第14話
「な──」
一発の銃声と共に、苦悶の声が静かな部屋に響き渡る。
私が撃った弾は狙い違わずその人物──櫻田龍羅の片足に命中し、彼はその場で体勢を崩した。私はすぐに自分の透明化を解くと、彼が持っていた銃を拾ってその中の弾を床へと撃ちつけた。
「お前は……なるほど、逃げたわけじゃなかったのか」
どうやら、彼にとってこの出来事は予想外だったようだ。冷静に見えるその顔にも、若干の驚きが見てとれる。
そんな彼の様子に優越感を覚え、私は片手を腰にあて、もう片方の手でカメラを構えた。
「ふふん、自分が愁さんをおいて逃げるとでも思ったのが運の尽きだったっスね。はい、チーズ」
私がシャッターを切ると、今度は愁さんが進み出た。
「もう一度言おう、兄貴。俺が言うことは何もない──何故なら俺は、まだスラム街のリーダーを止めたわけじゃないからな。そして、足を撃たれてはとれる動きもとれないだろう?」
そう言われた龍羅は苦笑を浮かべた。少し悔しがるような、残念そうな表情だった。
「これは……一本取られたな。今回は引き下がってやろう。だがな、四肢を撃たれようが、脳漿をぶちまけようが、俺は何度だってお前のもとに現れるぞ、愁。この言葉、よく覚えておけ」
早くも下の階に降りるエレベーターの方へ向かっていた愁さんは、少し足を止めるとニヤリと笑った。
「あぁ、いいぜ。次に会うのは牢の向こう側じゃないといいな」
そして、私の方に視線を向け、今度は自信たっぷりな笑みを浮かべた。
「さて、行くぞ千夜。今度は、俺達が豪を助けに行くターンだ」
* * *
「はぁぁぁっ!!」
「せぁぁァァ!!」
互いの気合が、僕たちのいる部屋でこだまする。次いで、金属と金属が激しくぶつかる音。一瞬の静寂を挟んだのち、僕は兄さんの薙刀に吹き飛ばされた。
「あぐっ──」
背中から地面に叩きつけられ、かすれ声が出る。右手に握った剣を杖代わりにして立ち上がると、僕は思わず苦笑を漏らした。
「……さすがだよ、兄さん。僕とは大違いだ」
しかし、兄さんは僕とは真逆の反応を示した。まるで、僕の言葉に嫌気がさしたように、顔が険しくなる。
「先ほどから何だ、その馴れ馴れしい呼び名は。私は血縁のある弟もいなければ、弟子を取るほどの実力もない。私はお前を、ただ仕事の道具として斬り捨てるまでだ」
その言葉は、もう何度も聞いた。
彼はすべて忘れさせられてしまったのだ。スラム街のことも、僕のことも。そして──自分自身さえも。
そんな彼が見せた顔を、僕は今まで見たことがなかった。
「それでもあなたは、僕にとっての兄さんなんだ……っ!!」
「む──」
両手で剣を持ち直し、そう叫び返しながら僕は兄さんのもとへと突っ込んだ。彼が薙刀を身体の前にかざそうとするが、少し反応が遅れたせいか僕の剣先が僅かに彼の額に触れる。それだけで彼の額からは血が流れ始めた。
しかし、兄さんはそんなことなど気にしてはいないようだった。額から流れてきた血を拭うこともせず、彼はただ不気味な笑みを浮かべただけだった。
「……少しは反応速度を上げてきたようだな。面白い、興が乗ったぞ。ならばお前がどこまでやれるか、試してやろうじゃないか」
そう言うと、兄さんは腰を低く落とし、薙刀を頭の上にかざして防御の態勢をとった。
その彼の行動を見、僕は気が付くと剣を構えて走り出していた。兄さんとの勝負を、ただ純粋に楽しんでいたのかもしれない。
「はぁぁぁっ!!」
雄叫びをあげながら突っ込んでくる僕を、しかし兄さんはいとも簡単にかわすと、薙刀の刃がない部分で僕の背中を思い切り叩いた。
「あが……っ」
バランスを崩してその場で倒れた僕を、兄さんが高々と蹴り上げる。攻撃の反動と背中を突かれた衝撃で動けない僕に向かって、彼は薙刀を縦横無尽に振りかざして猛攻をかけた。
しばらくして彼の動きが止まったとき、僕は成す術なくその場に転がり落ちて動くことができなかった。
「奏多くん!?しっかりするんだ!!」
不意に視界が暗くなり、進さんの叫びもどこか遠いもののように聞こえる。そんな状態の僕の目に映ったのは、少しずつこちらに近付いてくる兄さんの、冷酷な顔だった。
* * *
「来たね、2人とも」
エレベーターの扉が完全に開く前に外に出た私と愁さんの目にはいったのは、こちらに笑みを見せる余裕がありつつも服のあちこちに破れや煤けのみえる豪さんだった。
「大丈夫っスか、豪さん!?」
私が思わず駆け寄ると、豪さんは含んでいた笑みを苦笑に変えた。
「大丈夫だよ千夜、このとおり耐え続けているさ。言っただろう?ボクだって、伊達にJDCのリーダーを務めているわけじゃないんだよ」
どうやら、服こそぼろぼろになっているものの、彼自体に大きな損傷はないようだ。
そんな彼の様子に安心していると、私たちの前から聞きたくない声がした。
「あらあら、増援が来たかと思ったら揃いも揃って見慣れた顔ね。まったく嫌気がさしてしょうがない」
視線を前方へと移すと、そこには私たちの因縁の相手──奏多の母だという氷川美沙が、顔をしかめて立っていた。
「さぁ、人数で言えばこちらの方が有利だよ、美紗さん。戦うメリットはそっちにはないと思うのだけど、どうかな?」
余裕のある笑みを再び浮かべた豪さんが、美紗に声をかける。しかし、彼女は豪さんと同じく不敵な笑みを──こちらは少し狂気的な色を見せたが──浮かべて答えた。
「あら残念、あなたも落ちたものね。そこの二人が来てくれたお陰で、新しい目標が生まれたもの」
その答えに、豪さんは笑みを崩さず、ただ眉を少し釣り上げただけだった。
「へぇ、興味深いね。この状況下でキミがどんなことを言うのか、ボクも気になってきたよ」
豪さんがそう言うと、彼女は浮かべていた笑みをさらに狂気的なものへと変えた。
「私がこの戦いで得られる最大のメリットは、まだ残されているわ──スラム街とJDCを同時に潰せるというメリットが!!」
言い終えると同時に、彼女の身体からどす黒いオーラが噴き出し、一気に私たちの方へと向かってきた。それは、貪欲に何もかも我が物にしてしまおうという意思の感じられる、悪意の滲んだ一撃。
「はぁっ!!」
しかしその直前、豪さんはすでに動いていた。彼女と同じように、こちらは透き通った純白のオーラを放っている。
「2人とも、ボクよりも後ろに!!」
両手を美紗の方へと向けながら、彼は私と愁さんを自身の後方へと誘導した。私たちが移動を終えたのを確認すると、視線を美紗の方へと戻して、今度は少しずつ彼女を抑え込んでいく。
目の前で繰り広げられている戦いに、私は既視感を覚えていた。
「この光景、どこかで──」
そして、思い出した──それは、以前ここに来た時も私の脳裏によぎった、関東広域放送の映像データだった。
その時は、圧倒的な力を誇った豪に唯一相対することができるだろうと思っていた、黒いオーラを放つ女性──その人物こそ、まさに今目の前にいる氷川美沙だったのだ。
その氷川美沙は、今は豪さんの圧倒的な力に押され、額から汗を流している。
「ぐ……」
明らかに焦りの色が目に見える彼女に、豪さんは大声で呼びかけた。
「もうそろそろ観念してくれてもいいんじゃないかな?今のキミでは、ボクには間違いなく勝てないよ」
そう言う間にも彼の力の奔流は大きくなり、美紗の放つ黒いオーラは確実にその大きさを狭めている。
そんな二人の様子に、私は思わず呟いていた。
「これは、もしかしたら、本当に──」
──あの氷川美沙を、この場で倒すことができるのではないか。
そんな思考が脳裏にちらついた、私の目の前で──
不意に彼がその場で倒れ込み、吐血した。
* * *
僕に少しずつ近づいてくる兄さんを見た瞬間、僕の意識は急速に現実へと引き戻された。何度か瞬きをして顔を起こすと、彼の顔は先ほどよりもよく見えた。
──まだ、兄さんを助け出せていない。だって彼の目は、こんなにも暗く、哀しそうではないか。
その一心で立ち上がろうとするも、再び体制をぐらつかせてその場に膝をついてしまう。
「かはっ、かはっ……」
そんな僕の様子に、彼は半ば面白そうな、半ば残念そうな視線を向けた。
「次は、みねうちでは済まさないぞ。……しかし、こうもあっけないものとは。そなたなら、もっと私を楽しませてくれるかと──む?」
彼が最後まで言い終える前に、僕は再び動いていた。
膝を使って、先ほど視界の端に映った僕の剣に向かって少しずつ歩いていく。その間、兄さんは何もしてこなかった。
「ぐ、うっ……」
かなりの時間をかけて──少なくとも僕にはそう感じた──ようやく剣に辿り着くと、僕はなけなしの力を振り絞って右手でその柄を握ろうとした。だが、指先に力が入らず、何度も取り落としてしまう。
その様子を見ていた兄さんが、目を細めながら再び僕の方へと歩いてきた。今度は、薙刀を構えて。
「なるほど……もうそなたには、その剣を握る力も、気力も残されていないという訳か。もうよい、そなたも疲れただろう。ならばせめて、私の手で一思いに消し去ってやろう」
兄さんが僕に向かって、薙刀を大きく振りかぶり──
ガキィィィン!という大きな音とともに、兄さんの体は薙刀ごとはじかれて数歩後退りした。
「……ほう」
僕がとっさにかざした左手で握っていたのは、攻撃手段としては心許ない短剣だった。
彼が薙刀を振り下ろす直前、僕は想造者の力を使い小さな短剣を生成し、それを左手で握っていた。それによって僕は兄さんの薙刀を弾いたのだ。
同じく僕も弾かれたが、その力を利用して僕は立ち上がると、再び全身に力がみなぎってくるような気がした。再び剣の柄を握りながら、兄さんに向かって叫んだ。
「確かに僕は、もう体力も、精神も尽きかけているかもしれない。けど──この戦いに勝って、またみんなでスラムまで帰るまでは、何度だって立ち上がって見せるッ!!」
僕の、心からの叫びに、彼は困惑したような表情をみせた。
「……理解できないな。一体、何がそなたをそこまで燃え上がらせるのか」
そんな様子の彼に、僕は柔らかい笑みを向けた。
「そんなの簡単だよ、兄さん。他ならぬ兄さんが、僕をこうしているんだ」
それを聞いた彼の表情からは、困惑の他に、混乱の色も見えた。
「私が……?」
「そうだよ、兄さん!ねぇ、こんなことしてないでスラム街に帰ろうよ!みんな待ってる……愁さん、千夜さん、そして何より僕だって!!」
僕は再び叫んだ。瞬間、のどに痛みが走り、思わずせき込む。
しかし、その叫びは確かに兄さんに届いたようだった。
「うっ……!?」
彼はその場にうずくまり、頭を抱え込んだ。突然彼の様子が豹変したことで、僕は疲れも全身の痛みも忘れ、彼のもとへとかけよった。
「兄さん!?大丈夫──」
「触るなッ!!」
僕を弾き飛ばすと、彼はなおも頭を抱え、何かを呟いていた。
「く──そんな、はずは……私は、この地に生を受けてからずっと、この場所で鍛錬を……ッ」
それを聞いた僕は、再び叫んだ。
「違う!!兄さんはずっと、僕と愁さんと暮らしてきたんだ!!」
「えぇい、黙れッ!!そなたの妄言など信じられるか!!」
僕の話に聞く耳を持とうとしない兄さんに、僕はあらん限りの力で叫んだ。
「妄言なんかじゃない!!僕はあの、不器用で女性慣れしてなくて、それでも誰より優しかった兄さんが──ずっと、大好きだったんだッ!!」
瞬間、僕の喉が完全に潰れ、再び激しくせき込む。同時に、喉を刺すような痛みが僕を襲った。
しかし、目の前で起きていたことに意識を奪われ、僕はその痛みを瞬時に知覚することはできなかった。
「う……あぁぁぁァァァァァッ!!」
兄さんは、突然僕に向かって薙刀を振りかざしながら突撃してきた。
恐らく、日本医師会に植え付けられた記憶と、スラム街で育った頃の記憶が交錯し、絡まり合って彼の行動に影響を及ぼしているのだろう。
そう──彼の記憶は、完全に消去しきれていなかったのだ。それは、その人物の最奥部で眠り続け、何人たりとも侵すことの出来ない領域──すなわち、魂の記憶。
「なっ──駄目だ、兄さん!止まってッ!!」
兄さんに向かって、僕はそう叫んでいたつもりだった。しかし、ここまでの無理が祟ったのか、僕の喉からは小さな掠れ声しか出なかった。
そして、なおも彼の突撃は止まらない。恐らく、このまま何もしなければ兄さんは僕を串刺しにするだろう。しかし、それは同時に、彼を無力化する、おそらく最後のチャンスでもあった。
──もう、手段は選べない。ならば、せめて相打ちに。
そう判断し、僕はその場から動かず、ただ静かに剣を振りかざした。ぎりぎりまで彼を引き寄せ──
「はぁぁぁぁッ!!」
そして、僕は剣を横薙ぎに振るった。直後、兄さんの体は腰のあたりで真っ二つになり、上半身が宙を舞った。
そして、僕の命も同じく、兄さんによって刈り取られる──はずだった。
しかし、何秒経っても、僕の体に彼の凶刃が届くことはなかった。恐る恐る目を開けると、薙刀の刃は、僕の腹から少しそれたところを通過して止まっていた。最後の最後で手元が狂ったのだろうか……?
ぼんやりとそう考えていると、僕の耳に囁き声が聞こえた。
──ごめん。俺は君を傷つけた、最低な兄だ。向こうで見てるから、頑張ってね……奏多。
刹那、僕は瞬時に理解した。兄さんは手元が狂ったのではなく、自らの意志で刃を逸らせたこと。そして、僕の知っている兄さんが、この瞬間に戻ってきたこと。
しかし、その言葉を最後に、蒼梧兄さんの声は途切れた。彼の体がどさりと音を立てて落ちたとき、既にその燈火は消えていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
今回も何とか間に合いました…バイトやらボランティアやらで書き溜めをなかなか作れないのでそろそろまとまった時間が欲しいです。
さて、例によって今回もストーリーに触れていきます。以下ネタバレ注意!
物語中盤、千夜さんsideは後に続けやすいようにラストを書きました。そこから先はどう書こうか迷っている最中ですがどうかお慈悲を…
そしてラストシーン、蒼梧兄さんが最後の最後で自我を取り戻しますが…。今回の話を書いていて思ったのですが、どうも私はサブキャラの生い立ちとかを書くのが苦手です。もっと序盤で蒼梧君について掘り下げていればよかった、、、と後悔していたりします
さて、次回では遂に日本医師会の秘密の一端が明らかになったりします!今回しゃべるだけでほとんど出番のなかった鎧の人の正体とか出てくるので是非次回も読んでいただけると嬉しいです!では!




