第15話
「が……ぁっ……」
私の目の前で豪さんが吐血する。同時に彼の力が目に見えて弱くなり、私たちは成す術なく氷川美沙の黒いオーラに押しつぶされた。
「きゃぁぁぁっ!!」
吹き飛ばされて壁に叩きつけられ、そのままずるずると床に座り込んだ私たちに、彼女は嗤いながらゆっくりと近づいてきた。
「おかしいと思ったのよ。この男とは今まで何度も顔を合わせてきたけれど、何故か今回は自分から攻めてくるわけではなく、こちらの力を押しとどめているだけ……違和感を感じていたところにあなた達がやってきてくれたおかげで、ようやく謎が解けたわ」
彼女は私と愁さんを指差して、言葉を続けた。
「さしずめこの2人のどちらかが援護射撃でもして直接私に手を下そうと思っていたのでしょうけど、どうやらあなたの作戦は徒労に終わったみたいね?」
私たちを一瞥すると、彼女は豪さんに向かって銃を構えた。なるほど、ここで全員殺す気か──
そんな思考がよぎった私の横で、豪さんが息を切らしながら話しかけてきた。
「愁さん、千夜さん……ここは危険だ。ボクをおいて、逃げてくれ……っ!」
「けど……っ!まだ豪さんは、私たちに必要っス!だから、おいていくことなんて──」
そう言いかけた私を目で制し、彼は今まで見せたことのない、柔らかな笑みをみせた。
「これでいいんだ、千夜。きっとボクがいなくても、JDCが潰れることはない。規模こそ小さくなるかもしれないけれど、ボクよりも若い人たちは確実に育ってきているからね。何も心配いらないさ」
そう言うと、彼は力なく俯いて動かなくなった。これから待ち受ける己の運命に、何の抵抗もなく従うかのように。
「さて、遺言は済んだみたいだし、もう言葉は要らないわね──さようなら」
冷たく言い放つと同時に、彼女は静かに引き金を引いた。
刹那、そこから放たれた弾丸が豪さんを襲い、胸を抉る──直前。
「な──」
声を上げたのは豪さんだった。彼に限らず、私も美沙もその場から動くことが出来ない。
それもそのはず、私たちの目の前で、誰も予期していなかった事態が起こったのだから。
「愁さんッ!?」
豪さんが叫ぶと、彼の目の前で仁王立ちになっていた愁さんが身体を震わせ、その場に倒れ込んだ。
そう──美沙の銃から放たれた弾が豪さんを襲う直前、愁さんがその身を挺して彼を守ったのだ。しかし、その場で崩れ落ちた彼は、微塵も動くことが出来ない。
「すまない、千夜、豪……」
その掠れた一言を聞いただけで、彼の意識が急速に遠ざかっているのが分かった。けれど、私の頭は突然のことに混乱していて、上手く機能してくれない。
──俺はあんたを、最後まで正しい道に戻してやれなかった、駄目な弟だ。許してくれ……兄貴。
微かにそんな声が、最後に聞こえた気がした。
* * *
蒼梧兄さんとの死闘を繰り広げ、その末に彼を破った僕のもとに、進さんと智子さんが駆け寄ってきた。
「奏多くん!!」
けれど、僕は兄さんの顔から目を離すことが出来ない。永遠に動かなくなってしまったその顔には、柔らかい笑みが張り付いたままだった。
「兄さん……戻ってきていたのに……」
「奏多くん……?」
心配そうな声で進さんが話しかけてきたが、それでも僕の悔恨は止まらない。
「僕が、この手で──っ!?」
最後まで言い終わる前に、僕の両側から突然圧力がかかった。一瞬遅れて、2人が僕に両腕を回していることがわかった。
僕にまとわりついていた血の臭いを、自責の念を、2人の柔らかく暖かな匂いが少しずつほぐしていく。
「大変だっただろう、奏多くん。今はゆっくり、休んでくれ」
「後は私たちに任せて。あなたは、もう十分頑張ったわ」
そう言うと、2人は僕の頭を撫でた。進さんの手はどこか愁さんに、智子さんの手は兄さんに似ていて、僕の体から緊張を取り除くには十分すぎるものだった。
「進さん、智子さん……僕、少しだけ眠いかも……」
この戦いでの──いや、もしかしたら東京市に初めて踏み入れてからずっと取れていなかった疲れが急激に押し寄せ、僕はゆっくりと目を閉じた。閉じた瞼から、一筋だけ何かが零れたような気がした。
* * *
奏多が落ち着いたのを確認すると、私は彼をスタジアムの端まで運んだ。
「お疲れ様。もうちょっと待っててね」
彼にそう囁いて頭をひと撫でし、私は鎧の人物へと歩み寄った。
「──さて」
私が隣に来たことを進が確認すると、彼は腕を組んでその人物に詰め寄った。
「約束だ。君は一体誰なのか、教えてくれ」
しかし、彼のそんな言動にも全く動じずにその人物は答えた。
「いいだろう。今更約束を破るなどと言った子供じみたことは、我はしない──まずは、我らのことを話しておこう」
声のトーンを変えずにそう言うと、不意に両手を私たちに向かって突き出した。刹那、その両手から青色のレーザーが照射される。私は思わず身構え、両手で頭を覆った。
しかし、いくら待っても痛みや熱さなどは感じない。恐る恐る目を開けると、2つのレーザーは私たちから少し離れた位置で重なっており、立体映像、すなわちホログラムを作り出していた。
そして、そこに映っていたのは、机を囲む7人の若い男女だった。
「我らは最初、7人の人物だけで構成された小さな集まりでしかなかった。しかし、その7人は今のお前たちが想像する以上に過酷な環境でもがき続けた結果、今の我らのような大きなものへと成長した。その7人に敬意を表し、以降我らの中で実力のある上位7人には2つ名がつけられることとなり──総称して《7つの原罪》と言った」
発せられた「7つの原罪」という言葉に、私は聞き覚えがあった。私が知っている物とは少し違う名称だが、そこに含まれている意味に違いはないはずだ。
「7つの、原罪……?それって──」
私が言いかけたのを遮り、その人物は話を続けた。
「そう、お前たちが今考えているものと同じだ。言い換えれば、"人間を死に至らしめる7つの罪──《7つの大罪》"、といったところか。暴食、怠惰、憤怒、邪淫、強欲、傲慢、嫉妬──これら7つの原罪から、人類を解放するという意味も込めているという説もある」
そこまで言うと投影していたホログラムを切り、その人物は自分の肩の部分を指差した。そこには、アルファベットのvのような削った跡がみえた。
「さて、前置きはこれぐらいにしておこう。改めて自己紹介申し上げる──我は名もなきただの機械である。便宜上ヌルと名乗っておこう。我は日本医師会第五位《怠惰》を担う、7つの原罪の一角である」
ヌルという人物のその発言に、私は先ほどのヌルの行動の意味を理解した。先ほどの記号はアルファベットのvではなく、ギリシャ数字の5、すなわち「Ⅴ」だったのだ。
「怠惰の、ヌル……?」
進がヌルの言葉を繰り返すと、ヌルは何の反応も示さずに再び淡々と話を続けた。
「我はもともと、日本医師会を作り上げた7人のうちの1人だった。そして、この機械の体に魂を移し替えることで生きてきたのだ。最早当時の記憶も、我の名前も、性別すらも覚えていない」
そこでいったん言葉を切り、空を見上げるように視線を上の方へと向けた。
「だが、ひとつだけ覚えていることがある──原初のリーダーとなった者の、『感情を定義せよ』という言葉だ。それを今でも守り、我は研究を続けている。人間の感情とはどこにあるのか、どう変容していくのか、それを常に模索しているのだ。どれほど時間をかけようとも、我らは与えられた命題に辿り着かなければならない」
そこまでヌルが言ったとき、突然塔の全体が揺れだし、私と進は揃って尻もちをついた。
「きゃっ!?」
ふらつきながらも何とか立ち上がると、ヌルは体のバランスを全く崩すことなく、スタジアムの奥へ向かってゆっくりとした足取りで歩き出していた。その間にも、上から天井の一部が崩れ、巨大な瓦礫が幾つも落ちてきている。
「どうやら、このフロアは潰れるようだな──話は終わりだ。行くがいい、未来を創世する仔らよ。いつかまた会おう」
その言葉を最後に、ヌルは落ちてきた瓦礫の向こうへと消えていった。
「くっ──奏多くん!!」
その場で佇むだけで限界だった私に代わり、進が頭を右手を使って守りながら奏多の方へと走っていく。数分後、彼が奏多を抱えて戻ってきたときには、揺れは落ち着いていた。まるで、嵐の前の静けさのように。
「エレベーターまで急ぐわよ!!」
エレベーターに乗り込み、そのドアが閉じた瞬間、最後の、そして最大の揺れが私たちを襲った。
「……落ち着いたみたいね」
上昇していくエレベーターの中で、私はため息をつくとその場に座り込んだ。
あれほどの揺れを受けても、幸いエレベーターは故障することなく動き続けていた。
「うっ……」
座り込んだ私の横で呻き声が聞こえる。
横を見ると、奏多が目を覚まして立とうとしているところだった。すぐさま進が駆け寄り、彼に話しかける。
「目が覚めたのか、奏多くん!良かった、立てるかい?」
「えぇ、大丈夫です。ちょっとだけ、肩を借りてもいいですか……?」
彼が立ち上がったのと同時にエレベーターが軽快な音を鳴らし、再び10階へと戻ってきたことを知らせた。音もなくドアが開き、『工事中』の看板が目に入る。
外に向かって一歩踏み出そうとした私を、進が止めた。
「いや、待ってくれ智子。僕たちにはいま、2つの選択肢が与えられている──」
そう言って、彼はエレベーターの反対の角を指差す。そこに目をやると、「49」と「50」の数字が、通常の文字盤とは離れた場所に位置していた。
「──このまま上に上がり続けて登坂さんたちの加勢に行くか、それともここで降りるか」
それを聞いて、私は黙って考え込んだ。
確かにこのままヘリまで戻れば私たちは安全だろう。しかし、いくら豪たちとはいえ、相手の陣地であるこの場所では何が起こるか分からない。やはり、援護に行くべきか──
この時、瞬時に答えが出せなかったことを、私はずっと後悔することになった。
そんな私の隣で、奏多がぽつりと呟いた。
「……僕は、上に行きたいです」
「奏多くん……?」
口を開きかけた進を首を振って制すると、彼は私と進の顔を、まっすぐに見た。
「さっき、兄さんが言ってたんだ──頑張って、って。だから、僕は最後まで、逃げたくないです」
彼の言葉にしばし沈黙した後、私と進は揃って笑いながら彼の頭を撫でた。
「まったく……本当に君は出来た子だよ、奏多くん」
「同感だわ。あなたのその決断、私たちは尊重しましょう──さぁ、殴り込みに行くわよ」
この先に何が待つかも知らず、私たちは自信に満ちた顔を互いに見合わせて、エレベーターの「49」のボタンを押した。
最後まで読んで頂きありがとうございます!
今回は投稿が間に合わなそう……ではなくこれ以上続けると文章量がとんでもない事になってしまうので変なとこで切ってしまったような気がするのですがいかがでしたでしょうか……?いや、決して「ヤバいこのままじゃ最後まで書き終えられねぇ!」と悟ったわけじゃないですからね!
さて、今回から少しずつ日本医師会の幹部を出していこうと思います。今回は5番目の人!性別不明キャラをいっぺん書いてみたかったのですがやはりこういう謎めいたキャラいいですね、作者は大好きです。残る6人は一体どんな方なのか、想像しながら読んでいただければ嬉しいです!
それではTwitterで尊い絵を見ていたらいつの間にか9時をとうにすぎていることに気がついたのが30分後だった私ですがこれからもよろしくお願いします!
この話を読んで少しでも面白いと思った方は感想など頂けると今後の活動に励みが出るので是非お願いします…!
それでは、次回もお楽しみに!




