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冷遇王子の花嫁になりました  作者: 二夜原 霞
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母と子

アントニアが罰を受けて丁度七日目の朝、重たい気分を持ちながらカリムは母のハイファー妃の宮へと向かっていた。

スーリヤからアントニアが疲れている、と相談を受けた父スレイマン三世からの頼みでもあり、自身も母がアントニアに何かしら嫌がらせをしている可能性に対して懸念を感じていたのだ。

しかし、それでもカリムは積極的に後宮に向かいたくはなかった。

あそこは王宮以上に権力闘争が表だって渦巻いている。

女は欲を持ってはいけない。 女は口うるさくしてはいけない。 女はただ慎ましく家の奥で守られていなければならない。

そういったイェニラ王国の伝統的な慣習が逆に女性の中にある出世欲や野心、財産への執着を極限まで太らせた結果がこの後宮だ。

大きく行ってしまえば王宮という巨大な家の奥にあたるこの場所は女性しかいないからこそ、女性同士の争いが非常に表面化する場所だ。

彼女たちは皆、この後宮においては戦場の戦士に等しい。

そして、カリムはその戦士を率いる最大派閥である正妃の息子だ。

幼少期から後宮に良い思い出を感じたことなどほとんどないだけに、どうしてもその足取りは重くなるのを否めなかった。


「……これも、義姉上のためだ」


一度、深呼吸をすると花の香りがむせ返るほどに濃く肺の中にしみわたっていく。

兄であるスーリヤがこの地上の何よりも愛しいと執着する義姉に何かあったらそれこそ彼の怒りを被りかねない。 何より、アントニア自身もお世辞にも自己防衛が出来るような気性の強さを見たことがないカリムとしては、後宮で女同士の争いに敗れている姿が想像できてしまい、不安になっていた。

しかし、いざ宮についてみるといささか唖然としてしまった。

侍女たちにあれこれと聞きながら慣れない侍女の作法に慣れようとしている義姉の表情は妙に晴れ晴れとしており、少なくともいじめられている、という雰囲気はまるでなかった。

カリムが訪れたことに気付いた侍女の一人が母の部屋に案内してくれている最中にカリムはそれとなく声をかけた。


「新しい侍女が入ったのですね」

「ええ、今日でお別れですが、あれだけ頑張り屋ならどこの宮でも上手くやれますわ」

「覚えがいいのですか?」

「特別そう、とは言えませんわ。 覚えがいいだけの娘ならこの後宮にはもっと多くいますもの。 けれど、アントニア……ああ、新顔のあの子、何を言われてもはい、はい、と素直で笑顔で聞く者ですから、私たちも教えていて気分がいいんです」


ふふ、と穏やかに微笑むベテランの侍女は目じりに少しばかり皺の入った女性だった。

カリムも幼い頃からハイファーに仕えている人物ではあるが、腹心というほどの存在ではない。

だが、この正妃宮に長くいる侍女からしてもよい印象、ということであればアントニアがいじめを受けている可能性はないといっていいだろう、とカリムは内心で安堵していた。

宮にしつらえられた白い石造りのテラスで外の花を眺めていた母の前へと出ると、カリムはその前に膝をついて挨拶をした。

ハイファーは鷹揚に頷くとカリムに椅子をすすめ、カリムが椅子へと腰を下ろすとすぐに茶が運ばれてきた。


「珍しいわね、カリム。 貴方の方からこの宮に来るとは」

「罰則は今日が最終日と聞いていましたから、様子を見に来たのです」

「あら、そう……カリム、一つ聞きたいのだけれど」


ハイファーの視線が僅かに細くなったのを見て、カリムはぎくりと背筋が固くなった。

まさかスーリヤのために様子を見に来たと勘ぐられているのだろうか、といくらか後ろめたい感情を胸に抱えているとハイファーは苦々しい表情を浮かべながら予想外のことを口にしてきた。


「あの娘、まさか元使用人だったりしないでしょうね?」

「はい?」

「侍女として働くより雑用の方がよかったなんて、普通貴族の娘がいうことじゃないでしょう? おまけに普通の召使たちよりいじめても根をあげないし」

「いじめたんですか!?」

「寧ろ、私に感謝までしてきたのよ? 本当に貴族の出身なんでしょうね?」


口元に運んでいた茶を思わず吹き出しかけたカリムを見ながらも、ハイファーの方は困惑の色を隠せないといったように手入れをされ、エナメルを塗った自分の長い爪を撫でた。

カリムははあ、と深い溜め息をつきながら話を聞いていくに、どうやら体罰の類ではなく、仕事量を極端に増やしたり、気性の荒い女の多い厨房仕事をさせたりといった仕事の割り振り面でアントニアを苛もうとしたらしいことは分った。

だが、カリムも徐々にではあるがアントニアの気性が分かってきていただけに、それは意味が無かったろうなと苦笑が浮かんだ。


「彼女は、あのスーリヤを世界で一番良い人だと思ってるくらいには前向きなんですよ」


カリムがそう告げるとハイファーはまるで服の中に毛虫が入ったかのような表情で驚きと嫌悪感を露わにした。

カリムはハイファーがスーリヤを嫌っていることをよく知っている。

スーリヤが無表情であまり感情を出すことも無く、おまけに口下手なせいで思っていることの三割も人に伝えられない気性であるが故の誤解と、母の中にある女としてのラクシュミ妃への対抗心に由来したその悪感情は容易に消えるものではないだろう。

そんな母をして理解しがたいものだと思っているスーリヤを、「アントニアはいい人だと思っている」と言えば、彼女がどれだけ前向きかを推しはかるにはいい具合だろうとカリムは口元を緩めていた。


「あの娘、ここに来る前は地獄にでもいたの? あんな木石のような男を良い人だと思うだなんて」

「それは言いすぎです。 ですが……彼女は愛情に飢えています。 自分の愛情を注ぐ相手から愛情が返ってきたことがほとんどない環境にいましたから。 そんな中でスーリヤが彼女を大切に扱うから、彼女もスーリヤの愛情に応えようと全霊になるのです」


スーリヤが太陽のように周囲のまるごとを愛しているとするなら、アントニアは鏡のように彼が与えた愛情と同じだけの愛情を全霊で返そうとしている。

その様子がカリムにとっては微笑ましくもあり、また政略による婚姻でもこうした夫婦となりえるのかという一つの知識として好ましいものでもあった。

年長の王女たちの中には既に婚礼を済ませたものもいるが、彼女たちのいう夫婦仲の良好さとはまた違い、まるで身分のない男女のような結びつきというのは生まれながらに王族であるカリムにとっては新鮮なものだった。


「……はあ、とにかく、私は懐いてくる相手を甚振る趣味は無くってよ」

「それはよかった。 父上から厳しすぎる指導をしていないかと心配されていましたから」


女官の教育は正妃のさじ加減だ。 それには例え王であろうと口出しはできない。

ハイファーはまあ、と短く言いながら砂糖をたっぷりと溶かした熱い茶を口に運んでいた。

カリムはふ、と笑いながら、接点の少ない男のスーリヤよりも身近に置いた同性のアントニアの方が

よほど心をほぐすのに適していたのだろうと嬉しい心持になった。

少なくとも、この後宮に母の敵は多い。

正妃の地位を狙う者、正当なイェニラの王子を最初に産んだ者としてハイファーも、幼い頃のカリムも標的にされやすかったのは事実だ。

だからこそ、ハイファーは敵に容赦がない反面で自分の懐に入り微笑む相手には素直に生まれ持った情を与えることもできる。

久しく見ることのなかった母の女性らしい柔和な側面を見れたことでカリムも多少は来る途中に感じていた気の重さを取り払うことができた。


「カリム、お前は結婚はいつにするの?」

「相手がおりません」

「サイーダがいるでしょう」

「……彼女は幼すぎます。 肉体ではなく、言動が」

「それは否めないわね」


唐突に告げられた言葉にカリムは苦笑を零した。

母が自分とサイーダを結婚させ、宰相を取り込むことでより地位を固めることを望んでいるのは知っていた。

けれど、カリムはいずれイェニラの王となることを見据えた上でサイーダに正妃の役目は重すぎると感じていた。

今のままのサイーダがハイファーのように後宮を制する武力と権力を使いこなすことができるとは到底思えない。

当面の間、ハイファーがサイーダを守るとしてもその後、彼女が成長するという見込みは今のところない。

ハイファーもまたそれを理解しているからこそ、息子に結婚を急かしながらももどかしさを感じずにはいられなかった。


「惜しいわね。 サイーダにあの娘くらいの寛容さがあれば守る人間も増えたでしょうに」

「今更でしょう。 彼女をああ育てたのは母上の影響もありますよ」


母が珍しく溜め息をつくさまをみながら、カリムは穏やかな口調で告げていた。

サイーダを守るものは宰相である父の権力のみだ。

身一つでこの後宮に訪れて周囲に馴染めるほど彼女の性格は柔軟ではない。

カリムはそう確信を持ちながら、ハイファーを見つめた。


美しい女だ。 母だから自分と顔立ちは似ているが、その奥に炎のような野心と水のような情の深さが同居している女だ。

そして、自分の地位を理解するからこそ気位が高く、棘をまとう薔薇のような女性だ。

そんな母は幼い頃のカリムにとって恐怖と憧憬を同時に感じる存在だった。

けれど、今、成長した自分の目から見れば彼女はなんと頼りない存在だろうか。

温室に守られていなければ生きられず、またその温室の主であるスレイマン三世が死ねば殉死する正妃の義務を持っている。

その中で艶やかに咲き誇る母の姿にカリムは久しぶりに心からの敬意を感じていた。


「何にせよ、つつがなく罰則が終わりそうで安心していますよ」

「そうね。 あの娘、スーリヤの妻でさえなければ……また、話をしてみたかったわ」

「誘ってみてはいかがです。 アントニア妃なら拒否はされないでしょう」

「……考えておくわ」


そういって、ハイファーはまた庭に咲き誇る艶やかな花を見つめていた。

その横顔は僅かに笑みをたたえたものであった。

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