第6話
「待っていたわ、奏多──私の、愛しの息子よ」
氷川美沙という名の女性は、僕を見るなりそういった。けれど、僕の親が彼女である、という記憶は僕にはない。
「どういうこと?僕が、あなたの息子って。あったのは今日が初めてなのに、どうしてそんなことが言えるの?」
美沙は時計をちらりと見た。
「10月30日午後11時59分、ね……あと1分もないか」
何かを呟くと彼女は僕たちをぐるりと見回し、全員に聞こえるように大きな声で話し始めた。
「いい機会だわ。この場にいる全員に教えてあげましょう……10月31日。今から17年前の、ちょうどこの日。何があったかはあなたたち全員が知っているはずだわ」
今から17年前のちょうどこの日──そういえば、僕がスラム街から千夜さんを探して飛び出したのはつい先ほど、つまり10月30日の夜のことだ。それから色々なことがあって今に至るが、その間に日付が変わっていたのだろう。
10月31日──つまり、僕の17歳の誕生日。
「"ハロウィーンの断罪"、だろ。ここ東京を中心に起こった、アビスウイルスのパンデミック事件だ」
兄さんが唸ると、美沙は感情のこもっていない笑みを向けた。
「話が早くて助かるわ。さてその日、私はいつものように出勤して、ここで働いていたわ。日本医師会のメンバーと一緒に」
──日本医師会といえば、クーデターにより解散する前は、旧東京都内の別の場所で活動していたはずだ。少なくとも、政府と共同で研究開発を行っていたという話は聞いたことがない。すると、同じ疑問を千夜さんが投げかけた。
「ど、どういうことっスか……?日本医師会が、どうして首相の秘書なんかと一緒に仕事を……?」
「不思議に思うのも仕方ないわね。冥途の土産に教えてあげましょうか──」
そこで言葉を止め、彼女が不敵な笑みを浮かべる。
「"政府に忠実な、完璧な人間兵器"の生産実験を行っていたのよ」
「──!?」
僕たち全員の反応を楽しむかのように舌なめずりをすると、美沙は再び話を続けた。
「私たちが目指したのは、その量産。その為に開発したのが、あなた達もよく知っている──
"アビスウイルス"よ」
誰かが息をのむ音がした。直後、千夜さんが掠れ気味の声で言葉を絞り出す。
「まさか、この下の研究施設って、日本医師会の──」
またも美沙は、不敵な笑みを浮かべた。
「あら、勘がいいのね。いいことだわ。さて、話を戻すけど──アビスウイルスの研究は着々と進み、ついに17年前の今日、人体への投与が始まったわ。その最初の被験体となったのが、この私」
「……なんだって」
兄さんの漏らした言葉に、彼女は笑みをいっそう強める。
「自ら望んだことよ。実験の成果は、私自身で試したかったもの。それに私は──いえ、これは次の機会にしましょう。生きていれば、ですけど」
そこで一旦言葉を切ると視線を落とし、過去のことを思い出すように目をつぶりながら、彼女は話を続けた。
「さて、その日私は衣服を脱いだ状態で投与用のカプセルに仰向けになって入り、まず内部を、生命活動が維持できる最低限の範囲まで真空に近付けていったわ。これは外気による影響を減らすためよ。そして私の呼吸は、人工呼吸器で行われたわ。その状態で私は、首筋から脳脊髄液に直接注射をすることでアビスウイルスに感染、それが体に馴染むことで、身体の強化または既知の物理法則をねじ曲げられるほどの能力を獲得するはずだった──」
彼女は自分の拳を握りしめた。言葉の中にも、凄みが増す。
「けれど、実験は失敗。私の体の中で暴走したウイルスは、私の体の外にまで影響を及ぼし始めた。私の入っていたカプセルには亀裂が入り、分裂、増殖能力を極限まで低下させておいてあったはずの他のアビスウイルスたちと私の体の中のそれは激しく共鳴しあった──」
目を開け、視線を外へと向けながらなおも話を続ける。
「──そして、共鳴によりありえない速度で増殖したウイルスは研究施設の外へと漏れ出し、ここを中心として光を放ちながら、世界中に飛んでいったわ。……これが、この日の真実。"ハロウィーンの断罪"の、本当の姿よ」
そこで視線を戻し、返事を求めるかのように僕の方を見る。
「それについてはよく分かったよ。けど、その話のどこに僕が関わってくるの?」
そう、今までの話の中で、僕──奏多については、何も語られていない。一聴すると何も関係がないように思えるが──
しかし、その質問を待っていたとばかりに、美沙は目を見開き、笑みを一瞬、より強めた。それは不敵というより、狂気的というべきか。
「……あの後、私は気が付くと割れたカプセルの中央で立ち、一人の赤ん坊を抱きかかえていたわ。それが奏多、いえ──"氷川彼方"、それがあなたの本当の名前よ。あなたは、アビスウイルスの実験過程で生まれた副産物──人ではないわ」
「――!?」
人では、ない。その一言で、僕を含め全員が言葉を失う。が、美沙は話すことをやめない。
「しばらくは面倒を見ていたけれど、旧世田谷スラム街がほぼ今の状態になった時に、どこかへ姿を消してしまったわ。けれどまた、こうして会えるなんて……」
快楽に溺れるような目で美紗がこちらを見てくるが、そんな目をした人物と、これまで出会ったことはなかった。非人道的な実験の末に生まれた僕に、こんな形の愛情を見せる人など──
「……知らない、僕はあなたのことなんて何も知らない!あなたの顔を見ても、名前を聞いても何も思い出せない!!」
「……なるほど、ウイルスの後遺症で幼少期の記憶をなくしているようね。それとも、自身の記憶に自分で蓋をしたか……」
僕の言葉を受け、美沙は暫く何かを呟いていたが、すぐに声を先程と同じトーンに戻した。
「……ともかく、今日はあなた達が知っての通り"ハロウィーンの断罪"が起きてから17年が経った日だわ。そして同時に、あなたの17歳の誕生日でもあるのよ」
嬉しそうに話す美沙に、千夜さんが食ってかかった。
「──だから何だって言うんスか?あなたに祝われるのは、奏多くんだって心外っスよ」
「千夜さんの言う通りだよ。親とはいえ、今の僕にとってあなたは敵だから」
僕と千夜さんの反論を受け、しかし彼女は怒りや悲しみといった表情を出すことはなかった。僕の顔を見ながら、なおもあの快楽に溺れているような顔で僕の方を見ながら、僕たちに向かって少しずつ歩み寄ってくる。
「そのエメラルドのような、緑色の透き通った目──あの時から変わってないわね……けれど、そんな固いこと、言わなくてもいいのよ彼方──さぁ、受け取りなさい!」
言うや否や、美沙は懐から素早く銃のようなものを取り出し、僕に突きつけた。それにいち早く反応したのは、僕から最も遠く離れていたはずの兄さんだった。
「危ない、奏多!!」
発射された弾丸は、僕を突き飛ばした兄さんを、代わりに貫いた。刹那、兄さんは弾かれたようにその場で崩れ落ちてしまった。
「──!兄さん!?」
慌てて近づこうとした僕を、兄さんは手で制した。
「だめだ、俺に近付いたら──ッ!?」
兄さんの言葉はそこで途切れた。気がつけば兄さんは、美沙に抱き寄せられるような形で捕らえられている。
「あらあら、5か月遅い母の日のプレゼントかしら!!お母さん嬉しいわぁ!」
そのまま彼女は彼をベットに押し倒すと、その近くの操作盤に指を滑らせた。数秒後、ベッドが兄さんをのせたまま突然フロアの下へと消え、再び戻ってきた時には、兄さんの姿はそこにはなかった。
「兄さんに何をしたんだ!どこにやった!?」
「彼はアビスウイルスの完成形、《Eclipse》に感染させたわ。今ごろはすぐ下の兵器収監場で高熱と痙攣の症状に悶えている頃でしょうけど、そのうち私たちに忠実な人間兵器へと生まれ変わるのよ」
再び、辺りを沈黙が包む。兄さんが──不器用で女性が苦手で、けれど誰よりも弟思いな蒼梧兄さんが、これほどあっさりと政府の人形になってしまうと言うのか。
沈黙を破ったのは、愁さんの掠れ声だった。
「……アビスウイルスの完成形、《Eclipse》だと」
愁さん言葉に軽く頷くと、美沙はなおも怪しげな笑みを浮かべながら話し続けた。
「そういえば、隆羅からいろいろと細かく教えてもらったそうじゃない。その理由はいたって単純よ──これから政府に忠実な人形となるのに、この建物の構造を知っておくのは必須でしょう?」
「──つまり、自分たちはみんな、あなたに銃弾撃ち込まれて蒼梧くんみたいになるってことっスか」
怒りのこもった千夜さんの言葉に、美沙は嬉しそうに頷いただけだった。
「えぇ、そうです。聞き分けが早いのね。けどその前に──」
美紗は銃を再び構えると、愁さんの足元めがけて銃弾を放った。直後、愁さんの呻く声が聞こえる。見ると、愁さんは自分の足首の辺りを両手で押さえていた。ズボンの裾を折って露わになった愁さんの足首から、血が流れ続けている。
「ぐっ!?」
「安心しなさい、その弾丸はあくまで動きを止めるもの。あなたはEclipseに感染することはないわ――さぁ、次はあなたよ、彼方。運が良ければ、さっきの彼ともまた会えるかもね」
そう言って、再び僕に向かって銃を構える。
「……っ」
今度は兄さんも、愁さんも守ってくれない。さらに、美紗の異様な視線に捕らえられているせいか、逃げようにも足が動かない。
この瞬間、今まで僕の身に起こった出来事が、走馬灯のようにフラッシュバックした。千夜さんとの出会い、東京市への潜入、そして――僕たちが捕まった時に隆羅に投げかけた、今まで忘れていた言葉。
――どうして僕たちにここまで詳しく教えてくれてるの?あなたからすれば、僕たちは言わば敵同士なんだし、少しおかしいと思うけど。
この瞬間、どうして隆羅が僕たちに詳しくこの塔の構造を教えてくれていたのかを、僕はようやく理解した。
この場で、全員消すつもりだったのだ。
「改めて誕生日おめでとう、彼方!これは私からの贈り物よッ!!」
狂気じみた言葉と共に、僕の体を今度こそ一発の銃弾が貫いた。背後で弾丸の落ちる音が聞こえるのを認識すると同時に、からだがその場で崩れ落ちる。
「……っは──」
「奏多くんッ!?」
千夜さんがたまらず駆け寄ってくるがもう遅い。お腹の辺りが、熱くて痛くて、苦しい。
「……あら、期待外れね」
僕を嘲るような美紗の冷酷な声が、急速に遠くなっていく。
「そんな……駄目っス、こんなところで……目を開けるっス、奏多くんッ!!」
遠いところで、千夜さんの声が聞こえる。涙が一粒、僕の顔に落ちるのを微かに知覚する。駄目だよ、泣かないで千夜さん。もう、僕は痛くも苦しくもないから──
目の前で揺らめいていた光が、温もりが、静かに消えた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
さて、話の最後で何と奏多くんが自称母の凶弾に倒れてしまいます。このまま彼が死んでバッドエンド……とはならないはずです。多分。
それでは、次回もお楽しみに!感想、評価、レビューお待ちしています!