【10】異端者
光秀には見たものが信じられなかった。
──バカな……ドラゴンだと!?
しかも、その背に美貌の若武者を乗せていた。
首実検で目にした織田信秀の首と、よく似た面影のあの者は──
──まさか……信長!? どうしてドラゴンなどに乗って現れる!? 何なのだ『この世界』は……?
いや、配下の兵や日根野、竹腰らの慌てふためいた様子を見れば、彼らもドラゴンの存在を知っていたとは思われない。
つまり、ドラゴンは本来、『この世界』には存在しなかった。
おそらくは『異世界』から現れたのだ。
光秀が『逆行転生者』として『未来世界』から現れたように。
問題は、どうして織田信長がドラゴンを手懐けているのかである。
「……殿! 日根野殿、竹腰殿も後ろの舟に姿が見えます! 大将衆は無事ですぞ!」
藤田伝五が言った。
光秀と同じ小舟の上である。
ドラゴンを目の当たりにした味方の士卒は恐慌に陥り、我先にと逃げ始めた。
その状況下で、伝五は蜂須賀党の船頭の一人を捕まえて説き伏せ、彼の舟に光秀とともに乗り込んで逃げることができた。
あらためて伝五が頼りになる男だと思い知らされたが、『川並衆』を含めた三千の兵が、一匹のドラゴンの出現で壊滅させられたのである。
結果、信長から勝幡城を奪うことに失敗した。
道三から借り受けた三百の兵のうち、幾らが無事に戻るのか、わからなかった。
川で溺れた者のほか、ドラゴンに怯えて行方をくらませる者があるだろう。
乾内記の行方も定かでない。
頭上に迫るドラゴンに向けて槍を振り上げ、威嚇し返すように喚いていたところまでは見たけれど。
勝幡から逃げ帰った者は皆、ドラゴンの出現を言い立てるであろうから、道三もそれが敗北に繋がったと理解はするだろう。
だからといって、大事な兵を喪ったことを道三が不問とするはずはなく、責めは光秀が負わされるだろう。
そして、一度は味方につけた『川並衆』が、二度目の勝幡攻めを目論んだところで協力することはないだろう。
日根野や竹腰も同様だ。
彼らは皆、ドラゴンと再び遭遇することを恐れるだろう。
光秀自身がそうであるように。
ドラゴンの出現で、全ての計画が崩れた。
光秀が『史実』を知るという優位性が完全に喪われたのだ──ドラゴンなど『史実』には存在しなかったのだから。
そして『史実』よりも早く父を喪った信長の不利は、ドラゴンを味方につけたことで帳消しになるだろう。
──いや。
考えるのだ。
架空の存在としてであれ、ドラゴンが知られた『未来世界』からの『逆行転生者』として。
『この世界』で──少なくとも、この時代の日ノ本で、ドラゴンの存在は知られていない。
中国的な『龍』と姿かたちが違うから、それと同一視はされないだろう。
未知の存在であったはずのドラゴンを、どのような経緯か信長は受け入れて、手懐けることまで成功した。
だが、『この世界』のほかの多くの者にとって、ドラゴンは正体不明の怪物でしかないはずだ。
それを乗騎のように乗り回す信長もまた、『この世界』では得体の知れない存在となるであろう。
そのように導くべきだった。
『この世界』の者たちの、ドラゴンへの理解を。
そしてドラゴンを操る信長が忌まわしい異端者であると、皆に知らしめるのだ。
信長を『この世界』から葬り去るために──
「……殿! 再び鳳凰が!」
伝五が叫んだ。
光秀自身が乗る舟も含めて、北へ漕ぎ進む美濃方の船団を追うように、南から飛来したのである。
金色のドラゴンが。
「上流からも、敵がッ……!」
別の舟で誰かが叫んだ。
見れば前から川の流れに乗り、松明を掲げた兵士たちを運ぶ舟の一団が迫って来る。
「……う、うわ、うわあああああ……!」
光秀は恐怖した。
不用意に立ち上がったので舟が大きく揺れた。
伝五が慌てて抱きついて、
「殿! 危のうござる! 落ち着きなされ!」
それから船頭に呼びかけた。
「舟を岸に着けよ! 陸を逃げるのだ!」
「何故だ! 何故だ何故だ! 何故ドラゴンなど……何故だァァァァァッ……!!」
光秀は絶叫したが、それに答えられる者はいない。
ドラゴンが、その頭上に迫った──
【第二章へ 続く】