いや、それは我の台詞なのだが……。


 代わりにそこにいたのは、まるで見知らぬ女だった。どうやら女は、べろんべろんに酔っぱらっているらしい。舌は回っていないし、目はどろんとしている。片手には酒瓶を握っていて、この間にも、勢い良くラッパ飲みを始める。うむ、完全なる酒カスのようだ。


 そして女は、我が見ている前で、盛大にげろった。うわあ……最悪だな、こやつ。


 と、我は女を眺めていたのだが、その顔立ちを観察するうち、どっと冷や汗が肌の表面に噴き出した。いや……いやいやいや……。まさか、そんなことがあるはずがない。あり得るはずがない。だが——


「まさか……ゼーヴィン、なのか……?」



 我はかつて、上位種として君臨する魔物であった。魔物と人間は長きにわたり、争いを続けていた。その戦いにおいて、第一線で暴れまわっていた我。それを封印したのが、ルべリオン王国の聖女、ゼーヴィンである。


 だが今、その封印は解け、我は地上に解き放たれた。果たすべきはただ一つ。ゼーヴィンへの復讐だけである! 我はルべリオンの王都へと向かい、その後、残存する魔力の気配をたどり、ついにゼーヴィンの住処を突き止めた。


「ふはははは! 封印は解けた! 今こそ復讐の時! 汝を血祭りにあげてやる!」


 扉をばんっと開き、決め台詞&ポーズ。だが、それは空っぽの部屋に虚しく響き渡る。なにっ、誰もいないだと? 今はかなり遅い時間であるはずだが? うーむ、なんだかしまらぬが、とりあえずはここで待つしかあるまい。。


 それから、待つこと数刻。ようやく扉が開き、人影が入口に立つ気配。ようやく戻ったか! 我はほくそ笑む。さあ、ついに宿敵の聖女と対面である!



 そして、シーンは冒頭に戻る。


「まさか……ゼーヴィン、なのか……?」


 震える我の台詞に、

「よく知ってるねえ。そうだよお。私が、ゼーヴィンだよお」

と、げろ女は口元を拭いながら答える。


「い、いや……そんなはずがない。わ、我は認めぬぞ! 我の知るゼーヴィンは、十五歳のうら若き少女で、汝のような酒カスげろ女では……」


「十五ぉ? 君、ふざけてんのか?」


 殺気と共に、一瞬漏れ出した魔力。我はそれを知っていた。ひとたびとて忘れたことのない、悲しいくらい懐かしい魔力だった。


「本当に……汝がゼーヴィンなのだな……」


 ああ、誰よりも自分が認めている。このげろ女こそ、かつて我を封印した聖女、鮮血のゼーヴィンだ。


「というか、さっきから君、何なんだ? 勝手に人の家に上がり込んで、一人で騒いで」


「我は魔獣フェンリル! この名、忘れたとは言わせんぞ!」


「へえー、久しいねえ。そうかあ、君、フェンリルかあ」


 酒カスげろ女——改めゼーヴィンは、我に顔を寄せ、にへらと笑った。うわ……酒とげろの混じった、およそ最悪の匂いがする……。


いや、気を取り直そう。


「我は汝に復讐を果たすために来た! ゼーヴィンよ、汝も、数多の敵を屠ってきたこの爪の餌食になるのだ!」


 我はゼーヴィンに襲い掛かる——が、ゼーヴィンは易々と我の尻尾を掴み上げた。あれ? サイズ感おかしくないか? なぜ人間であるこやつが、我を掴めている? 我は人間など遥かに上回る巨獣なのだが?


 いや、サイズ感がおかしいのはこれだけでない。現世が久しすぎて、最初こそこんなものかと思っていたが、流石におかしい。巨獣であるはずの我は、普通に街に入り、今はこうしてゼーヴィンの家に入っている。もしかすると、現在の我は——


「ははーん。さては君、自分の姿が今どうなってるのか知らないんだろ」


 ゼーヴィンは、薄ら笑いと共に魔法で鏡を出した。そこには、子狐に似た小動物が映っている。真っ白でふわふわの毛並み。つぶらできゅるんとした瞳。ぴょこんと生えた耳に、まるっとした手足——


「いや、なんだ、このキュートなもふもふは……!」


「君だよ」

 

「なっ……」


 凍りついた我を見て、

「あはは、面白いなあ、その顔。逆に、どうして今まで気付かなかったんだ?」

と、ゼーヴィンはげらげら笑う。


「なぜだ⁉ 封印は解けたのではなかったのか……⁉」


「残念。封印とは別に、君の魔力は私が奪わせてもらったんだ。ほら、ここに」


 ゼーヴィンは衣装の胸元を緩めると、そこからペンダントを引き出した。先端に輝くのは、我の魔力が結晶化した魔石だった。


「それを渡せ!」


「嫌だよ。渡すわけないじゃないか。こんな笑える状況なのに」


 いや、そこは、魔物たる我から人々を守るためだろうが! って、なぜ我がこんな突っ込みを……。


「ならば、力づくで奪うのみ!」


 すかさず飛びかかった我を、ゼーヴィンは裏拳で壁に叩き付けた。え……容赦なっ……。仮にも我、見た目はキュートなもふもふなのだぞ?


 だが、諦めてなるものか。我は何度もゼーヴィンに突進する。


「そろそろしつこいよ」


 最終的に、我はゼーヴィンによって魔力の縄で縛り上げられた。


「くそっ! ほどけ!」


 我はもがくが、縄は緩むどころか、さらにきつく身体を締め付けていく。ゼーヴィンはそんな我を眺めながら、どかん、と寝台に腰を下ろすと、酒をあおり始めた。


「いやあ、楽しいねえ、弱っちい小動物が苦しんでるのを見るのは」


 え……やばすぎないか、こやつ。どん引きのあまり、我はもがくのをやめた。


「あれ? もう終わりなんでぁ……」


 瞬間、ゼーヴィンは、ばたん、と倒れた。手から酒瓶がすり落ち、床に転がる。え、死んだ? そう思ったのも束の間、すぐにいびきが聞こえてくる。どうやら寝落ちしたらしい。


 じゃあ、我、一晩中このまま……?



 結局、ゼーヴィンが目を覚ましたのは、次の日の昼過ぎだった。


「ようやく起きたか! さっさとこの縄をほどけ!」


 ゼーヴィンは伸びをした後、寝ぼけ眼をこちらに向けた。瞬間、その表情が汚物でも見たかのように歪む。


「君……その格好はいったいどういうつもりなんだ?」


「もふもふよりは、こちらの方がまだしまりがつくだろう?」


 残存するわずかな魔力を使い、我は人間の姿になっていた。あのようなキュートな姿でいるなど、かつて大地の牙と恐れられた、魔獣フェンリルのプライドが許さぬからな。


 しかし、

「まさか、寝起き一発目に見るものが、縄で縛られた全裸の男だなんてね。それにしても、知らなかったよ。まさか、君にこういう性癖があったなんて」

と、ゼーヴィンは冷たい声を出す。


「何を言っているのだ⁉ 我を縛ったのは汝だろうが!」


「私が? そんな覚えはないよ、この変態が」


 この女、さては酒で記憶が飛んでいるな?


「じゃあ、せいぜい楽しんでなよ。一人でね」


 ベッドから降りたゼーヴィンは、そう言って我の前を通り過ぎていく。


「ど、どこへ行く⁉ せめてこれをほどいてから……」


 我の叫びも虚しく、目の前でドアを、ばたん、と閉じ、ゼーヴィンは家を出て行った。


 だが、意外なことに、ゼーヴィンはしばらくもしないうちに戻ってきた。我の束縛をとくと、ゼーヴィンは男物の衣装一式を無造作に投げつける。


「それを着たら、さっさとどっかに行くんだね」


「……我をここで殺さぬのか?」


「君みたいな弱っちいのを放置したところで、逆に何ができるっていうんだ? せいぜい好きな場所で好きなように暮らしなよ」


 ぐ……その通りだ。かつての魔力がない今、我は最下級の雑魚魔物。それが世界に放り出されるという状況は、かなり危険——正直言って、我、まじでピンチである。


「勝手にこんな身体にしておいて、どこかへ行けと? 弱い魔物は生きる術がない。それは我に死ねと言っているのと同じではないか! ひどい、ひどいぞ、ゼーヴィン……!」


 我は、よよよ、と泣き崩れて見せた。


「頼む、ゼーヴィン! かわいそうな我を、どうかかくまってくれ!」


 泣きまねをしつつ、我はゼーヴィンの様子を伺う。相変わらずの不機嫌顔——これはだめか……。考えてみれば、よりにもよってこやつが、我に手を差し伸べるはずが——


「ふーん。まあ、好きにすればいいんじゃないか」


 うむ⁉


「そ、それは、ここに置いてくれるということか⁉」


「だから、好きにしろって言ってるだろ。ここにいたいんだったら、勝手にいなよ」


 あれ? 案外あっさり通ったぞ……?


「じゃあ、私は用事があるからね。君は好きに過ごすといい」


 そして、ゼーヴィンはまた家を出て行った。いや、本当にあっさり過ぎやしないか……?


 一人残された我は、とりあえず街中に向かうことにした。大通りを歩きながら、我はふとガラスに映った自分の姿を見る。うーむ、こうして見ても、完璧に人間であるな。街の中はいい感じに平和で、誰も我が魔物であるなどと気付きはしない。我、どうやら人間として上手くやっていけそうである。


 こうして、我の人間としてのスローライフが始まった——などと思ったら大間違いだ!


 ここにとどまったのは、深い考えあってのこと。それは何か? もちろん、復讐である。無害を演じて油断させ、隙を見て、ゼーヴィンから魔石を奪う。そうすれば、我はかつての力を取り戻し、そしてゼーヴィンへの復讐を果たせるというわけだ。


「ふはははは! まんまと騙されおって、ゼーヴィン! 我を殺さずにおいたこと、後悔させてやるぞ!」


 我は高笑いする。


「ママー、あのお兄ちゃん、一人で叫んでるよー!」

「しーっ、見ちゃダメ! あっ、でも無駄にイケメン……」



「おお、帰ったか」


 その日の夜、家に戻ってきたゼーヴィンを、我はにっこにこで出迎えた。


「……これはいったいどういうつもりだ?」


 酒瓶を片手に携えたゼーヴィンは、部屋の様子に困惑した表情を浮かべる。


「ふはははは! 驚いたか、我の家事スキルに!」


 そう。我は床に転がった酒瓶を処分、部屋をぴかぴかに磨き上げた。シーツと布団は洗濯を済ませ、ふかふかの状態。何より、テーブルの上には、出来立ての料理が並べてある。この短時間でここまで済ませるなど、我、自分の才能が怖いぞ!


「ほら、さっそく食うといい」


「にしても、この食い物はどこから調達したんだ? 盗んできたのか?」


 ゼーヴィンは席につきながら、そう尋ねる。


「街で困っている老婆を助けたら、えらく気に入られてな。そうしたら、彼女がちょうど食事処の女主人で、食材を分けてもらい、作り方も教わったのだ。ああ、ついでに、これからそこで働くことになったぞ。流石に無職はまずいからな」


「へえ、そんな阿呆みたいに進む話があるんだ。……あっ、これ美味しい」


「そうであろう、そうであろう! これからは家事全般、我がやってやるからな!」


「ふーん、そりゃどうも」


「そういえば、市場で若い娘たちにめちゃくちゃ群がられたぞ。我はかなりのイケメンで、どうやらもてるらしい。知っていたか、ゼーヴィン?」


「……別に興味ないよ、そんなの」


「とりあえず、ここへの順応は順調ということだ。案外、我は人間に向いているのかもな」


 ゼーヴィンと料理を囲みながら、我は始終にこにこしていた。どうだ、実に無害そうであろう? こうやって油断させ、その暁には……。ふはは、せいぜい束の間の安楽を享受するのだな。



 さて、我がここで暮らして一月がたった。しばらく暮らしてみて、分かったことを整理するとしよう。


 どうやら今は、我が封印されてから十二年がたっているらしい。よって、当時十五の少女だったゼーヴィンは、今や二十七歳というわけだ。いや、これはかなーり衝撃的であった。


 驚くことに、あれから十二年たってなお、こやつは未だ聖女であった。聖女の現役寿命は短い。普通、この年ならとっくに引退しているだろうに、余程この仕事が好きなのか? まあ、強かったし、出世とかしているのかもな。


 さて、ゼーヴィンが聖女であることに変わりはないが、逆に変わったことをあげよう。


 ルべリオンの聖女は、そろいもそろって、ぴらっぴらきゃいきゃいっとした見た目をしている。そして、かつてのゼーヴィンも、まあ、それなりの格好はしていた。だがしかし、今のゼーヴィンは、首つまりのシャツにズボンと、物凄く愛想のない格好である。長かった髪の毛も短くしているし、完全にかわいらしさがない。まあ、これはあれか。年齢によるものなのかもしれぬな。三十手前では、ぴらぴらきゃいきゃいは流石に卒業か。


 また、こやつの今の生活であるが、どうやら夫も子供もいない独り身であるようだ。それだけでもかなりの変わり者だが、こやつは付け加え、友人もいない。少ないのではない。完全に! 一人も! 存在しない。即ち、まごうことなきぼっちなのである。


 仕事以外に唯一しているのは、酒を飲むこと。暇があれば酒を飲む。家に戻る時は、大抵酔っ払っているか、酒瓶を持っているかである。うむ、即ち酒カスなのだ。


 そして、こやつ、身の回りのことは何もできない。部屋は荒れ放題、食事は買い食いで済ませ、服はいつもくたびれてよれよれである。


 性格は、酒が入れば意地が悪く、平常時は愛想が悪い。基本的に怒りっぽいし、心は狭い方である。


 ずばり言おう。今のゼーヴィンはくずである、と。だが、そもそもこの女は、昔からやばい奴だった。


 我が初めてゼーヴィンと出会ったのは、こやつがまだ十歳、駆け出し聖女だった頃だ。聖女は聖騎士の後方支援をするのが仕事で、数こそ多いが、決して戦闘力は高くない。だが、かつての一戦。聖騎士、聖女連中が我を恐れ、逃げていく中、一人我に挑んできた幼い少女。それがゼーヴィンだった。


 その後も、ゼーヴィンは聖騎士そっちのけで前線に立ち続けた。幼い少女でありながら、その戦い方は、どの聖騎士よりも苛烈だった。やばい聖女がいる。魔物の中でそう囁かれ始めるのに、時間はかからなかった。血まみれ聖女、鮮血のゼーヴィン。少女はやがてそう呼ばれるようになった。そして五年の戦いを経て、我はこやつに敗れ、封印されたのだ。


 そんな女だ。まともに成長するとは思えなかった。ある程度ぶっ壊れていることも知っていた。だが、それにしてもこれはひどすぎはしないか⁉ 我の好敵手、最強の聖少女は、完全に人間のくずと化していたのだぞ⁉


 と、嘆いたところで、我とゼーヴィンの生活は続いていった。



 我、フェンリルの朝は早い。


「朝だぞ。起きろ、ゼーヴィン」


 まず、布団をはいで、眠っているゼーヴィンを起こす。寝起きのゼーヴィンが隣の部屋に行って、着替えている間、朝食をテーブルに並べ、茶を入れる。やがて、着替えたゼーヴィンが戻ってきた。昨日の酒のせいか、まだぐにゃぐにゃしている。それを席につかせ、手ずから朝食を食べさせる。ゼーヴィンがもっちゃもっちゃ咀嚼している間、髪の毛をとかし、ある程度身だしなみを整える。


「そういえば、今日は討伐だから、帰るのが遅くなりそうだ」


「了解した。それで、夕飯で、何か食べたいものは?」


「……あったかいやつ」


「ふむ。それなら、シチューを作っておいてやろう。温めやすいしな」


 最後、上着を羽織らせてやると、我は扉のところでゼーヴィン送り出す。


「さあ、気を付けて行ってこい」


「ああ、行ってくる」


 ゼーヴィンが出勤するのを見送って、とりあえず我は一息つく。その後、朝食を取ったら、我も仕事へ出発である。


「おはようございます」

「おはよう、フェンリル君」


 食事処に顔を出し、女主人に挨拶を済ませる。その後、厨房を一通り手伝って、昼食時には、注文を取りに出る。


「きゃあー! フェンリル君、今日もかっこいいー!」


 どうやら我の顔面は女性ホイホイなようで、集客が倍増しているとのことだ。


「ほんと、いいお婿さんになるわよねえ。器用で、愛想も良くて、何よりイケメンだし……」


 女主人にも、そして客にも、我はよくそう褒められる。ああ、有能な人材。我は今日も社会に貢献してしまった。


 夕方、仕事を終えた我は、食材を持って帰路に就いた。家に着いたら、さあ、夕飯の準備である。我は手早くじゃがいもの皮をむく。そういえば、ゼーヴィンは具材大きめが好みだったな。意識するとしよう。ふはは、さりげない気配り。やはり我は、いいお婿さ——


「って、誰がお婿さんだあああああ!」


 我は絶叫した。なんということだ! いったいいつからだ⁉ いつから我は、本来の目的を忘れ、日常に馴染み切ってしまっていた⁉ 


 いや、落ち着け。本筋に立ち返ろう。そう、復讐だ。我はゼーヴィンに復讐するため、あやつの家に潜り込んでいたのだった。


 幸い、ゼーヴィンは完全に油断しているはずだ。まるで使っていないために、我の魔力もそれなりに溜まっている。今夜がチャンスだ。奴を倒し、魔石を奪う。完璧な計画だ。


「ふはははは! 決戦の日は来たれり! いざ復讐を果たさん!」


 と、とりあえず、シチューだ。我に負けてしょんぼりの時、夕飯もなかったら、流石にかわいそうだからな。ふっ、これは勝者の施しなのである。


 ああ、楽しみだ。ゼーヴィンよ、早く帰ってくるが良い。我はうきうきでシチューを煮込んだ。



 遅い。遅すぎる。深夜になっても戻って来ぬゼーヴィンに、我は多少苛立っていた。遅くなるとは言っていたが、あまりの遅さに、百四十三回も決めポーズの練習ができてしまったではないか……!


 さてはまたどこかで飲んでいるな、あの酒カス。せっかく我が復讐しようというのに。


 それから、待つことしばらく。ようやくゼーヴィンが戻ってきた。


「ふはははは! 油断したな、ゼーヴィン! 今宵こそ、我が魔力、返してもらうぞ!」


 扉が開くと同時に、我は準備した台詞&ポーズを完璧に決めた。だが、部屋に入ってきたゼーヴィンは、そんな我をちらりとも見ず、すっと脇を通り抜けた。


「いや、無視って……。そういうのは、我も流石に傷つくというか……。のってくれとまでは言わぬが、せめて、こう……」


 瞬間、ゼーヴィンはばたりと倒れた。はあ……また酔っ払いか。まるで雰囲気が出ぬなあ……。まあ、とりあえず、起こしておくか。


「なあ、ゼーヴィン……って、おい! どうした⁉」


 その身体に触れ、我は愕然とする。身体が燃えるように熱い。その脇腹に、じんわりと血がにじみだす。こやつ、負傷していたのか⁉ おまけに体内の魔力が失せ消えている。魔力で傷口を塞いでいたのが、魔力切れで開いたのだ!


 我はその身体を抱き上げ、ベッドまで運ぶ。悪く思うなよ。そう思いながら、手当てのために服を脱がせる。皮膚の上には、腹部の新しい傷の他、いくつもの痛々しい傷跡があった。特に——これはひどい。かぎ爪の跡が四本、首筋から下腹部まで深々と刻まれている。


 そして、これをつけたのは我だった。いや、敵同士戦っていたのだ。こんなのは当たり前——そう思うのに、なぜ今更になって、こんなにショックを受けているのだ……⁉


 いや、とにかく、今は傷の手当をせねば。くそっ、回復魔法は苦手なのだ。体内の全魔力を使って、なんとか傷を塞ぐ。だが、魔力が底をついた途端、我はもふもふの姿に戻ってしまった。しまった! この姿ではできることが限られてしまう!


 そうするうちにも、ゼーヴィンが凍えて震え始める。ああ、どうすれば良いのだろう……。我は頭を抱えた。



 明け方、ようやくゼーヴィンは目を開けた。


「おお! 気が付いたか!」


「ああ……うん」


 ゼーヴィンは上半身を起こすと、

「というか、君、こんなところで何してるんだ?」

と、その身体にくっついていた我を摘まみ上げた。


「その……寒そうだったから、温めてやっていたのだ。あ、あれだぞ! へへへ、変なことはしておらぬからな!」


 我は弁明するが、いかんせんこやつのことだ。ぶちぎれて暴力とか、そういう展開が——


「本当だ。君、あったかいなあ」


 と、思いきや、ゼーヴィンは我を胸に抱きしめてくる。いや、どうした、ゼーヴィン⁉ 汝、そんなキャラだったか⁉


「ま、まあ、せいぜい我をもふもふするが良い。あったまるし、何より癒されるぞ」


「そっかあ。小動物ってのは、いじめる以外にも使い道があるんだね」


「あのなあ、我が言うのもなんだが、小動物をいじめるのだけは、本当にやめておけ。魔物や人間ならまだしも、小動物はな、ものすごーく印象が悪くなってしまうのだ」


「冗談だよ。君以外のやつをいじめたりするもんか。本当さ」


 そう言いながら、ゼーヴィンは、我をめちゃくちゃ撫でてくる。頭とか王道な部位から始まり、あっ、ちょっとそこは——的な部位まで……。いや、これは我慢だ。もふれと言ったのは我であるし、なんたって、こやつは病人なのだからな。


「あ、なんだか香ばしい匂いがする」


 そう言うや、ゼーヴィンは我を嗅ぐ……というより、吸い始める。うわ、吐息が直接——って、もはやこれ、口ついてるのでは? 口がついているということは、それ即ちキッ——


「うあああ、やめろおおお!」


 すまぬ! もう耐えられそうにない! 我はゼーヴィンの腕の中から飛び出した。


「あまり激しいのは……その、なしで頼む……」


 くそっ! ちょっと涙目になってしまったし、なんか変な言い方になってしまったではないか……!


「あはは、フェンリルはかわいいなあ」


 ゼーヴィンはけらけら笑う。驚いた。こやつ、こんな風に笑えたのか……。


「そうだ、君が手当てしてくれたんだろ? ありがとうね」


 そして素直……。こやつ、本当にあのゼーヴィンなのか?


「ま、まさか汝が魔力を切らすとはな。いったいどうしたのだ?」


「まあ……ちょっと、ね」


「あのなあ、ゼーヴィン。汝はもう引退ではないか。今まで数多くの聖女と会ってきたが、聖女など、一番上で二十少し過ぎだ。汝は二十七なのだろう? 三十手前になれば、体力も減ってくる。何か別の職を探すべきだ」


「この仕事をやめた後、私がどこで働けると思う?」


「なーに、そのようなもの、星の数ほど……」


 ない! 我は気付いてしまう。こやつの愛想のなさでは、絶対にどこも雇うまい! そもそもこやつ、戦闘力が高いだけの、社会不適合者なのだ!


「そそそ、そうだ、結婚しろ! 家庭に入れ! そうすれば、就職せずとも良くなるぞ!」


「それが一番できなかったんだよ、この十二年間」


 ゼーヴィンはふっと笑った。


「私は昔からかわいくないがきだったけど、年を取った結果、さらにひねくれたばばあになっちゃってさあ。こうなると、売れ残りも売れ残りだよ。あーあ、年は取りたくないね」


 え……なんかしんみりモードに入ってしまったぞ? 何か元気づける方法は——


「その、なんだ? 年を取るのも、悪いことばかりではない。ほら、十二年前に比べ、今の方が、確実に乳がでかくなった。我はそっちの方がタイプだぞ」


 ふはは! どうだ、こんなことを言われては、いつものように切れ散らかすしかないであろう? さあ、汚物を見る目でも、裏拳でも、縄縛りでも、何でも来るが良い! 


 だが、

「へえ、君、私みたいなのでも、そういう目で見れるんだ」

と、ゼーヴィンは目を丸くする。


 いや、なんだ、この反応⁉ なぜ突っ込まない⁉ 突っ込んでもらえないと、自分の発言が自分で恥ずかしくなってくるではないか!


「は、はあ⁉ そういう目とは何だ⁉ 勘違いするな!」


「あ、そうなんだ」


 いや、それはまたどういう表情なのだ⁉ あれか? これは否定しない方が良かったのか?


「ま、まあ、見ておらぬわけではないかもしれぬ。だが、それはそういう意味での見ているでなく、あくまで可能性として、他者の視線を我が予想すると……」


 焦りつつ、ゼーヴィンの様子を伺うと、いや、寝ているのだが……⁉ まったく、我の苦労は何だったのだ……。この女にはいつも振り回される。


 だが、まあ、こやつが無事なようで何よりか。ゼーヴィンの寝息を聞いていると、なんだか口元が和らいでしまう。我は布団をかけ直し、しばらくその寝顔を眺めていた。



 それから、ゼーヴィンはしばらく仕事を休んだ。その間、我は通常の看病の他、もふもふタイムを提供することとなっていた。


 膝の上に乗って撫でられるのは、案外気持ち良くて、我もそれなりに気に入った。ただ、抱きしめてくるのだけは、非常に困りものである。嫌というのではないが……まあ、我にも色々あるのだ。


「君はどうしてこんなにしてくれるんだ? 一応、私たちは敵同士だと思うんだけど」


 我を撫でながら、ある時ゼーヴィンは言った。


「そ、そんなの決まっておろう⁉ 我が復讐するまで、別の原因で死なせるわけにはいかぬからな!」


「ふーん。やっぱり復讐、まだ諦めてなかったんだ」


「ああ、そうだ……って、言ってしまったではないか! 汝を油断させ、魔力を取り戻すつもりであったのに!」


「馬鹿だなあ。それなら、私が倒れてる時に魔石を奪って、ついでに殺せば良かったのに」


「ふはははは、汝という宿敵にそのような手段で勝ってもつまらぬであろう? だから、早く元気になれ。復讐はその時だ」


「そっかあ。君は馬鹿だけど、いいやつなんだな」


 ゼーヴィンは微笑んだ。


 ぐ……そうやって笑われると、まるで敵意がそげてしまう。それどころか、なんだか、胸の辺りがぽかぽかしてきて、これはいったいどういうことなのだ? なんだかんだ言って、我はゼーヴィンのことを助けてしまったわけであるし、くそっ、我はいったい何がしたいのだ? この女のことを、いったいどうしたいのだ? 


 ああ、もう分からぬ。本当にこの女は厄介だ。もふられながら、我は悶々と思い悩んでいた。



 そして、ゼーヴィンは完治した。休みがまだ一日残っていたということで、我は引きこもろうとするゼーヴィンを連れ出し、街中までやってきていた。


「完治祝いだ。何かプレゼントさせてくれ」


「だったら、酒でも買って……」


「よーし、服にしよう。汝、仕事着以外持っていないからな」


 我はゼーヴィンを服屋に連れ込んだ。


「そう言われても、私は本当にどれがいいのか分からないんだ。君が適当に選んでくれよ」


「それなら……これとか良いのではないか? なんだかかわいいし、似合いそうではないか」

 

 我が一着を手に取ると、

「うわあ、君、やっぱり変態なんだな」

と、ゼーヴィンが汚物を見る目を向けてくる。な、なぜだ……⁉


「それ、下着だよ。それも、かなり攻めた。へえー、君、こういうのが好みなんだ」


「いや、違うのだ! これは、その、ただ勘違いしたというか……」


「ママー、あのお兄ちゃん、下着持って騒いでるよー!」

「しーっ、見ちゃダメ! あっ、でも無駄にイケメン……」


 と、ひと騒動あったが、我はその後なんとか一着をチョイスし、せっかくだから、とゼーヴィンを着替え室に突っ込んだ。


「なんだかこういうのは久しぶりだな。ひどいことになってないといいけど」


 現れたゼーヴィンの姿に、我は雷に打たれたように立ち尽くす。一瞬、十五歳のゼーヴィンがそこにいるのかと思った。そうだ、この服、ゼーヴィンの昔の衣装に似ているのだ。


「凄く……いい……」


「そりゃあどうも……って、いや、君、その表情は何なんだ?」


「分からぬ。だが、我、なぜか今、めちゃくちゃ泣きそうなのだ……」


「……フェンリル」


 ゼーヴィンは、ぽん、と我の肩を叩き、

「君、ちょっと疲れてるんだな。そういうのには酒がきくぞ? 分けてやろうか?」

と、憐れむような視線を向けてきた。


 そして、我らは店を後にした。


「いや、その服を着ていると、なんだか昔に戻ったみたいで懐かしくてな。髪型は違うが……。そういえば、なぜ短くしたのだ? 失恋でもしたのか?」


 我は軽い冗談を言った——はずだった。


「まあ、そんなもんかな」


「なっ……ゼーヴィン、汝にそんな感情があったのか⁉ いや、そんなことより、相手は誰なのだ⁉」


 って、我には関係ない。ないのだが、なんだか無性にそやつに腹が立つのだが……⁉


「とにかく、そんなやつのためにせっかくの髪を切ったなど、我は認めぬぞ!」


 そう言うと、我は突発的にゼーヴィンの髪を魔法で伸ばしてしまった。直後、我は魔力切れを起こしてもふもふに戻る。


「す……すまぬ! 後できちんと元に戻す!」


 うあああ、何をやっているのだ、我は! なーにが、我は認めぬぞ! だ! 身勝手に暴走、おまけにこの姿に戻るなど、めちゃくちゃ恥ずかしいではないか!


 しかし、

「別にいいよ。ちょうど伸ばそうと思ってたところだ。十二年ぶりだから、ちょっと慣れないけどね」


 ゼーヴィンはふっと笑うと、我を抱き上げ、肩に乗せた。


「な、何を……」


「大人しく乗ってなよ。魔力切れなら、疲れてるだろ?」


いや、顔ちっか! なんだ、これは! もふもふフォルムの時の距離感が、こやつ、やっぱりおかしいぞ⁉


「というか、ゼーヴィン、怒っていないのか……?」


「別に」


 むしろ、こやつ、ちょっと機嫌がいいような……。うーむ、分からぬなあ。


 さて、そうやって歩くことしばらく。キュートな我は、街の子供たちに目ざとく見つかってしまった。


「かわいいー!」

「怖いおばさんが、かわいいもふもふを連れてるー!」

「ねえ、おばさん! それ、見せて!」


 子供たちがゼーヴィンの足元にまとわりつく。


「怖い……おばさん……?」


 やめておけ、ゼーヴィン! 小動物と子供だけは、手を出したら本気でやばい! 我は内心で悲鳴をあげる。


 だが、切れ散らかすかと思いきや、ゼーヴィンは我を子供らに貸し与えた。我らが遊んでいるのを見守る、その表情がひどく優しくて、我はどきりとする。案外、こういうのがいい母親に……って、そんなこと、我の関与することではない! 余計なお世話であろうが!


「じゃあね、お姉さん! あと、もふもふ!」


 子供たちと別れた後、我々は街外れの高台へと向かった。魔力が回復した我は、人間の姿に戻る。そして、ゼーヴィンと二人、夕暮れに染まる街を見下ろした。


「奇妙だね。まさか君と一緒にこんなことをするなんて。いや、一緒に暮らしてる時点でおかしいか」


「本当だな。まったく、我らの関係性というのはいったい何なのだろうな」


「宿敵だろ?」


「宿敵……そうだな。汝に決して消えぬ傷を刻んでしまったこと、本当に悪かった」


「別にいいよ。この傷は、君が全力で私に挑んでくれたってことだ。むしろ気に入ってるくらいだよ。そっちこそ、私のことを恨んでるんじゃないのか? 私は君を封印してるんだし」


「封印……か」


 我は十二年間考え続けていたことを口にする。


「……なぜあの時、汝は我を殺さず、封印するにとどめたのだ? 殺す選択もできたであろう?」


「私は君に死んでほしくなかったんだ。命の取り合いの中で、君は私に本気で向き合ってくれた。私の全てを見て、知って、そして認めてくれた。君だけだったんだ、そんなやつは。君と対峙している時が、私は人生で一番幸せだった」


 ゼーヴィンは静かにペンダントを外した。


「君に返すよ。ずっとこれがほしかったんだろ?」


「……なぜだ? 力を取り戻したら、我は汝に復讐を果たすのだぞ⁉」


「なんでだろうねえ。でも、この十二年間、大して楽しいこともなかったし、ここで君に殺されてもいいかもしれない。なんたって、君は私の最高の宿敵なんだ」


 そして、ゼーヴィンは魔石を割った。瞬間、膨大な魔力が我の中へと戻ってくる。力がみなぎる。今なら元の姿へと戻り、そしてゼーヴィンに復讐を——


「あれ? やらないのか?」


 立ち尽くしたままの我に、ゼーヴィンが尋ねる。


「……分からぬのだ。我はずっと汝に復讐しようとして……いや、本当は復讐などする気はなかったのかもしれない。本当は、我はただ汝にもう一度会いたかっただけで……。そして今再会を果たし、こうして共に過ごして、側にいられることが途方もなく幸せで……」


 もはや疑う余地はない。我にこやつは殺せない。殺したくない。


「もしもかなうなら、我は汝と宿敵でない別の関係になりたいと、そう思ってしまったのだ」


「別の関係……ねえ。それはいったい何なんだ?」


「そ、それは考え中である」


「ふーん。まあ、好きにすればいいんじゃないか」


 相変わらず愛想のない台詞を言って、しかしゼーヴィンは微笑んだ。それだけで、胸が痛くて、熱くてたまらない。


 ゼーヴィンとどうなりたいのか。ゼーヴィンをどうしたいのか。本当は気付いている。だが、それは許されないことなのだ。結局、我は魔物で、ゼーヴィンを傷つけた敵でしかない。そんな我には、こんな感情を抱く資格はあるのだろうか。


 我はただじっと、ゼーヴィンの横顔を眺めていた。



 そして、また変わらない日々が過ぎていった。


 ある日、ゼーヴィンは、今夜の祝賀会で表彰されるからと言って、夕方頃に身支度を始めた。いつもより着替えに時間がかかる。そう思っていると——


「やっぱり、いつものに戻した方がいいかな」


 そ、それは我がプレゼントした服では……! あの日以来、着ていなかったが、着てくれたのか……!


「いや、それがいい! いつものも決して悪くない、いや、とてもいいと思うが、その服だと、その……特別にか、かわいいぞ!」


「……そりゃあどうも。それと、今夜はかなり遅くなるし、きっと酔って帰ると思うから、よろしく頼むよ」


「ああ、分かった」


 ゼーヴィンを見送ったところで、さて、我も会場に潜り込むか。ゼーヴィンの晴れ舞台。ぜひ見に行かなければ。ということで、我はもふもふフォルムへと変身し、城を目指した。


 途中、衛兵たちに姿を見られたが、

「もふもふだー!」

「かわいいー!」

と、それだけで易々侵入が許されてしまう。


 ああ、恐るべし。かわいいが、いかに人間を骨抜きにすることか。


 と、我は会場である王宮にたどり着いた。中庭はぴらぴらきゃいきゃいな聖女とぎんぎらぎんの聖騎士で溢れている。こうして見ると、やはり聖女たちは若いな。ほとんどが十代ばかりだ。年齢が高めな者らは、聖騎士の妻になった者たちだろう。


 さて、主役はどこに? ゼーヴィンを探していたその時、我はパーティーにそぐわぬ陰のオーラを感知した。まさかと思って見てみれば——いや、ゼーヴィンではないか⁉ あれ? 一応こやつ、本日の主役なはずでは? それなのに、隅の方で寂しく突っ立っておる。誰も話しかけない。あ、今、一人で酒を飲み始めた……。


 反対に、我の潜む茂み付近の聖女たちは、ひどく盛り上がっている様子である。


「いやー、ああはなりたくないよねー」

「分かるー! 人生終わってるもん」


 うわ、聖女、性格悪いな……。悪口でここまで盛り上がりおって……。


「聖騎士様たちも言ってたよ。自分たちより前に出てきてうざいって」

「そんなんだから結婚できないんだよねー、あの人」

「でも、結構むかつかない? 上層部には気に入られてるっていうか? 今日だって、謎に表彰されてるし」


 表彰……。まさか、こやつらが話しているのは——


「だって、明らかにあいつがおかしいじゃん? それなのに、私たちまであいつとおんなじこと求められて、迷惑なんだけど」

「聖女なんて、ぶっちゃけ、いい感じの聖騎士と結婚するためになってるわけ。適当に仕事を済ませたいのに、変に頑張ってる勘違い女のせいで、さぼりづらくなっちゃってさ」

「ほんと、さっさと引退してくれないかなあ、ゼーヴィンのくそばばあ」


 くそばばあ、だと?


「この前の討伐も、強制引退させようと思ったのに上手くいかないし」

「ねー! みんなで持ち場離れて、一人にしたのに、涼しい顔で戻ってきてさー」


 その時、

「あら? ゼーヴィンの話?」

と、三十手前ほどの女——おそらく聖騎士夫人がやってくる。


「マリエッタさん! そういえば、確かゼーヴィンさんと同期でしたよね」


「そうそう。だから、ゼーヴィンのことならかなり知ってるわよ」


 マリエッタはくすっと笑うと、言葉を続ける。


「ゼーヴィンは、ちょっと魔力が強いからって、昔から調子に乗っちゃっててね。先輩からも、聖騎士様からも嫌われてたの。だから、前線にぶち込んで、魔物にゼーヴィンをぶつけ続けたんだけど、なかなか死ななくて。だけど、十二年前、ようやくぐっちゃぐちゃになって……でも、しぶといのよ。再起不能って言われてたのに、二年くらいで完全復帰だもの。


 でも、あれからよ。ゼーヴィンがあそこまで腐ったのは。だって、ちょうど他の聖女が続々結婚していく時期に、ゼーヴィンは女として終了しちゃったんだもん。知ってる? ゼーヴィンの服の下、凄いことになってるのよ? だから、髪の毛切って、かわいい服も着なくなって、それでも聖女を続けるもんだから、痛々しいっていうか? だから、いくら腹が立っても、みじめ女のせいぜいのあがきだと思って、我慢してあげて。同期としてお願いするわ」


「ええー! マリエッタさん優しすぎですよー」

「そんなことがあったなんて、知りませんでした。その傷、見てみたいですねー」


 後輩聖女たちが口々に言う中、

「……でも、さっきゼーヴィンさん見かけたんですけど、ちょっといい感じの服着てましたよ。それと、髪の毛が伸びてました……」

と、おずおずと切り出す者があった。


 その台詞に、皆の視線が会場の隅へと向けられる。


「ゼーヴィン……調子に乗って……」


 一人の小柄な少女が舌打ちするや、ゼーヴィンのいる方向へと駆け出した。こやつ、何をするつもりだ? 我は短い脚で少女を追いかける。


「こんばんはあ、ゼーヴィンさん」


 少女はにこやかにゼーヴィンの前に立つ。


「ああ、リリアーネか」


「そんな服持ってたんですねえー。意外ですうー。それに、髪の毛も伸ばしちゃって、どうしちゃったんですかあー? そんなに頑張っちゃってー、って、きゃっ!」


 リリアーネは、前のめりに倒れたかと思うと、ゼーヴィンの胸元を思い切り引っ張って、ボタンを全て引きちぎった。


「ふわあー、ごめんなさあーい……って、わああー、その傷、どうしたんですかあー?」


 露になったゼーヴィンの胸には、深々と傷跡が刻まれている。


「君、いったい何がしたいんだ?」


「何がしたいんだって、私がわざとやったってことですかあ⁉ ひどいですう!」


 は? 理解できないことに、リリアーネが泣き出したのだが。そのせいで、怪訝に思った人間が続々集まってくる。だんだんと騒ぎが大きくなる中、ゼーヴィンは素知らぬ顔でまた酒を飲み始めた。


「私が怒らせてしまって……。多分、私が嫌われてるせいです。ゼーヴィンさん、前から私のこと役立たずって……。でも、私、血とか怖くて、戦うなんてできなくて……。ごめんなさい! 全部私が悪いんです!」


 リリアーネが激しく騒いでいるうち、

「おい、ゼーヴィン、またやっているのか⁉」


 聖騎士長と見られる衣装の男が、人垣をかき分け、二人の間に立つ。


「若い娘をいびるのもいい加減にしろ。お前の最近の横暴さは目に余る。長く居座っているから、自分が偉いとでも勘違いしているのか?」


「リリアーネ、大丈夫だったか?」

「気にすることはない」

「ゼーヴィンにからまれたのだろう? 怖かったな」


 取り巻きの若い聖騎士たちは、口々にリリアーネを慰める。


「それと、そのみっともない格好はなんだ? 気持ち悪い傷跡を晒して……。せいぜいいつものように大人しく隠しておけ」


 その時、

「まあまあ、そんなにゼーヴィンを責めちゃかわいそうよ」


 登場したマリエッタが、聖騎士長の腕に絡みつく。おそらく、マリエッタはこの男の妻なのだろう。


「この格好だって、ゼーヴィンなりに頑張ってるのよ。ゼーヴィンが着るには、ちょっとかわいすぎるかもだけど、気にしなくていいわ! ええと、胸を開けてるのはわざと? うん、私はいいと思うわよ? なんだろう、必死な感じが伝わってくる! きっと、誰かの目には止まるはずよ! かわいいリリアーネに張り合って、いじめるのはだめだけど、あなたが頑張るんだったら、私は応援してるからね!」


「はは、げてもののくせに色気づいたとは面白い。よし、お前たちの誰か、ゼーヴィンに構ってやれ! まあ、そんなことをしたい者がいればの話だがな」


「いやあ、さすがにゼーヴィンはなあー」

「ていうか、身体がひどいって本当だったんだな」

「おばさんが必死って、きっついなあ」


 嫌な笑いが場に充満する中、ゼーヴィンは死んだ目をして酒を身体に注ぎこむ。


『君と対峙している時が、私は一番幸せだった』


 汝らにゼーヴィンの何が分かるというのだ? 何も分からない、分かろうともせぬくせに——


 激しい怒りが身体を貫く。瞬間、光がひらめき、我は本来の姿へと戻っていた。


「うああああ! 魔物だ! 巨獣が現れたぞ!」


 人々が我の姿を振り仰ぐ中、我は一声吠えた。威圧の咆哮。それに気圧された人間たちが、地面にへたり込む。聖女はほぼ壊滅。なおも立ち向かってくる聖騎士も、我は容易く蹴散らしていく。


「聖騎士長! いったいこいつは……!」

「まさか生きていたのか⁉ こいつはだめだ! 全員、逃げろ!」


 真っ先に逃走する聖騎士長。その背中に一撃を加えると、我は周囲の聖騎士も同じように倒していく。一方的な蹂躙の最中、しかし、我の頬を何かが切り裂いた。ああ、懐かしい。


 振り向くと、そこにはゼーヴィンがいた。真っ直ぐに我を見つめ、立っていた。


「ふはははは! 久しいな、聖女ゼーヴィンよ」


「そうだね、魔獣フェンリル」


 我らは再び、聖女と魔獣として対峙した。


「さあ、今こそ再び、十二年前の戦いの決着をつけようではないか!」


 飛びかかる我に、ゼーヴィンはすかさず攻撃魔法を放つ。ゼーヴィンの力はまるで衰えていなかった。むしろ、当時よりもさらに強くなっている。ああ、こやつはいつもそうだった。出会う度、前よりも強くなってやってくる。我を見て、研究して、そして挑んでくる。


 聖騎士、聖女連中は、動けないまま、ただ我らの戦いを見つめる。


 もっと、もっとだ、ゼーヴィン! 汝の全力はまだこんなものではないはずだ! その強さを奴らに見せつけてやれ! 


 ゼーヴィンの放つ攻撃が、我の皮膚を切り裂き、血しぶきが上がる。妥協も甘えもない、重い一撃。それが次々と繰り出される。ああ、やはり、こやつにはかなわない。


 ついに力尽き、我は地面に倒れた。そんな我に、ゼーヴィンが歩み寄る。その姿が、十二年前と重なる。あの時も、我の返り血を浴びて、衣装が真っ赤に染まっていたな。鮮血のゼーヴィン、汝は最後まで最高の宿敵だった。


 我は結局、こやつの敵にしかなれなかった。だが、それでいい。聖騎士団を壊滅させた魔物。それを打ち取ったのを目撃すれば、誰もがゼーヴィンに一目置くだろう。その踏み台になれるのであれば、宿敵として何よりの喜びだ。


「……さあ、殺すが良い!」


 我は吠える。ゼーヴィンが手を伸ばし、何かを詠唱した次の瞬間、しかし、我の身体は温もりに包まれた。そのまま、物凄い速さで傷が癒えていく。


「なぜだ……?」


 ゼーヴィンは我に回復魔法をかけたのだった。


「我はこの十七年……ずっと汝を苦しめてきた張本人、宿敵であるのだぞ……⁉」


 聖騎士、聖女連中より、一番罪深いのは我だった。ゼーヴィンの人生を狂わせてしまったのは、一番傷つけてしまったのは、この我なのだ。


「フェンリル、私は君を好いているんだ。十七年間、ずっとね。そして、もう二度と君を失いたくないんだよ」


 ゼーヴィンは我の額に自分の額を当てる。


「今、宿敵としての戦いは終わった。これからは、君の言う別の関係ってのを始めようよ」


その言葉に、視界が涙で歪んだ。


「ゼーヴィン……。我は……我は……汝のことが、ずっと愛しくてたまらなかった。だから、これから先もずっと側にいたい。汝が笑う顔を近くで見ていたい。欲を言えば、我が汝を笑わせたい。辛い時は、もふもふになってでも癒したい。今まで傷つけてしまった分、一生かけて、絶対に幸せにする」


 そして、我は獣化を解く。


「愛してる」


 我は魔法で指輪を作る。そして、ゼーヴィンの手を取って、その指にはめた。ゼーヴィンは目を丸くして指輪を眺めていたかと思うと、ふいに抱きついてきた。


「あ、あのな、ゼーヴィン? 我、今はもふもふフォルムでないのだが……」


「……それくらい知ってる」


 離れた時、ゼーヴィンは相変わらずのすんっとした不機嫌面に戻っていた。


「そうだ、少し、やり残したことがあったのだ」


 我はそう言って、聖騎士、聖女連中に向き直る。


「さーて、今の若い連中は知らぬやもしれぬが、我、フェンリルには、獣王の威厳という魔力があってな。一度我に屈した者を、絶対服従させることができる。つまり現在、汝らの運命は、我の手の平の上ということなのだ」


 瞬間、空気が凍りつく。


「ふはははは! 聖騎士、聖女ども、汝らに命ずる! 汝らの持つ魔力を、我に全て捧げるのだ!」


 魔力を奪う。それは、現在の残量でなく、その器ごと奪うという意味だった。途端、彼らの魔力はその体内から抜け出し、我の中へと取り込まれていく。


「ぞ、ぞんなああ! 私の将来がああ!」


 リリアーネが、今度は本当に泣き始める。


「なぜ悲しむのだ? 汝は聖女を引退したがっていたし、ちょうどいいであろう?」


 一方で、聖騎士長夫妻は、

「最悪! これであんたが聖騎士長を下ろされたら、離婚させてちょうだい!」

「はあ⁉ いきなり何を⁉」

「あんたみたいなの、聖騎士長で高給取りだから結婚しただけなんだけど! 魔力がなくて、くびになったら、価値なんてあるわけないでしょ⁉」

「なっ……ふざけるな!」


 その他の連中も、各々で喚き散らし、この場は大騒ぎとなった。


「あはは、相変わらず君、チート級の能力だなあ」


 ゼーヴィンは朗らかに笑った。


「そうか? 極端に魔力量の少ない雑魚、付け加え、威圧ごときで戦意喪失する根性なしにしかきかぬ、実戦では大して役に立たない能力だ」


 まあ、今回のケースでは役に立ったがな。これで、我も少しは気が済んだのである。


「というか、これ、そろそろ逃げないとやばいんじゃないか?」


「それもそうだな。とりあえず、汝の家に帰るとするか」


「私たちの家だよ。まあ、この後またあそこに住めるかは分からないけど」


 そして、我はゼーヴィンと共に、めちゃくちゃの会場から逃げ出した。城を抜け、とりあえず街についたところで、一息つく。なんか、この先色々ありそうだが、まあ、今夜くらいは喜びの余韻に浸っても良いだろう。なんたって、十七年の思いが成就したのだからな。


 ゼーヴィンは、さっきからまた指輪を眺めている。我はそんなゼーヴィンを眺め……って、こやつの今の格好、なかなかに際どい! あの馬鹿に破られたせいだ! 今まで感動的な雰囲気だったから流してきたが、こうして冷静に見ると……いや、見るな! 馬鹿!


「ゼーヴィン、一旦、前をどうにかできないか? 家に着いたらつくろえるのだが……」


 ああ、前が開きすぎて、もはや中に着ているものまでちょっと見えて……って、あれ?


「それ、どこかで見たことがあるような……」


「ああ、これね。服屋に一緒に行った時、君が最初に選んだやつだよ。あの後、買っておいたんだ」


 我が変態呼ばわりされた、あの事件を引き起こした下着か……! しかし、なぜこやつは今、それを身につけているのだ?


「どういった風の吹き回しだ? あの時、別に服には興味がないと言っていたではないか」


「……だって、君がかわいいって言ったじゃないか。君、こういうのが好きなんだろ?」


 ゼーヴィンは不思議な表情をする。


「というか、あんまりじろじろ覗いてくるのは感心しないな。って、まあ、どうせすぐ見ることになるんだし、いいのか?」


 ど、どうせすぐ見ることになるんだし、だと……⁉


「そ、それは展開が早すぎないか⁉ いや、いいのだぞ? いいのだが……いや、良くない! 良くないぞ! こういうのには順序というものがあってな……」


「いったい君は何を言ってるんだ? 君に洗濯を頼むつもりだっただけなんだけど」


「え……」


「逆に今、何を考えてたのか聞かせてくれよ? この変態野郎」


 ゼーヴィンは汚物を見る目を向けてくる。


「わ、我は変態ではない! というか、変態と言及している時点で、汝にもその考えがあったのではないか……⁉」


 焦る我を一笑に付した後、ゼーヴィンはぷいっとそっぽを向いた。相変わらず意地悪いな、こやつ……。だが、そんなところが同時に、途方もなく愛おしく、かわいらしくて仕方ないのだがな。


「ママー、あのお兄ちゃんが変態だって、お姉ちゃんが怒ってるよー!」

「しーっ、見ちゃダメ!」

「あれ? でも、お姉ちゃん、すっごく幸せそうな顔してる……」

「だから、しーっ! あの二人は今、二人だけの世界に行ってるんだから、邪魔しないの!」

ぜひご意見、アドバイスをお寄せいただけると助かります。どうかよろしくお願いします。

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