第25話
「お前……生きていたのか」
私たちの目の前に突如として現れたのは、私たちがセントラルタワー地下3階へと潜った時に出会った人物、日本医師会第五位《怠惰》のヌルだった。
予想だにしていなかった人物の登場に思わず進が呟くと、ヌルは東京市で会話をした時と変わらず、感情を全く表に出さずに答えた。
「あの程度の衝撃で、我は動じぬ。見くびってもらっては困る」
彼の発した声を聞き、先程彼の言っていた言葉を思い出した。「我が暇でなくしてやろう」、たしかそう言っていたはずだ。
「それで、あなたは私たちを暇でなくしてくれるのでしょう?一体何をしてくれるのかしら」
冷ややかに私がそう言うと、彼は先ほどと変わらず、感情の起伏を見せずに答えた。
「ここにいる人間を、一人残らず"掃除"する。それが東京市の、そしてこの国の総意だ」
目の前にいる人物が人の顔を宿していたならば、今どんな顔をしているのだろう──そんなことを考えていた私の隣で、吐き捨てるように進が言った。
「この国の総意、ときたか。結局、あんたも医師会の犬だったってことかよ」
「当たり前であろう。だがそれ以上に、我はこの国の行く先を見てみたいのだ。我は忠誠心から動く前に、好奇心で行動を起こしている」
彼が何気なく発した言葉に、私は食いついた。
「だったら、ここで未来を担う人たちを潰すのは悪手ってもんでしょ?それも分からない機械の体じゃないはずよ」
的確に痛いところを突いた──そう思った私の耳に、なおも感情の揺らぎを感じさせない声でヌルが話を続けた。
「お前たちはこの国を脅かす危険因子である──あの方がそう判断したのなら、我もあの方についていくまでだ。それに、お前たちを潰さねば、この国に未来は訪れぬと考えたからな」
……なるほど、この人物はどうやら、腐ってもあの女のペットのようだ。
「恨みはないが、この国の未来のために我はお前たちを排除する」
ヌルがそう言うと同時に、彼の体が──正確には右腕の形状が変化し、まるで某家庭用ゲームの主人公のような砲台が、その右手に装着されていた。
それを見て流石に進もたじろぎ、私のもとへと向かってきた。
「……どうする、智子?僕達の能力はどちらも戦闘向きではない。勝率はほぼ0だ」
いつもの漂々とした様子とはうって変わって弱気なことを言う進を、思わず私は睨みつけた。
「そんなの、やってみなきゃ分からないわよ。VOIDに関しては、どんな能力が相手に刺さるのかなんて、本人たちですら知らないのだから」
実際、前例はあるのだ。確か10年以上も前のことだが、過去を視るだけの能力を使って当時の日本医師会の第一位と第七位を失墜させたということもあったらしい。
一体どのようなカラクリを使ったのかなど今では分からないが、それでも今私たちが巻き込まれているヌルとの戦いは、やはり始まってみなければ分からないのだ。
「お前たちがどのような能力を有しているとしても、我の勝利は揺るがぬ。まずはお前たちもろとも、この建物を吹き飛ばしてくれよう」
そう言うと、彼はその大きさの体からは想像できないほど素早く照準を合わせ、何かを左手から放った。その先にいたのは──水野進。
「ぐはっ──!?」
あまりに突然のことで、彼はよける暇もないままヌルの撃った何かに直撃し、病院の入り口付近の壁に叩きつけられた。直後、辺りを暴風が包み、彼の体は砂煙に包まれて見えなくなった。その人工的に制御された風の流れを、私は豪さんから聞いたことがあった。
「進!?」
大丈夫だ、あれぐらいの威力を一発当てられただけで死ぬような彼じゃない。頭ではそう分かっていても、思わず体が彼の方へと動きそうになる。
何とか頭を振って体の向きを変え、私はヌルの右腕を見た。
「あの風の流れは、まさか空気砲……?けれど、あれはVOIDで得た能力というよりむしろ──」
あれこれと思考を巡らせていると、ヌルは今度は私に向けて照準を合わせた。
「もうひとつの我の能力を見ることすら、お前たちは叶わなかったな。それでは、あの男に冥土でよろしくと伝えておけ。案ずることは無い、じきここにいる人間はみな──」
しかし、ヌルの言葉は最後まで続くことはなかった。言い終える直前、どこからともなく飛んできた弾が見事に彼の胸部に命中し、その巨躯を後退りさせたのだ。
「──む?」
ヌルにつられて銃弾が飛んできた方向を見ると──そこには、彰三さんの家で休んでいたはずの櫻田隆羅が、大き目の銃を担いでこちらにやってくるところだった。
「なっ……!?あなたは、どうして──」
「俺のやるべきことをやりに来たまでだ。怖いのなら下がっているといい」
驚きを隠せない私に向かって、隆羅はヘリコプターで言葉を交わしたときと同じようにそっけない態度で応じた。そんな彼の様子に、VOID患者だったという様子は全く見られない。まさか、この短期間のうちにワクチンのみで回復したというのか。
しかし、思いがけない助けがやってきたお陰でこちらの状況も変わってきた。彼の持っている銃なら、ヌルに対抗できるかもしれない。
それに、私は今以上に危険な現場には何度も鉢合わせてきたのだ。この状況で下がっていろ、と言われて下がるような私ではない。
「生憎だけど、私たちはこの場所を守っていてくれって豪さんに言われちゃったから。今更逃げ込むことなんてしないわよ」
私の言葉を背に受け、彼は少し笑った──ような気がした。
「……好きにしろ。俺の邪魔だけはするなよ」
「えぇ、あなたこそね!」
* * *
「なぁ……っ」
どこからともなく放たれた一撃をもろに受け、健介さんがその場で倒れ込む。
その一部始終を食い入るように見ていた彰三さんも、彼と同じようにその場で座り込んでしまう。
僕は今まで彼に会ったことはないが、僕が再びこの地に生を受けた時に千夜さんがお世話になった、と言っていた。思わず、僕も小さく呟く。
「そんな……健介さん……」
しんみりとした場の空気を切り裂いたのは、心なき澪の一言だった。
「あら、あれほど強者っぽい風格を漂わせておいてあっけないのね。中身はただのおじいさんだった、ってことかしら」
彼女はやはり、かつての首相を淘汰するべき相手だと認知しているようだった。しかし、そんなことをする資格など彼女らにあるはずがない。
激しく怒りを感じて僕が一歩進みだそうとする直前に、隣から彰三さんの掠れ声が聞こえた。
「お前にあいつのことを語る資格は無い。せめてあいつと、同じ場所へ散れッ!」
そう言うと、彼は豪さんを助ける時にも使っていた浮く板で──確か豪さんは"反重力システム"と言っていた──一直線に澪のもとへと突っ込んでいった。その板は先端が尖っており、刺されば致命傷となり得る攻撃だろう。
しかし、その先端が彼女の1メートルほどにまで近づいたところで、突然ガキィィン!という音とともにはじき返された。その後何度もぶつかろうとするが、例外なくすべて同じ場所ではじき返されてしまう。
「ぐっ、埒が明かないか……」
そう呟くと、彰三さんはやむなく後退した。彼のぶつかったところには、紅くキラキラした欠片が散らばっていた。今も僕達を包んでいるバリアと同じように。
「あれは、さきほどの──」
豪さんの呟きに、彼女は嬉しそうに口を開いた。
「そう、私の能力は《晶化者》。いかなる攻撃も、私の紅水晶の壁の前では無意味です。それにね、この能力はこういうことにもつかえるのよ!」
そう言うと、彼女は右手を彰三さんの方へと向けた。危険を感じた彰三さんが飛び退る暇も、いち早く反応した豪さんが彼の能力を解放させる隙も与えず、その手から放たれたのは薄紅色の鎖だった。
「あぐっ!?」
その鎖に絡めとられ、さらにその先端を胸の辺りに突き刺されて、彰三さんは一瞬激しく顔を歪めた。しかし、すぐに意識を失ったようで、小柄なその体は澪の方へと引き寄せられ、金尾序の腕の中に納まった。彼の着ている白衣が、じんわりと紅く染まる。
「彰三ッ!?」
「あはははッ!このままいけば、被検体がまた一人増えそうですねぇ♪」
欲しかった"おもちゃ"を手に入れた時の子供のように無邪気に笑いながら、再び彼女の目に狂気の色が宿る。その目が次に捉えていたのは、僕の隣で警戒を続けている豪さんだった。
「改めて自己紹介させていただきますよ、皆さん。私の名は五十嵐澪──日本医師会第六位、7つの原罪の一角を担う、《暴食》の澪です」
そこで言葉を切り、彼女は豪さんを見つめているその目を少し細めた。
「よろしくお願いしますね、豪さん。そして──彰三さん?」
* * *
「う、嘘だ……」
誰が呟いたのか、しかしその声は間違いなくスラム陣営の方からだった。次いで、誰かが武器を取り落とす音。その音につられてバタバタと左右に波が広がっていき、それが止まった時にはもう誰一人として武器を持っていなかった。
完全に戦意を喪失したスラム街の奴らをよそに、俺は老人の亡骸へと少しずつ近づいていた。幸い、彼とスラム街のゴミ共との間にはかなりの距離があった。
「へっ、元首相が直々にお出ましにでてきたからどんなものかと身構えていりゃあ──」
そう言いながら彼の横へ立ち、靴の先でつん、と軽く突く。反応がなかったのでもう一度、今度は強めについたが、やはり何の反応も示さない。銃弾をぶち込まれたその体は、微塵も動くことはなかった。
この瞬間、俺は勝利を確信した。片腕を天にあげ、もう片方の手でお腹を押さえ、俺は腹がはち切れそうなほど身を捩って笑った。
「──このザマだぜ!まさかモブに一発ぶち込まれただけで逝っちまうなんてよ、最っ高にウケるわ!ヒャハァッ!」
「おやおや、誰が逝ってしまわれたのですかな?」
「へっ、そんなもん決まってるだろ!テメェが──」
言いかけたところで、俺は隣で喋っている人物が誰なのかを悟り、思わず後退りをしながら狼狽えた。
「なっ──確かに胸を貫いていたはずなのに──」
嘘だ、そんなはずはない──しかし、目の前の超常的な現象を否定しようとするのに反し、俺の脳は目の前にいる人物が岸井健介その人で間違いないと、何度も出力している。
そんな俺の様子に、彼は笑みを漏らした。
「ほっほっほ、驚くのも無理はないでしょう。長く首相をやっているとね、色んなことが沢山やってくるものですよ。それにつられて色んなものが身につくのですが、これもそのうちの一つにすぎません」
そう言いながらこちらを見据える瞳に、俺は今まで味わったことの無い感情を覚えた。恐怖に似ているが少し違う、これは──畏怖?
これ以上、この場にはいられない。本能的にそう察知した俺は逃げ帰るようにしてもといた場所へと戻り、すぐさま大声を出した。
「──撃てェ!!ありったけぶち込んでやれェッ!!」
俺の一声で自衛隊員がすぐさま発砲体制に入る。
直後、元首相に向けて一斉に鉄の雨が降り注いだ。その中には銃弾だけでなく、焼夷弾も含まれていた。俺も負けじと、二番目に好きな銃である《H&K G3》を構えて参戦する。
自分で言うのもなんだが、俺は射撃の正確さには自信があった。激しい煙に包まれる標的ですら、俺にとってはゼロ距離で標的を撃つのと同じ。
「ヒャハハハァッ!!流石にくたばったろ、あの爺さんはよォ!さぁお前ら、殴り込みに──」
──俺の射撃に、"狙いを違える"という文字など存在しない。故に、自衛隊の放った弾が全て外れていたとしても俺は確実に撃ち抜ける、そのはずだった。
「……ふむ、さすがにかなり痛いですな」
「──!?」
しかし、その男はあれほどの猛攻撃を受けても、額に一筋の汗を流すだけだった。
「おやおや、どうしたんです?鳩が豆鉄砲を食らったような顔して。いや、鉄砲を撃たれたのは私ですか……」
おどけたように肩をすくめる彼の仕草に、俺は恐怖を通り越して怒りが湧いてきた。
「んなこたァどうでもいいんだよジジイ!そこまで言うならこの俺──日本医師会第七位、《傲慢》の稜也こと、高野稜也サマが相手になってやるッ!!」
そう言って、俺はG3を目の前で佇む健介前首相に構えた。彼の余裕のある表情が、更に俺の怒りのボルテージを上げていく。
俺のG3にはちょっとした改造が施されており、主銃口の他にも追加で取り付けられた左右1つずつの副銃口からも、合計3発の弾を同時に撃ち出せるのだ。
しかし、3つの銃口を向けられてもなお、彼は頷いただけだった。
「うむ、若さに満ち溢れていますな。素晴らしい、いい事だ──」
俺と対峙するその男は、背中から一振りの金属製と思しき棒を引き抜いただけだった。まさか、そんなもので俺と相対しようというのか──しかし、彼はどういうわけかあの猛攻を防いだ超人だ。どんな手を使ってきてもおかしくはない。
G3を握っていた手に少し力を込めた俺の両眼を、前首相は再び妖しげな光を宿して見据えた。
「──しかし、私もまだまだやれるというところを、彼にも見せてやらねばいけませぬから。さぁ、どこからでもかかってきなさい」
最後まで読んで頂きありがとうございます!
今回のお話ですが、2週連続休載というとんでもないカードを切って何とか書き終えました。来年の今頃もう1回使いますすみません。
さて、今回のお話からいよいよ日本医師会の5~7位の方々が本領を発揮していきます!因みにカクヨムの方では、話し方が特徴的なあの方も参戦してたりするので是非そちらもご覧になってください。
そして、そんな日本医師会に対し、奏多くんや豪さんといった対抗勢力はどういった方法で彼らと戦っていくのかも考えながら楽しんでいただければ幸いです。「こんな展開を私は予想してました!」みたいなことを送ってくださるともっと嬉しいです!
やっぱり私があらすじに書いた通りバトル系に走ってしまいましたが……臨場感溢れる描写を意識しながら書き続けていく(書けるとは言っていない)ので、次回以降のお話も読んでくださると嬉しいです。
もちろん、感想評価レビュー等は変わらずいつでもお待ちしております!
それでは、次回もお楽しみに!




