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冷遇王子の花嫁になりました  作者: 二夜原 霞
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暴漢とファティマ王子

七日目の仕事を終えてアントニアは世話になった侍女たちに礼を述べてから後宮を後にすることにした。

正妃宮を出ると、ちょうど二階の窓から外を眺めていたハイファーの姿が見えたため、一度膝を折って挨拶をしてからアントニアは急いでスーリヤの宮へと向かうことにした。

この一週間、スーリヤと一緒にいられる時間は寝る直前と寝ている間だけだった。

自分にとっては多くを学べた一週間ではあるが大切な夫と共にいられる時間がずっと少なくなったことで彼に不満を与えていないか、そんなことを心配しながら足早に走って王子の宮へと向かおうとしていると、不意にアントニアの進行を妨げるように二人の人間が立ちはだかった。

アントニアは目の前にいる二人を見て、だれだろうか、と困惑した。

2人ともに濃紺のローブに身を包んでおり、はっきりとした目元だけが見えている状態でほとんど夜の闇に溶け込むようにしていた。

体格からして男のようだが、イェニラでは女性が肌を隠すためにローブを着ることは多くとも、男性はほとんどこういったローブを身にまとっている姿を見なかったため珍しい、とアントニアは思っていた。

少なくとも、スーリヤでないことだけは確かだが、アントニアはこの国で異性の知り合いはあまりいない。

一週間前にディワーンで会った大臣たちのように少し見かけた程度ならともかく、言葉を交わした相手となるとスーリヤ、カリム、そして王子宮で働く従僕たちくらいのものだ。


「あの、何かご用ですか?」


アントニアは声をかけるのは失礼かとも思ったが、王子宮に繋がる道をふさぐ形で立つ以上は何かしら自分に用事があるのだろうかとも考えて思い切って自分から声をかけてみた。

男たちは互いにのみ聞こえるように小声で何かを呟いていたが、その内容はアントニアには聞き取れなかった。

王子宮へ向かう通路にはそれぞれ衛兵が立っているが、どうしても彼らとの距離というものはある。

それぞれの宮が大きいだけに彼らも歩哨として移動しており、常にどこにいると決まっている人間以外はちらほらとしかいないのだ。

男たちはアントニアの顔を無遠慮に見ると、突然ローブの下からぬっと腕を伸ばした。


「きゃっ!」


大きな太い腕がアントニアの腕を掴むとそのまま強引に抱きすくめるようにする。

アントニアは咄嗟に男の胸板に手をついて身をよじるが、男の方は口をふさごうとローブの裾でアントニアの顔を押さえ、声をあげさせまいとしてくる。

アントニアは悲鳴をあげようとした口に埃っぽいローブの布が入り込むのを感じながらも、なんとか逃げなくてはと身をよじった。

しかし、アントニアの細い腕では男の腕を払いのけるだけの力はなかった。

スーリヤの腕に抱かれる時とは違う。 強引に、力づくで欲しいままにしようとする男の腕力にアントニアは恐怖を覚えていた。

男はアントニアの腰に腕を回して抱きあげるとそのまま移動しようとしていた。

アントニアは必死にもがき、自分の足を思いきり曲げて男の足を蹴ろうとした。

その時、ちょうどアントニアの足から履物が脱げて飛んでいった。


「いた……おいおい、何をしているんだ」


不意に響いたのは知らない男の声だった。

アントニアを抱いた男はアントニアを掴んだまま逃げようとしたように感じたが、すぐに複数の足音が響いて男たちを制圧していく。

乱暴な音に怯えながらもアントニアはその場に崩れるように倒れ、石畳に手をついてそのままローブの中から抜け出た。

見ると衛兵らしき男たちがローブの人間を取り押さえ、口々に何か強い言葉をかけて罵っているのが分かった。


「全く、王子宮の侍女に手をつけるとは、処刑ものだぞ?」


呆れたような口調が背後から聞こえた。

どこか気怠そうな雰囲気と、華やかな香水の香りにそれがスーリヤやカリムでもないことを感じながら、アントニアは恐る恐る背後へと振り返っていった。

そこに立っていたのは背の高い男だった。

やや赤みの強い黒髪はうねり、豊かな波を描いており、上背が高く胸板の厚い男らしい体格をしていたが顔にはまだあどけなさが残っており、垂れた目元には一点、墨をついたような鮮やかなほくろがあった。


「おや? もしや、スーリヤ兄上の妃ですかな?」


彼は驚いたような表情をしながら石畳の上に倒れたままのアントニアに視線を合わせようとしゃがみこんだ。

かがり火と月明かりの下でみてもはっきりとわかるその強い視線に射すくめられるような気がしてアントニアは自分の体の前に手を上げながら、戸惑ったような表情をして男を見つめていた。

スーリヤのことを兄、と呼んでいたということは彼も王子の1人なのだろうか、と少し考えてから助けてもらったことをまずは感謝しようとなんとか立ち上がり、頭を下げてお辞儀をした。


「助けていただきありがとうございます。 仰る通り、私はスーリヤ殿下の妃となりましたアントニアです。 あの……失礼ですが、貴方は?」

「俺は第四王子のファティマと言います。 いやはや、まさか王子宮のすぐそばでこんな事件に巻き込まれますとは義姉上も運が悪い」


少し軽薄な印象を与える物言いではあったが、ファティマはしゃがんだまま、護衛の1人に先ほどアントニアの足から飛んでいった履物を持ってこさせてアントニアの前に置いた。

アントニアはまた礼を述べてからかがんで自分の足に靴をはこうとしたが、ファティマはそれを制するようにして、アントニアの足裏へと手を添えて靴をはかせた。

アントニア本人も驚き息を呑んだが、周囲の護衛はそれ以上に驚愕にどよめき、慌ててファティマを止めようとしたが、ファティマ本人は素知らぬ風に笑みを浮かべながら立ち上がった。


「義姉上、宮まで送りますよ。 あんなことがあった直後だ、まだ賊がいるやもしれません」

「あ……は、はい、お願いします。 あの……ファティマ殿下、ありがとうございます」


そう言いながらもアントニアは三歩ほどファティマから離れて歩いていった。

いきなり足に触れられる、というかなり破廉恥な接触をされたことと、助けてもらった感謝とにアントニア自身も混乱があった。

同じスーリヤの弟でもカリムは常にアントニアに対してかなりの敬意を持って接してくれており、アントニアも信頼できる相手として親しみを持っているのだが、ファティマに対しては今一つ分からなかった。

妙に親し気で、まるで気安い相手に接しているかのような態度を取る男性、というのは今までアントニアの周囲にはいなかった。

元より婚姻前のアントニアにとって最も身近な異性は父親しかおらず、他は使用人くらいしか接したことがなかっただけに「こういった人物」がいるのかもしれないとも思ったが、それでもアントニアにはあまり心地よい雰囲気とは言えなかった。

そして、アントニアがそうして距離を取り、俯きがちに歩いている様子もファティマはまるで興味深いものを見るかのような目で見つめていた。


「兄上とはどうです? あまり口数の多い方ではないでしょう、話は合うんですか?」

「え? ええ、お話自体はお好きなようですので、色々と伺っています」

「へえ、何を話すんです? 口説いたりするんですか」

「そ、そのようなことは余り……。 最近は馬術を教えていただいています」

「馬術? 女性に?」


まるで何かおかしいことを言ったかのようにファティマは吹き出していた。

アントニアには何故、ファティマが笑っているのか分からなかったものの、思わずその笑い声につられてファティマを見上げていた。


「女性には花や宝石、愛の言葉の方が似合うでしょう。 特に、義姉上のように美しい女性ならなおのこと」


そういってファティマは軽くアントニアの顔を覗き見た。

しかし、アントニアはそのファティマの表情に眉を下げながら、ゆっくりと見返した。


「私は、スーリヤ殿下からいただけるのならどんな些細な言葉も宝石よりずっと価値のあるものだと思います」


アントニアがそう告げると今度はファティマの方が目を丸くしていた。

そんなファティマの反応がつくづく理解できずアントニアは困惑していたが、ファティマの方もまたアントニアの反応に戸惑っているのが分かった。

宮の入り口近くまでつくと修繕された宮の前には衛兵がしっかりと立っていた。


「ファティマ殿下。 送っていただき、ありがとうございます。 ここからはもう安全ですから」

「……ええ。 それでは、義姉上。 また会えるのを心待ちにしていますよ」


そういって笑顔を浮かべるファティマの表情は確かに男性的な魅力にあふれていたが、アントニアにはその自信に満ち満ちた態度がなんとも慣れないものでぎこちなく微笑んで手を振ることしかできなかった。

ファティマとその護衛たちが遠ざかっていくのを見ながら溜め息をひとつつくとアントニアは衛兵たちに軽く挨拶をしてから宮の中へと入り、ほお、と息を吐き出して、スーリヤの待つ夫婦の寝室へと向かっていった。


「帰ったか。 一週間、苦労したな」


寝室で待っていたスーリヤは本を読んでいたようだが、アントニアが扉を開けるとすぐに顔を上げて立ち上がり、その手を取ってくれた。

アントニアはそのひんやりとした手の温度に安堵しながらゆっくり微笑んだ。


「多くの事を学ばせていただきました。 ハイファー妃陛下も侍女の方々もとても親切でしたから」

「そうか、ハイファー妃は公明正大な女性だからな。 手本になることも多いだろう」


アントニアのその言葉を聞いて僅かに口元を震わせるスーリヤを見ながら、アントニアは先ほど起きたことについてどう説明しようか、と思った。

スーリヤに心配をかけたくない、という思いはあるが宮の警備に関することであり、またファティマに恩ができたことをちゃんと報告しなければいけないという思いもあり、少し口籠っていた。

そんなアントニアの様子を案じるようにスーリヤは少し首を傾けていた。


「何かあったか?」

「……あの、実は、宮に戻る前、2人組の男性にさらわれそうになり、ファティマ殿下に助けていただきました」

「何? その賊は?」

「既に護衛の方が取り押さえてくださいました」

「……そうか。 警備を厳重にするように言いつけておこう」


静かな口調ではあるが、アントニアの手を取るスーリヤの手には力がこもっていた。

アントニアの華奢な手を傷つけまいと加減はしていたがその手を通して伝わるスーリヤの感情にやはり心配をかけてしまったことを悔いながら、アントニアは決心するように手を握り返した。


「スーリヤ殿下、私に……武芸を教えてください!」


スーリヤはアントニアの表情を見つめていた。

武芸の訓練は厳しい。 この柔らかで繊細な手の皮がめくれ、分厚く固いものに変わるほどのものだ。

それでもアントニアが自分の隣に立つために決意してくれた気持ちにスーリヤは強く胸を打たれた。


「分かった。 君が望むなら、俺は持てる全てを君に教えよう」


そして、翌日、武芸の訓練を始めたスーリヤを怒鳴りつけてカリムがアントニアに護衛をつけることを提案するのであった。

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