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冷遇王子の花嫁になりました  作者: 二夜原 霞
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慌ただしい厨房

三日目の朝、アントニアは地下ではなく宮の一階にある厨房で皿洗いの手伝いをするように言いつけられ、厨房へと入った。

そこは地獄といえるような場所だった。

イェニラの料理は竈を使うものがとても多い。 それは火力が簡単に調節できる上に竈の火であぶることも焼くこともでき、更には鍋を使って煮込むことさえできるという選択肢の多さに由来する。

そしてずらりと並んだ竈でそれぞれに燃料が燃やされる煤と、料理から湧き出す蒸気とで部屋全体が曇って見え、石造りの壁の反射熱でまるで厨房全体が一つの竈のようになっていた。


「あんた! 何ぼさっとしてんだい! 早く動きな!」


厨房でひときわ大柄な女性が大声でアントニアを怒鳴りつけた。

アントニアはその風貌に思わず院長先生を思い出し、すぐにやります、と従順に返事をすると外の池から直接水を流し込んでいる洗い場へと向かい、たわしを手に取った。


「あんた、新入り? あたしローラよ」


目の前で先に皿を洗っていた女性が顔をあげて挨拶をしてきた。

彼女はイスよりもさらに北の地方に特有の灰色がかった青い目と高い鼻筋をしており、イェニラの人間ではなかった。

見てみれば厨房で働く女性たちは皆、イェニラ人ともシンドゥ人ともイス人ともいえるような風貌の人々が入り乱れており、これほど多国籍な人間が一堂に会する場はアントニアは初めてだった。


「私、アントニアと申します」

「もうします、なんて良いところのお嬢さんみたいねえ」


ローラ、と名乗った女性はアントニアの口調が面白いといって笑い、そのまま素焼きの大皿を洗っていた。

アントニアもその隣で棕櫚の繊維を束ねて作られたたわしで皿の汚れを洗い落していたが、急に目の前に鉄製の小鍋が飛び込んできて小さな悲鳴をあげた。


「洗っときな!」


料理人の女性が荒っぽく指示する声に驚きながらもアントニアは素直に頷いた。

修道院では大声を出すことも物を投げるような扱いをすることも無論禁止されている。

はじめてのことに面食らったようになりながら鍋を手元に取り、洗い始めたアントニアを見て、ローラはまたけらけらと笑った。


「気にすることないよ。 怒ってんじゃないんだ、ここは大忙しだからね」


イェニラはそもそも遊牧民という非常にエネルギー消費の多い民族だった。

その名残のために今でも料理は多く供され、更には甘いお茶やバターを練り込んだ菓子などとにかく栄養を蓄えることを目的としたさまざまな食事がある。

単なる串焼きのような簡素な料理もあれば、素焼きの壺ごと熱するスープのような特徴的なものまで、とにかく多岐にわたる後宮内の食事すべてがこの宮で作られる。

全ては正妃の毒殺を防ぐためのものであり、食事の管理は正妃の権限の重要なひとつだ。

それだけにここで働く召使や奴隷たちは食事時になると大忙しだ。

料理に砂や埃がはいるのを防ぐために窓や間口は小さく、風通しが他の部屋よりもあまりよくなく、その中で高温に包まれながら調理をするのだから、彼女たちはいつも汗をかいていた。

それに慌ただしい調理や水仕事で彼女たちの手は荒れ、腕には火傷の赤い筋がついているのが目に入った。

アントニアもまた水仕事で手は荒れてきていたが、ローラの手はまるで鱗のようになっていた。

自分が普段、こうした召使や奴隷たちの努力のおかげで安楽に暮らしているのかと思うと、アントニアは少しでも彼女たちの仕事を理解しようと必死で皿や調理器具と向き合った。


「……アントニア、あんたちょっと頑張りすぎだよ」

「え!?」


休憩時間にまでも皿を洗っていたアントニアを見かねて声をかけたのは最初にアントニアをしかりつけた大柄な女性だった。


「ちゃんと休まないともたないよ、ほら、こっち来てお菓子でもお食べ」


そういって連れていかれたのは休憩用の部屋で、敷物の上で女性たちがあぐらをかいて、談笑していた。

まるで小さな壺のようなコップになみなみと真っ黒な茶が注がれ、そこにバターと砂糖が溶かしてある。

更には表面がテカテカと輝くようなバターと小麦粉を練り込んだおやつが木製の皿の上にでんと鎮座している。

アントニアもローラが茶をいれてくれてコップを手にしたが、そのあまりの重さに驚き、前のめりになってコップを落とすまいとして、周りの笑いを誘った。


「あんた、まだ召使になって間がないんだね。 ちゃんと食べれてるかい?」

「ここじゃ明日の食事に事欠くことだけはないからね」


あははとローラたち召使は笑いながら口々に言った。

彼女たちは元々は北の方の国の出身だったが海賊に奴隷として売られ、たまたまこのイェニラの王宮で新しいお妃のための召使が募集されていたことで務めることができたのだという。

仕事は過酷とはいえ、一年の大半を雪と氷の中で暮らしていた彼女たちは凍えることも、明日にも餓死してしまうのではという恐れもなく、仕事さえすれば生きていられるここの暮らしをそれなりに気に入っている、とのことだった。


「それにねえ、あたしらは別に宗教変えなくってもいいから」

「そうなんですか!?」


アントニアが驚いて声をあげるとまたローラが笑っていた。

近年はマシになったとはいえ、イスであれば異教徒は迫害の対象になることさえあり、国家の中枢である王宮で務めることなど絶対にありえない。

だが、イェニラは軍事国家として侵略の過程で多くの異教徒を内包してきたために異教徒も一定の税を支払うことで好きな神を信じていいと権利が保障されているらしい。

アントニアは召使たちの多くが今でも敬虔に故郷の神を信じており、その上でイェニラでの暮らしに満足しているらしいことに驚くばかりであった。


「ああ、もちろんそりゃあ、お妃様になるってんなら宗教変えなきゃいけないかもしれないけどねえ」


そういって厨房の召使たちはどっと笑った。

給仕に出るような娘や侍女のように王の視界に入るような立場であればともかく、厨房という奥まった場所で働く召使たちが王の前にでることはない。

けれど、ひときわ大柄な女は楽し気な口調で告げた。


「なあに、まかり間違って目にとまれば私らだってお妃様になるかもしれないよ」


彼女は既に中年に差し掛かっていたが、よく笑い、口元に魅力的な皺が浮かんでいた。

彼女の言葉に一斉に厨房で働く女たちは笑いだしていた。

仕込み、調理、片付け、それらの忙しい時間以外は休んでおくのも大切だと言われてアントニアは感心しながら、真っ黒で甘い茶を飲んでいた。

茶はほんのりバターの香りがした。


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