第17話
「──我々日本政府は、あなた方を国家存続における脅威だと判断しました。一週間後の今日、我々の精鋭が断罪を執行します。首を洗って待っていなさい」
豪さんの手に乗っている小さなインカムから、冷たく重たい言葉が僕たち全員にのしかかる。それを受けて何も言えなくなってしまった僕たちをおいて、それからインカムは何の反応も示さなくなった。
「……どうやら通信が切れたようだ。彼女、今ごろはこの向こう側で高笑いしているだろうね」
インカムを小突いていた豪さんが顔をしかめると、智子さんが彼に話しかけてきた。
「豪さん、どうしますか?愁さんが亡くなり、加えて国からの宣戦布告──この情報をそのままスラムの人たちに伝えても、きっと混乱するだけですよね」
表情を和らげないまま、彼は小さく頷いた。
「彼女の言う通りだ。本当なら、この情報は僕たちだけで内密に処理しておきたい。けれど……これは、このスラム街全体、ひいてはこの国自体の問題だ。酷かもしれないけれど、早めに彼らに伝えて、準備をさせておくのに越したことはないと思うよ」
彼がそう言うと、智子さんが先ほどよりも大きな声を出した。
「でしたら、病院の方には私と進が説明しに行きます!」
それを聞いた豪さんは、ヘリに乗ってから初めて笑みを──苦笑のように見えたのは気のせいだろうか──浮かべた。
「ああ、頼んだよ。そして奏多くん、キミはボクと一緒にスラム街全ての人々に向けて説明をして欲しいんだ。きっと様々な叱責が飛び交うことになるかもしれないけれど……お願いしてもいいかい?」
それを聞いて、僕は思わずスラムの大人たちが僕を指差して責め立てる光景を想像してしまった。悪寒が走り、思わず唾を飲み込む。
けれど、僕には彼らの言葉を受け入れる責任がある。それが、兄さんをこの手にかけた僕の贖罪だ。
「分かりました。僕だって、スラム街のみんなのことは大切だと思ってますから──きっと、みんな分かってくれますよ」
その言葉に豪さんが満足げに頷くと、僕の隣から千夜さんがおずおずと手を挙げた。
「あのー、今んとこ自分、何も仕事が無いんスけど……まさか、一生ヒキニートでいろ、とか言い出したりしないっスよね!?」
すると豪さんは、どこか申し訳なさそうにしている彼女の両肩をがっしりと掴んだ。
「大丈夫だよ千夜、キミにして欲しい仕事はまだ残ってるさ。キミにしか出来ない、キミらしい仕事がね」
そう言うと、千夜さんに何やら耳打ちをしている。一通りそれを聞き終えた彼女は、先程とはうって変わり真面目な顔で腕を組んだ。
「……なるほど、分かったっス。でも、そのタイミングって──」
言いかけた彼女を手を挙げて制すと、彼は軽く頷いた。
「キミに任せるよ。キミならきっと、その時がいつか分かってくれるさ。それに、きっと彼らも手伝ってくれる」
彼女が再び何かを言う前に、ヘリを運転していた進さんの声がスピーカー越しに響いた。
「そろそろ着きます。着陸の準備をしておいて下さいね」
「戻ったかお前ら。で、収穫の方は……」
ヘリから降りてきた僕たちを、僕の父親である氷川清吾さんの家で待っていた彰三さんが出迎えた。
彼は口元に笑みを浮かべて僕らを見ていたが、隆羅さんと目が合った途端に何故か全身が硬直し、顔がみるみる険しくなっていった。
「……なるほど、見ない顔がいると思ったら、よりにもよってお前が拾得物とはな」
好奇心を抑えきれず、僕は彼に向かって恐る恐る聞いてみた。
「彰三さん、この人のこと知ってるんですか?」
彼は視線を少し下げて僕の方を見ると、少し表情を和らげて答えた。
「なんのことはない、ただの昔のよしみだよ。それより……」
今度は視線を豪さんの方へと向け、彰三さんは再び顔を険しくした。
「こいつをわざわざスラムに連れ込んできているんだ、相応の理由があっての行動なんだろうな、豪?答えによっては、お前と絶交しなければならないかもしれない」
そういえば、前から気になっていたのだが、どうして彰三さんは豪さんと話す時に敬語を使っていないのだろう?彼もJDCの一員らしいから、立場では豪さんの方が上のはずだが……
そんな僕の疑問をよそに、今まで見た事のない彼の様子に、流石の豪さんも表情を強ばらせた。
「彰三、キミの知識量を見込んで頼みがある。彼をキミの家まで連れて行って、このスラム街で──いや、この国で起こっていた"事実"を教えてやって欲しい。千夜も一緒にね」
どうやらその答えは彰三さんにとっては予想外なものだったようだ。彼は少し驚いたような顔をしていたが、すぐにため息交じりに笑みを浮かべた。
「はぁ、そういうことか。さしずめお前は、コイツに真実を見せて、JDCに引き込もうって魂胆なんだろうが……まぁ、俺にしか出来ないって言うなら仕方ない、手伝ってやるよ。まったく、望まずして得たこの力を、望まぬ目的で使うことになろうとはな」
そう言うと、彼はくるりと背を向けて歩き始めた。
「行くぞ、千夜、隆羅。山を登っていくから、今のうちに準備体操しておけよ。明日の朝出発するから、ひとまず清吾の家で休息をとるといい」
そう言いながらすたすたと足早に去っていく彰三さんを隆羅さんが静かに追いかけ、そのさらに後ろを、千夜さんが愚痴をこぼしながらとぼとぼ歩いていた。
「えぇーっ、またアレを上るんスか?もうコリゴリっすよ……隆羅さん、もし自分が倒れたらおぶって運んでほしいっス……」
しかし、隆羅さんはその場で少し考えた後、短く答えただけだった。
「……その場で置いていく」
心なしか楽しそうな彼に向かって、千夜さんはぎゃあぎゃあと騒ぎながら追いかけた。
「なっ、あんた本当に人でなしっすね!あっ、こら、ちょっと待て!」
そんな彼女の様子に、思わず笑みがこぼれてしまう。
「ふふっ……何だか、昔のスラム街に戻ってきたような感じですね」
そう言う僕の隣で、豪さんが苦笑を浮かべていた。
「同感だよ。本当に、彼女のああいうブレないところには、ボクも幾度となく救われてきた」
しばらく彼は余韻に浸っていたが、しばらくするとくるりと体の向きを変え、僕を含め残った3人と顔を合わせるようにして話を続けた。
「さて、それじゃあボクたちも行動に移そうか。今日はもう遅いし、ひとまず各々の持ち場に戻って明日になるのを待とう」
彼がそう言うと、すぐさま進さんが大きな声を出した。
「分かりました!それじゃあ、僕たちは病院の方に戻ってますので、またあとで会いましょう!」
「奏多くん、お互い頑張りましょう!豪さんのサポート、頼んだわよ」
早足でスラム街の南部にある病院へと向かう2人が少しずつ小さくなり、やがて見えなくなったのを確認し、豪さんがくるりと背を向けた。
「それじゃあ、ボクたちもひとまず愁さんの家まで行こうか。今は休息が必要だからね」
* * *
「……なるほど、状況は理解した。律儀に宣戦布告するとはありがたい、こちらも相応の準備をしなければならないな。しかし、あの愁がこんなところで倒れるとは……まだあの人には、やってもらいたい仕事がごまんとあったのに」
私と隆羅さんは、彰三さんが住んでいる清吾さんの家に向かう道中で事の顛末を彼に説明していた。話を終えると、彼は目を伏せて愁さんの冥福を祈った。
それからは全員無言で歩き続けていたが、しばらくして見慣れた家が見えてくると、その前で彰三さんが立ち止まった。
「ここは……」
隆羅さんが呟くと、彰三さんは私たちを玄関へと促しながら軽く説明を入れた。
「奏多の父親、氷川清吾が住んでいた家だ。もう彼はいないがな」
彼が発した"もういない"という言葉の意味を、隆羅さんはすぐに感じ取ったようだ。彼は顔を少し険しくして訊ねた。
「それは……VOIDによるものなのか?」
どこか思いつめたような彼の様子に、自然と私の顔も、そして彰三さんの顔も険しくなる。
「まぁ、結果的にはそうなるな。アイツは、自分が本当にしたかったことをしてから逝ったのさ。きっと愁もそうだったんだろう。あれも自分の遺志からの行動に違いない」
「自分が、本当にしたかったこと……」
隆羅さんが彼の言葉を復唱すると、彰三さんは私の肩に手を置いて笑みを浮かべた。
「あんたも考えてみるといい。幸いここにも、俺の家ほどではないが昔の資料が残っている。それに、この場所に関することなら、俺と千夜が何でも聞いてやろう」
それを聞いた隆羅さんは、軽く頭を下げた後に口を開いた。
「ならばその言葉に甘えて、一つだけ教えて欲しい──今のスラム街の現状を」
その言葉で、ここに来る前に豪さんから言われていたことを思い出す。
──大丈夫だよ千夜、キミにして欲しい仕事はまだ残ってるさ。キミにしか出来ない、キミらしい仕事がね。キミはどこかのタイミングで、今まで取ってきた写真を隆羅に見させて欲しいんだ。きっと、それが最後の一押しになってくれると思うよ。
今まで何度か行動を共にしてきた私を、そしてこの上なく純粋な隆羅さんを信じてくれたことによる行動だったのだろう。果たしてその瞬間は訪れた──まさに彼が言っていたのは、今この時だ。きっとここを逃せば、これ以上のチャンスは二度とやって来ないだろう。
「隆羅さん、これを見て欲しいっス」
直感的にそう判断した私は、首に提げていたカメラを下ろすと、それを隆羅さんへと手渡した。
「これは……?」
カメラを渡した私の真意を彼が分からずにいると、それを隣で見ていた彰三さんが小さく呟いた。
「……なるほど、そういうことか」
そして、隆羅さんの隣へと移動し、彼の持っているカメラを操作して、ある写真のところで止めた。そこに映っていたのは、私がここに来て初めて撮影した、清吾さんと奏多が写っている写真だった。
「隆羅、これはコイツがスラム街に来てから今までずっと取り続けてきた写真の数々だ。ここでの普段の様子は、これらの写真の中にすべて入っている」
「……なるほど、つまりこれを見ればこの場所の様子が分かるということだな?」
眉を吊り上げた隆羅さんに、彰三さんは何も言わず小さく頷いただけだった。
それを確認すると、隆羅さんはカメラを黙って操作し始めた。ほどなくして、彼の顔色や独り言に、驚いている様子が見てとれるようになった。
「そんな、だがしかし……」
ただならぬ彼の様子に、思わず私は口を挟んでしまった。
「どうしたんスか?もしかして自分が撮った写真、ブレブレだったっスか!?」
私の発言に、彼はただ首を振って答えた。
「いや、どれも綺麗に撮影されている。問題はそこじゃない──」
彼はカメラを操作すると、男性が共同調理場で料理をしている写真を私たちに見せた。
「例えばこの写真だ。俺は今まで、スラム街では海外から輸入したガスを使って爆発物の生産をしていると聞いていたが、調理場がこの様子ではそんな余裕などなかったのだろう──子のように、どの写真にも共通して、俺が今まで見聞きしてきたこととは、様子がまるで違うんだ」
それを聞いた彰三さんは、どこか呆れたように、それでいて怒りを込めたため息をついた。
「……はぁ、想像通りだな。純粋に正義を追い求めるお前に、あの日本医師会のジジイどもが面と向かって正しい情報を教え込むはずがない」
隆羅さんはそれを聞くと、悔しそうな顔を作った。彼がそうするのも無理はない、今まで信じていた"正義"は、全て"偽善"だったと知ったのだから。
しばらくその状態で耐えると、彼は少し震える声で私を呼んだ。
「……おい、キャスター」
「自分は木場千夜っス」
私が少し強めの口調で言うと、彼はうっすらと笑みを浮かべた。
「分かった……千夜、お前の能力を見込んで頼みがある。少し危険なことかもしれないが──関東広域放送の本部に、潜入してきて欲しい」
重々しい雰囲気の彼から発せられたのは、私にとってはいとも簡単な仕事だった。そう、関東広域放送は私の職場なのだから。
「なるほど、それぐらいはお安い御用っス!任せてくださいっスよ!」
私が自分の胸をドンと叩くと、彼から苦笑が零れた。
「ふ……まさかこの頼みが"それぐらい"と割り切られるとは思っていなかったな」
「何を言ってるんスか、私からすれば出張から久々に帰るようなもんっスよ!」
私が少し声を大きくして言うと、彰三さんが立ち上がって私の頭にぽんと手を置いた。
「そういう奴なんだよ、これは。それより隆羅、ひとまず今は休息をとるといい。先ほどの話は、あとでゆっくりと聞いてやろうじゃないか。とりあえずシャワーでも浴びてきたらどうだ?」
私の頭をわしわし撫でながら柔らかい口調で話す彼のペースに隆羅さんも乗せられたようで、彼は恨めしそうにカメラを見つめていたが、やがて口元に小さく笑みを浮かべて呟いた。
「あぁ、そうさせてもらうよ。どっこいせっと……」
そう言いながら立ち上がり、部屋の奥へと向かう隆羅さんを見送り──しかし、背を向けた彼の姿に、私は違和感を覚えた。
彼の足取りにも服装にも何ら不審なところはない。けれど、私が感じ取ったそれは理屈では説明できない、本能的なものだった。
──それは、ほんの好奇心からだった。私は自分の能力で、彼の服の向こう側を"透視"し──そこに浮かび上がっていた、会ってはならないはずのものに気が付いた。
大声を出すのを何とか堪え、私は震える声で彼を呼び止めた。
「──待ってくださいッス、隆羅さん」
私から発せられたその言葉と口調に、彰三さんが眉を吊り上げた。
「どうした、千夜?やけに深刻そうな表情だな、お前らしくもない」
だが、彼の発言を無視して、私は部屋へと再び戻ってきた隆羅さんの背中を指差した。
「隆羅さん……自分の背中を見るっス」
「俺の背中、だと?それがどうしたんだ?」
「いいから、早くして欲しいっス!」
私のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、彼は着ていたスーツを脱いで上体を露わにした。普段から鍛えているのか、隆々とした広背筋のすぐ下の辺りに──逆三角形と、目玉のような模様。
「これは──」
それは紛れもなく、彼がEclipseに感染している、という証拠だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!すみません今回も遅れてしまいました…まだ学校が始まってないので生活リズムが崩れ気味になっている、と言い訳しておきます。
さて、久々に第1話で用意した設定をラストに持ってきました!迷い続ける隆羅さんのEclipse感染と千夜さんの出発、そして日本政府の襲撃が1週間後に迫る中でのそれぞれの戦いを、是非次回以降もお楽しみください。
いよいよ最終章の幕が上がり始めます!それでは、次回もお楽しみに!