「炎」第二十八話
大剣が振り下ろされる直前、私は美しいものを二つも見た。
一つは走馬灯。自分の血が繋がった息子をしっかりと抱き、こちらに微笑みかける妻の笑顔だった。
まだ小さいあの子を置いてこの世界に来てしまった、あの日の些細な言い争いさえなければ、ケンカした数時間後にはそれを皮肉った笑い話をしていたことだろう。
もしも自分が居れば彼女は炎で死ななかったかもしれない、若くて力だけはあったから、今は非力なこの腕でしっかりと妻を抱き、息子を挟んで命の喜びに震えていたことだろう。
でももう過去には戻れない。戻る場所も、帰りを待つ人も、全て燃えてしまった。この手も、何の罪も無い、生きるために生まれて来た命の涙が染みついている。たとえ戻る事が出来るとしても、抱きしめられない、抱きしめてはいけないのだ。
死を、自分のしたことへの報いを受け入れた瞬間だった、それを見たのは。
キラキラと舞い落ちてくる光、大小さまざまな大きさの輝きを纏い、それは落ちてきた。
一見細く見える体には、大の男すら打ち負かすほどの筋肉がまとわりついている。
あれだけ辛い稽古だったのに、弱音を吐かず剣を握り、体を酷使している姿を見るのが辛かった。
(あんな無理な運動させなかったら、もっと背が伸びていたのかな)
豆だらけのごつごつした手に握られている剣は震えていた、力も技も申し分ない程鍛えられてはいるが、中身はまだ、十七の子供だ。
背負わせるものがあまりにも重く、今この時でさえ、この少年がした選択はまさしく勇者の名を冠するに相応しいだろう。
(剣さえ握らなければ、今頃ホープちゃんとデートでもしてるんだろうか)
幸せな、罪なき善人のあるべき姿が脳裏に浮かんだ。
この少年は本当に不幸だと思う、生まれてからまだ一年も経たずに父親を失い、さらに7年後に母親を失い、知らない男の家で10年を過ごす羽目になった。
泣いたっていいはずだ、怒ったっていいはずだ。
なのに、なのに。なのに!
(どうして、お前は逃げなかった!?)
自分の想い人を抱えて遠くに行くこともできたはずだ、あの子は頭がいいから、数分前に見せた新しい家が何処にあるのかぐらいは分かるはずだ。
そこで二人で暮らして、子供が生まれて、巣立ってからはしばらく趣味に没頭したりして、皺で目が何処にあるのか分からないぐらいに年を取って、ある日眠るように死ぬ権利、それがあの少年にはあった。
城内で数回剣を交えて、あの子は勝てないことを理解した、なのに硝子を破って降りて来た。自分のやりたいことも権利も、全て投げ捨てて!
(……死ねない)
恐怖に震えながらも笑うその少年の顔に、私は我を忘れる程の罪悪感と怒りを感じた。
まだ剣も骨も折れてない、いや折れていようが関係ない、まだ動けるなら、動け!
体中に熱湯を流されたような痛みは無いのと同然だった、私は理由を得た、罪人の自分でも、本気で願わなければいけない、願いたい理由を得た!
(許せ、友よ。『六法』……奥義)
腕と足腰に力を籠めると、その後はもはや自分の目ですら捉えられない程の太刀筋だった。
風と音が捻じ曲がるほどの速さ、剣を振り下ろし目の前の老人の右肩を切り、切り上げると同時に大剣の半分を圧し折り、最後に右肩から左腰までの広い範囲に剣を走らせた。
「……『裂』」
ブレイバの囁くような一言……次の瞬間、大剣を支えきれなくなった老人が、数メートル吹っ飛んで転げ回った。
降り注いでいた硝子は、ブレイバの周りには欠片も存在することは、許されなかった。




