王子スーリヤの宮
イェニラの都は何もかもが美しかった。
大理石で作られた建物、香木で作られた立派な図書館、遥か天をつくような天文台。
行きかう人々は皆落ち着いた表情をし、花嫁の馬車を歓迎するように花をふりまいていた。
けれど、人々は皆いちように花嫁の姿を見ると悲し気な顔をしていた。
遠い異国の土地から殺されに来た生贄を見る人でもそんな哀れな表情を浮かべはしないだろう、とアントニアは馬車の中で静かに目を伏せた。
手の中には道中、ずっと縫っていた刺繍があるばかりで、他には何もない。
船旅の最中に用意された様々な品物を乗せた荷馬車がアントニアの乗る馬車の後ろをついていたが、もはやそんなものはアントニアには葬儀の副葬品のように思えていた。
都の大通りを抜け、宮殿が目に入るとその美しさにアントニアは思わず息を飲んだ。
渇いた砂漠の、抜けるように青い空の中で真っ白な白亜の宮殿が佇んでいる。
まだ遠目からみているというのにまるで目の前に立っているかのように荘厳で雄大なその宮殿は左右対称の形をしており、まるで夢のように美しかった。
けれど、馬車はその宮殿の前を通り過ぎていった。
船旅の最中、侍女たちから聞かされていた通り、王子たちにはそれぞれ宮が与えられている。
第一王子スーリヤの宮からはじまり、第十二王子までの宮が存在する。
生まれて十日で亡くなった第二王子にすら小さな宮が残されているらしく、そのどれもがイェニラの財の豊かさを知るには十分な話だった。
けれど、馬車が進むにつれてアントニアは自分が墓地にでも運ばれているのではないかという不安にかられていた。
美しい宮殿からすぐの距離だというにも関わらず、第一王子スーリヤの宮の周囲はひどく荒んでいた。 オアシスのすぐ側ということで植物が豊かに生えているが、それらは無秩序というより他になく、枯れ木も若木もいっしょくたになってそこにあるだけだ。
獣が飛び出してくることすらあり、石畳は砕けて久しく、宮の入り口の扉は傷んでまともに閉まらなくなっていた。
これでは王子の住まう宮というよりはまるで罪人を閉じ込めておくための牢獄ではないかとアントニアは恐ろしさを感じていた。
もしかしたら自分が嫁ぐスーリヤ王子は何か罪を犯していたのだろうか?
侍女たちがあれほど恐ろしがったのはそのせいだろうか?
不安に胸が押しつぶされてしまわぬよう、アントニアは息を飲みこんでいた。
そして、いよいよ宮の中へ入るために馬車から降りると、花嫁装束の黒いレースを持ち上げて進み、アントニアは宮の中を見渡した。
元はさぞ立派な作りだったのであろう。 広々とした長い廊下に高い天井。 見事な彫刻が施された柱は風化して欠けているけれど、この宮のほとんどは長い間手入れをされていなかったことによるものだ。
修道院で長年使われていなかった地下の倉庫に入った時のことを思い出す。 渇いた空気と埃まじりの空気に咳が出そうになるのを堪えてアントニアが進むと、ひときわ明るく開けたホールのような場所に出た。
そこには小さな水槽が床にしつらえらており、吹き抜けになった天井からの太陽の光が水に反射して辺り一面を美しく照らしていた。
そして、その水槽の前に一人の青年が立っていた。
彼は背が高く、細身で、花婿の黒く長い外套を身にまとっていた。
髪は塩のように白く、肌は石のように血の気がなく、顔の半分は白い陶器の仮面で覆われており、鋭い目は獣のような鮮やかな黄色をしていた。
引き結ばれた口元は凛々しいというよりも感情を感じさせない無機物めいたものであり、明るい陽射しの中であまりにも不吉な姿だった。
けれど、アントニアは何故か彼の姿をみたときほっとしてしまっていた。
悪魔憑き、呪われた王子と言われていた相手が自分と同じ人間の姿をしていたことの方が、そして清らかな太陽の光を受けて静かに佇んでいることの方がずっとアントニアには重要だった。
彼はアントニアをじっと見つめると、静かに右手を差し伸べてきた。
アントニアはその手におそるおそる自分の手を重ねた。
手は冷たかったけれど、それは石や鉄のような冷たさではなく、単に体温が低いだけだった。
「君が、俺の花嫁か」
声は穏やかだった。 静かで感情がこもったものではなかったけれど、それはアントニアに無関心だからなどではない。 彼は初対面の花嫁にどう言葉をかけていいか知らなかったのだ。
アントニアは船旅の最中、ずっと感じていた恐ろしさはずいぶんと薄れていた。
「私はマリア・アントニア・シッテンヘルム……スーリヤ王子の花嫁として参りました」
アントニアが頭をさげて答えると、青年は一度静かに目を伏せると、何かを噛み締めるかのような口調で「そうか」とだけ呟いた。
「俺はビンバの姫ラクシュミとビンバの王アルバの息子スーリヤ。 今はイェニラの王子として名を連ねている」
短く告げられた言葉にアントニアはスーリヤがイェニラ国王の名前を上げなかったことに若干の不安を感じていた。
アントニアは船旅の中でスーリヤがイェニラ国王の子でないと聞かされていただけに、もしかすると彼も父との仲にわだかまりを抱えているのではないかという不安があったのだ。
そう思うと、この第一王子にしてはあまりにもみすぼらしく、罪人のような宮もあえて国王がそうされているのではないかという恐れがあった。
そして、それと同時にアントニアはスーリヤに親しみを感じてしまっていた。
父親に愛されなかった自分と同じ、家族や温かい愛情を欲しているのであれば、アントニアはもしスーリヤが自分に冷たい人であったとしても優しくしてあげたいと思えた。