第5話
「あ――」
兄貴、だって!?けれど確かに、愁さんは目の前の男に対し「隆羅の兄貴」と言った。
「どういうこと愁さん、彼は誰なんですか?」
「俺の実兄だ。詳しいことは、またいつか話そう。それじゃ――」
愁さんは大人しく、彼の兄らしい、櫻田隆羅という名の男に拘束された。
「そんな……」
僕のすぐ後ろで千夜さんが小さく呟くと、愁さんは苦笑のようなものを浮かべた。
「いいんだ、どうせそう遠くないうちにこうなるのは見えてたさ――そうだ兄貴、一つ頼まれごとをしてくれないか?」
愁さんから突然話を振られ、隆羅が愁さんの方を見る。
「……何だ?」
「なに、この建物をぐるっと回りながら行って欲しいのさ。なに、そう深い意味はない、ただこの3人に――」
愁さんはそう言いながら、僕たちの方を見てきた。
「――色々と見せてやりたいのさ。俺たちなんかよりも未来のある、若い世代たちだからね。色々なことを見て、感じて欲しい」
「……分かった」
隆羅は、僕が想像していたよりもあっさりと引き下がった。弟からの頼みということもあって、簡単には断りづらいということか。
「……よしお前たち、行くぞ。もちろん俺が縛ったままで、な」
「――この建物、《東京市セントラルタワー》は、全部で50の階層に分かれている。今俺たちがいるのは7階あたりだ」
そう言いながら何食わぬ顔で階段を登っている隆羅の後ろをついていく僕たちのさらに後ろで、くたびれた声が響いた。
「えーっ、まだ7階っスか?もう随分歩いたっスけど」
「千夜さん、落ち着いて。確かに階段の昇り降りが多かった割に実際に昇ってる階層の数は少ないけど、これって――」
「そうだ」
千夜さんと僕の会話に、隆羅が割って入る。
「この階層はダミーだ。2階から10階にかけては、曲がりくねった階段を通らせることで侵入者に心理的、身体的負担を催させる。ついでに自分が今何階にいるのか分からなくする、という効果もあるな」
「……なるほど、それであちこちに『建設中』の文字があったのか」
蒼梧の発言で当たりを見回してみると、確かにそういった看板や張り紙が至る所に貼られている。
「……ところで」
少し前から気になっていたことを、隆羅にぶつけてみる。
「どうして僕たちにここまで詳しく教えてくれてるの?あなたからすれば、僕たちは言わば敵同士なんだし、少しおかしいと思うけど」
少しの沈黙の後、隆羅は静かに口を開いた。
「……すぐに解る」
彼の言葉の意味が分からなかったが、とにかく情報を得られるのはいいことだ。このまま黙ってついて行こう。
それからしばらく歩き続けると、隆羅は大きめの扉の前で止まった。見た目は防火用扉とほぼ変わらない。が、扉の向こうから少しだけ何かの動く音や怒声が聞こえてきた。
「……ここから、セントラルタワーの中枢へと少しづつ近づいていく。――行くぞ」
そう言って、隆羅が一気に扉を開ける。今までとはうってかわり、中はとても煌びやかな空間だった。思わず目を細めた僕たちの目に入ってきたのは――ずらりと並ぶ、パチンコの台。
「ここって――」
いち早く目が回復した千夜さんが呟くと、隆羅が答えた。
「そうだ、ここ11階はカジノルームだ。同じような部屋がもう一つ、上にもある」
隆羅が言うと、あちこちから声が聞こえてきた。
「あぁクソっ、ここんとこずっと負けてばかりだ!よし、今度こそ……」
「ちょっと、やっぱり私にやらせなさいよ!」
「何言ってんだ、もう少しで元が取れるんだぞ!」
パチンコ台にコインを投入する肉付きの良い男性、ディーラーらしき男性の前で言いあっている一組の男女。彼らは、この塔の中に住んでいるのだろうか?
「……俺達の支援もせずにここでのうのうと賭け事とは、全くいいご身分だ」
兄さんが食いしばった歯の切れ目からそういうのが聞こえたが、隆羅に彼の声は届かなかったようで、なんの反応も示さなかった。
が、兄さんの気持ちもよく分かる。スラム街で暮らしている僕たちにとって、カジノ用品などはテレビの向こう側でしか見たことがない。賭け事に興じる余裕など、あそこには無いのだ。
「……行くぞ。ここは眩しすぎる」
流石に不快感を覚えたのか、隆羅が僕たちを引っ張って歩き出した。そのまま彼は、フロア中央に設置された螺旋階段へと向かう。階段の装飾も華々しく、隅から隅まで居心地が悪かった。
そのまま2フロア分階段を昇り13階へ。螺旋階段を登りきった僕の目に飛び込んできたのは、少し寂しい雰囲気の場所だった。
「……ここはもともと、最高裁判所として機能していたようだ。最近は裁かれるものが少なくなったおかげで、すっかり使われなくなったが」
「なんだか寂しいけど、落ち着くっスね……」
そう言って、千夜さんが目を閉じる。確かに先程のカジノルームに比べれば、ずっと居心地がいい。寂れた雰囲気は、どことなく夜のスラム街に似ていた。
「……次に行くぞ。もうここに用はない」
突然隆羅が歩いたことで、僕達は揃って転倒した。
「おい兄貴、いきなり歩き出すのはやめてくれよ。こちとら体が不自由なんだから」
苦笑混じりに愁さんがそう言うが、隆羅は答えない。
「……早く立て」
短く、そう言っただけだった。
「お前、少しは――」
「やめろ、蒼梧!」
食ってかかった蒼梧を、大声で愁さんが制する。
「今こいつに手を出せば、俺たちは本当の犯罪者だ。そうなるのは、俺だけでいい」
愁さんの言葉を、隆羅が鼻で笑った。
「フッ、面白い話だ……ここにいる時点で、全員が犯罪者なんだからな。綺麗事を述べたようだが無意味だ、愁。……さて、全員準備できたようだな。行くぞ」
再び隆羅は突然、しかし先ほどよりもゆっくりした歩みで歩き出した。今度は兄さんも何も言わず、皆が黙って彼についていく。3階分を使っている巨大な裁判所の周りを少しずつ上るようにして、僕たちは次のフロア――16階に辿り着いた。
「……ここは国会議事堂だ。最高裁とは違い、こちらは今でも現役で使われている。"ハロウィーンの断罪"以降、スラム街に対する対策が練られているらしい」
「そんなこと――」
再び兄さんが何か言いかけたが、愁さんが視線で制する。隆羅はそれに気が付かなかったようで、再び歩き出した。
「……今は何も行われていないな。次に行くぞ」
こちらも3階分使っている巨大な議事堂の外周を上っていく。ほどなくして、僕達は19階へとやって来た。
そこは、これまで見てきた場所とは大きく異なり、今まで僕が見たことのない雰囲気を醸し出していた。
「……ここは議員食堂だ。ここを設計したやつは、舞踏館をイメージして造ったらしい。昼のピーク時は、ここに数百人もの人が集まるらしいな」
食堂と聞いて、再び新たな質問が浮かんだ。
「ところで、ここで提供される料理はどこで作られてるの?見たところセントラルタワーの中じゃなさそうだし、かと言って外にもそれらしい建物はなかったけど」
僕の質問に、彼は短く答えた。
「……すぐに解る」
それだけ言うと、隆羅は黙って階段に向かって歩き出した。先ほどもそうだった、本当にその答えがこの先にあるのだろうか――少し心に引っかかるものがあったが、仕方なくついていく。少し長めの階段を上っていった先で次に見えてきたのは、ガラス張りの工場だった。
「……さっきの質問。その答えが、ここにある」
「……?」
「ガラスの向こう側を見てみろ」
隆羅にそう言われ、近づいて見てみると、ガラスの向こう側にあったのは、まるで畑のような場所だった。そこに生い茂る植物の周りを、ロボットが忙しなく動いている。
「これって……?」
「お前たちは見たことがないだろうが、こいつは"植物工場"という。あの作物の世話をしているのは人間じゃない、全て機械頼みだ。おかげで、東京市に農業できる者はいなくなったがな」
「……てことは、ここで食べ物を全自動で作って、それを提供してるってことっスね……」
「俺たちからしてみれば、喉から手が出るほど欲しい未知の技術だな」
しばらくその場から動かない僕と兄さん、千夜さんに向かって、隆羅が説明を続ける。
「植物工場は23階まで続いている。そこから上はこの場所と対比して"動物工場"という名前のフロアがあるが、こっちは27階まで続いている。これらを合わせることで、俺たちが生きていける最低限の食事を、東京市全体に回しているわけだ。ここなら季節や天候の影響も受けずに、供給が安定するからな」
それだけ言うと、彼は再びゆっくりと歩き出した。
「……行くぞ。ここからはエレベーターで28階まで上がる」
エレベーターを抜けた先の部屋は、今までとは違う雰囲気を纏っていた。
「何か、一気に雰囲気が変わったっスね……」
当たりを見回しながら千夜さんが言う。確かに、今までの殺風景な風景――カジノは除いて――とは全く異なるものだった。床には赤基調の絨毯が敷かれており、フロア内の壁にはカードの裏面のようなものがデザインされている。
そんな僕たちの思考を呼んだかのように、隆羅が頭を掻きながら呟いた。
「……タロットルーム、と言うらしい。ここは確か、『愚者の間』だったか」
それだけ言うと、彼は黙って進み始めた。――なるほど、タロットカードか。スラム街での少ない娯楽の一つを思い出し、心の中で納得する。しばらく歩き続け、重厚な扉の前で彼は止まると、自分の腕にかかっていた縄を解きながら、呟くように言った。
「……入れ」
隆羅の言葉に従い、愁さんを先頭にして僕たち4人は部屋の中へと入っていった。先ほどとは全く異なり、部屋は青基調のデザインになっている。部屋の壁には、何故か鎖のようなデザインが施されていた。全員が入ったことを確認すると、隆羅は僕たちの縄を解いて外の扉へと向かった。
「……お前の、さっきの質問。その答えが、この先にある。――あばよ」
部屋の扉を閉じながら、隆羅がそんなことを言ってきた。しかし、植物工場に入る直前で抱えていた質問には既に答えてもらっている。一体何を、と思いつつも僕たちは部屋の中央へと進んだ。
どうやらここは応接間らしい。同じフロアの廊下やほかの部屋とはまるで雰囲気の異なっている部屋の中央で、一人の女性が椅子に座っていた。こちらも隆羅と同じように全身をスーツで包み、メガネをかけている。
僕たちが部屋に入り隆羅が部屋から出たことを確認すると、その女性は椅子から立ち上がり、部屋の壁に設置されているタッチパネルに手を付けた。すると壁の一部が変化し、エレベーターが現れる。エレベーターへと向かいながら、彼女は短く言った。
「ここからは私が引き継ぎます。さぁ、ついてきなさい」
「――先ほど私たちがいた28階から35階までが議員寮、そして36階から48階までが国の研究施設となっているわ。……以上。49階まで行くわよ」
「……隆羅とは大違いだな、まるで説明になってない。そもそも名前すら名乗ってないし」
エレベーターの中で、女性が短く説明をする。それに対し少し大きめの声で愚痴をこぼした兄さんを、彼女はカエルと対峙した蛇の如く睨みつけた。
「当たり前です。あなたたちには本来、知る権利すら与えられていないのよ。こうして私が直々に情報を与えていることだけでも、光栄に思いなさい。――さぁ、そろそろ降りるわよ」
直後、エレベーターが静かに止まった。降りた先で僕たちの目に入ったのは、大理石で出来ている部屋だった。天井には巨大なシャンデリアが煌めき、部屋の隅にはこれも巨大な天蓋付きのベッドが設置されている。さらに、壁に取り付けられている広々とした窓からは、東京市とその周りが一望できた。壁や天井、そしてあらゆる家具に金の装飾が施され、ただ金で埋め尽くしたような造りのカジノルームとは違い、こちらは美しさも兼ね備えた部屋になっている。豪華絢爛という言葉が、おそらく世界で最も似合う場所だ。
この塔で初めて足を踏み入れることを躊躇った僕たちをおいて、女性は迷うことなく部屋の中央へと歩いていった。
「……そういえば、まだ質問に答えてなかったわね」
部屋の中央に立った彼女が、こちらを振り返った。
「私の名前は氷川美沙。現日本国の首相である、岸井東治の秘書をしています」
そして、最後に僕の方を見ながら呟く。
「待っていたわ、奏多――私の、愛しの息子よ」
最後まで読んでいただきありがとうございます!
今回は話の構成上、文章量がいつもより少し多かったですが読みづらくないよう何とか調整はしたつもりです、、、
さて、今回でさらっと名前だけ出てきた首相の岸井東治さんですが…これは後で気がついたことなんですが、「東治」という名前、東を治める、という首相の名前にはもってこいのものですね!作者はそんなこと全く考えずに名前付けをしていたのですが…(こういうとこ良くない)
さてさて、今回はどの時間ならより多くの方の目に止まることが出来るのかを検証するために9時投稿としました!来週は10時の予定です。
それでは長くなりましたが、次回もお楽しみに!