第8話
「……戻ったか」
奏多を抱えて部屋に戻った私を出迎えたのは、シャワー上がりの愁さんだった。
「っス、ひとしきり泣いてすっきりしてきたっスよ」
「今日は疲れただろう――シャワー浴びたら、もう寝るといい。奏多のことは、俺に任せろ」
そういって、愁さんは奏多を外へと運び出した。きっと、家の前に小さく墓を作ってやるのだろう。私も本当は参加したいのだが、今は本当に疲れていて、気を抜くとすぐにでも倒れて眠り込んでしまいそうなほどだった。愁さんに言われた通り、今日は休んで体を回復させた方がいいだろう。
スラム街でのシャワールームは、東京市のものとはかなり様式が違う。水が充実している旧世田谷だが、ガスだけはどう頑張っても手に入らない。かといって、発電した電気を使って風呂用に水を温めるほどの技術も、発電量もない。
そこで、スラム街ではお湯を使わず水だけを使っている。具体的には、川から汲んできた水を頭の上から少しずつかぶっていく方式。一度切らした水は再び目黒川の上流まで取りに行かなければならないので少々面倒だが、体を清潔に保つにはこの方法しかない。
よほどの長風呂な人でない限り、1度汲んだ水であれば2人分は充分賄うことが出来る。私も例外ではなく、シャワールームを出た時には、ドラム缶の中の水は半分よりも少し上のあたりで止まっていた。
「……出たか」
体を拭き終わった私は、外から帰ってきた愁さんと目が合った。その手には、何も持っていない。
「奏多は、家の脇に埋めてやったよ。せめてもの償いだ──お前も手を合わせておけ」
外に出て家の脇に行くと、小さな墓が出来ていた。奏多、と書かれたこれも小さな墓石の前で、両手を添える。
「奏多くん──カレー、美味しかったっス」
そして、目を閉じる。脳裏に浮かんだのは奏多と、嬉しそうに話す蒼梧の顔。
(──せめて、蒼梧くんは取り戻して見せるっス。それで、もう一度……)
しばらくその体勢で彼の冥福を祈ると、私はゆっくりと立ち上がった。
「……また来るっスよ、奏多くん」
そう言って家に戻ろうとしたその時、そばを通り掛かった親子の声が聞こえてきた。
「ママ、見て」
「亡くなってしまったのね……可哀想に。あの人なら何とか出来るかもしれないけれど──」
それを聞いた瞬間、私は無意識に母親の方へ飛びついていた。
「あの人!?それって誰のことっスか!?」
突然私に話しかけられたことで、彼女は肩をビクリと震わせた。
「えっ!?えぇと、JDCの登坂さんよ。海外との交流も多いあの人なら、何か知っているんじゃないかしら」
JDCの、登坂さん──もちろん知っている。現在、日本国内で唯一海外交流を行っている、いわば《出島》のようなところだ。ハロウィーンの断罪の少し後に日本医師会の内部でクーデターが起こり、JDCが生まれたと聞いている。
その時、JDCのメンバーを指導していたのが登坂豪という人物だ。彼は現在、JDCのリーダーとして指導しているらしい。
実際に顔は見た事がないが、確かに彼ほどの人物なら何かを知っているかもしれない。
「分かりました、情報ありがとうっス!」
親子を見送りながら、登坂豪という人物について少し考える。
(登坂さん……何処にいるんスかね?最悪JDC本部に戻って、ここにはいない可能性も……)
思わずネガティブ思考に走りかけてしまうが、頭を振って切り離す。
「……えぇい、しっかりするっスよ千夜!あんたが頑張らないと、今度こそ奏多くんは永遠に戻って来れなくなるっス!」
自分の頬をぱちーんと叩き、私は家に戻った。布団を敷いている愁さんが話しかけてくる。
「奏多に挨拶は済んだみたいだな。今度は蒼梧にも──」
「愁さん、登坂さんって人が今何処にいるか分かるっスか?」
突然話題を振ったことで愁さんは少しきょとんとした顔をしていたが、すぐにいつもの彼に戻って言った。
「豪か?アイツならしばらくここに滞在するはずだぞ。しかし、どうして急に……?」
愁さんの言葉と同時に、脳裏に再び奏多と蒼梧の笑顔が浮かんでくる。愁さんの顔をまともに見ることが出来ず、目を伏せながら呟くように声を出した。
「もしかしたら、奏多くんが戻ってくるかもしれないんス。細い糸かもしれないっスけど、この可能性を捨てたくはないんス」
消え入りそうな私の言葉を、確かに愁さんは受け取ったようだ。彼は少し悲しそうな、そして嬉しそうな笑みを口に含めた。
「……分かった。明日の朝、アイツのところに行ってみるか」
翌日、私と愁さんは連れ立ってスラム街の南部へと向かった。
「ここは……」
前にトラックの出発したゲートはスラム街の北部にあるため、南部には今まで来たことがなかった。辺りを見回しながら何気なく呟くと、愁さんが答えた。
「そういえば、千夜はまだこの辺りに来たことがなかったな。俺達が今目指しているのはこのスラム街の最南端だ。そこにきっと、豪もいる」
「……病院でもあるんスか?」
「そんなところだ」
それからしばらく黙って歩き続けていた私たちの耳に、この辺に住んでいるらしい数人の女性の会話が聞こえた。
「――そう言えば聞いた?今回の東京襲撃、失敗したんですって」
「JDCの助けがなかったら全滅してたかもしれないらしいわ。まったく、最近の若い男は貧弱すぎるわね」
「それより、これから私たちの生活は大丈夫かしら……」
最後に聞こえた不安そうな声に、思わず胸が痛む。思えばあれは──
「愁さん、自分の……自分のせいで──」
最後まで言いかけた私を、愁さんは右手を軽くあげて制した。
「……放っておけ。今に始まったことじゃない──さぁ、行くぞ。あの建物の中だ」
私たちが入った建物は、全3階からなる、大きめの施設だった。受付らしき場所に男性が立っており、その脇にはAEDや担架などの医療機器が置かれていた。部屋の奥には何部屋か個室があり、「集中治療室01」「集中治療室02」「キッチンルーム」といった文字がみえる。そのさらに奥に、「101」から「119」まで番号の振られた個室が並んでいた。
そこまで確認して、私はようやくここがどういう場所なのか分かった。ここはJDCが経営している病院だろう。
建物に入った私たちを、見覚えのある顔が出迎えた。あの時東京市のタワーに乗り込んできた、銀髪の少年だ。
「愁さん!どうしたの?」
彼が愁さんの近くまでやって来ると、愁さんは一歩下がって私を促した。
「俺じゃなくて、用があるのはこいつなんだ」
そこではじめて、彼と目が合った。東京で出会った時と違い、今の彼からは、守ってあげたくなるようなあどけないオーラが滲み出ていた。彼は私の方を、興味津々に見つめてきた。
「キミは、確かあの時の……」
そこまで言いかけて、彼はあっ、と小さく声を出した。
「そういえば、ボクの自己紹介がまだだったね――ボクは登坂豪。これでもJDCのリーダーをやってるんだ。生まれつき持病を持ってるせいで、執務の方が多いんだけどね」
「えっ──」
思わず声を出す。まさか目の前にいる男の子が、クーデターによって日本医師会を表舞台から追い出し――実際には日本政府と癒着して人間兵器の研究を行っていたわけだが――後に海外交流によって日本国内に乱立する多くのスラム街への物資支援を可能にしたJDCのトップだというのか。
「えぇぇぇぇっ!?」
「関東広域放送の木場千夜っス。さっきは取り乱したりして申し訳なかったっス、まさかこんな……」
小さい子が、JDCのリーダーだったなんて。流石にそこまでは言えずに私が口ごもる。だが、私が皆まで言わずとも彼は察したようで、苦笑を浮かべた。
「あぁ、やっぱり驚くよね?こう見えても、ボクは今年で29歳になるんだ。持病のせいで身長が縮んで、実年齢よりもかなり幼くみえるけどね。……さて、ここに来るのは初めてかな、千夜さん?」
彼の言葉に、私はこくり、と小さく頷いた。
「そうか、良かった!少しばかりここを案内させてほしいと思ってるのだけど、いいかい?」
「……っ」
今はそれよりも、奏多の方を優先したい――だが、本当に奏多が復活するのか分からない以上、私の我儘の優先順位は必然的に低くなる。今は、なるべく多くの情報を集める方が吉だ。
私は再び、小さく頷いた。
数分後、階段を上って三回に来ていた私たちは、豪からこの病院が出来た経緯を説明されていた。
「……ここはもともと、4階構造の大きな病院だったんだ。でも、"ハロウィーンの断罪"のあと、この辺りにスラムができ始めると、整備する人がいなくなっちゃって――」
そこで言葉を切ると、彼は上り階段の前で立ち止まった。階段の前に建てられた看板には、「危険 この先、天井崩壊につき立入禁止」と書かれている。
「――そうしているうち、今から12年前にこの先、つまりこの建物の最上階が崩れてしまった。それを聞きつけたボクたちJDCが、廃病院になって誰も寄り付かなくなったこの建物を何とか生かせないかと思って、こうして立て直したんだよ。もともと病院だったというのもあって個室の数はかなり多いし、綺麗にしてしまえば担架だって十分使える代物だったしね。今ではこのスラム街唯一の、そして日本国内でも珍しい大きさの病院だよ」
そこまで説明すると、豪は私の方へと向き直った。ここから4階に上がれないことをみると、恐らくここで彼の説明は終わりだろう。
「……さて、次はキミが説明してくれる番だ。キミがここに来た理由はなんだい?さしずめ、昨日のことで何か気になった、といったところかな」
一階に戻ってきた私は、豪にまず頭を下げた。
「あの時は助かったっス、登坂さん。それで、単刀直入に聞くっス──誰かを復活させる方法、ないっスか?」
「ボクのことは豪って呼んでくれて構わないよ。それよりも……」
彼は少し視線を落とし、目を伏せた。
「……彼のことだね。心中お察しするよ」
そのまましばらく目を閉じた後、彼はゆっくりと目を開いて私の目を見てきた。
「これは噂でしかないけれど、どうやらアビスウイルスによって能力を獲得した人の中には、他の人を生き返らせる能力を持った人も存在するらしい。この手の話は、僕よりも彼女の方が詳しいと思うよ──智子!」
彼は、建物の奥で男性医師と話していた女性を呼んだ。彼女は全身をナース服で包み、黒いポニーテールを揺らしながら近づいてきた。そして、青色の綺麗な瞳で一瞬こちらを見、ぺこりと頭を下げた。
「初めまして。ここで看護師をしています、鈴原智子って言います。以後よろしく」
そう言って柔らかな笑みを見せた智子という名の看護師に、私は早口気味に質問を投げかけた。
「あなたが、復活させる方法を……?」
先ほどとはうって変わり、彼女は自信のある笑みを浮かべた。
「えぇ、話は聞こえていたわ。これも私が人伝いに聞いた話だから申し訳ないけれど……どうやら、その人はこのスラム街の奥──」
そこまで言うといったん言葉を切り、出入り口の方に進みながら私を手招きしてきた。私が彼女に続いて病院を抜け出ると、彼女はスラム街の北西を指さした。
「──あの山の中で、変わった人と一緒に暮らしているらしいわ。進、案内してあげて」
今度は、先程まで彼女と話していた男性医師がやってきて会釈した。
「しっかし、本当にこんなところにいるんスか……?」
1時間後。
まだ豪と話すことがあるという愁さんを残して病院を後にすると、私は水野進という名の医師と2人で、智子が教えてくれた山を登っていた。しかし、かなり上ってきたはずなのだが未だ人の気配はない。流石に不安になってくるが、進は智子の言葉を全く疑っていないようだった。
「あの人の拾ってきた噂話って、どういう訳か本当のものが多いんです!きっと今回もそうですよ!」
しかし、それを聞いても私は半信半疑でいた。第一、こんな場所ではスラム街にある発電機から電気の供給などとてもできない。食事の配給などもままならないだろう。そんな場所に人が住めるなど、よほどのサバイバルオタクでもなければ不可能だ。
「うーん……そう言われても、こんな場所に人が住んでいるわけ──」
「住んでますよ」
「「うひゃあ!?」」
突然後ろから声が聞こえ、進と揃って素っ頓狂な声を上げてしまう。恐る恐る後ろを振り返ると、そこにいたのは一人の男性だった。フードを被っていて顔はよく見えないが、恐らく話し方や声の質感からして、スラム街に住む人の中ではかなり年配な方だろう。
と、そこまで私が考えたところで、その男性が頭を覆っていたフードを外し、その素顔を露わにした。
「あなたは──」
話しかけてきた老人の姿を見、私は思わず呟いていた。
「岸井健介、首相……?」
最後まで読んでいただきありがとうございます!そろそろ書き溜めがなくなってきている、、、とっとと執筆しないと、、、
さて、最後にまたまた新キャラが登場!千夜さんが「首相」と呼んだ老人の正体と、彼よりもさらに癖の強いキャラは次回公開です!
それでは次回もお楽しみに!少しでも「面白い!」と感じてくれた方は感想なり評価なりレビューなり送っていただけると作者が泣いて喜びます




