鹿狩り
狩場では父スレイマン三世とカリムは一番年少のムファサ王子が怪我をしないようについていき、スーリヤはファティマと共に森の中を馬で駆けていた。
森の中を走らせながら、スーリヤはアントニアについて語っていた。
「彼女はよく笑う」
「へえ、愛想がいいんですねえ。 兄上とは真逆の性格なんでしょう」
「だろうな。 何かと気がついて、俺の至らぬ点を補ってくれる」
スーリヤが訥々と短い言葉で語る自分の妻についての話を聞きながら、ファティマはまだ話したこともない兄嫁に対して興味をますます強めていた。
スーリヤは基本的に誰かを褒めることも、誰かについてを語ることも少ない。
そもそもが無口、寡黙で自分の言葉で語ることをほとんどしないような男だ。
家族で食事をとっているときも何も語らないでいることが多く、幼い頃からファティマは不気味さとその高慢な態度に苛立ちを感じていた。
そして、ファティマはスレイマン三世と似て、非常に好色だった。
まだ成人も迎えぬ年でありながら既に10人の女奴隷を召し抱え、そしてその全員を愛し、満足させてきた。
好色であることは王の素養の一つであるともファティマは考えていた。
何しろ、王が子を成さなければ国内は継承権を巡り分裂することになるのだから、王は血筋を残すことこそが第一の政務であり、ディワーンでの会議など二の次だ。
宰相の娘サイーダが常に付きまとっているカリムはともかく、スーリヤに関しては邪眼の噂と本人の人を寄せ付けぬ気性から女の噂などまるでなかっただけに、スーリヤが女に骨抜きにされている、というのはファティマにはにわかに信じがたかった。
無論、ファティマは女の武器も、色香も、嘘も、涙も承知し、愛でている。
スーリヤを骨抜きにしたイスの娘とて当然、手練手管を尽くし、時に泣きついて袖に縋り、嘘の愛を語っているだろうと想像したが、それでもなお、行動において従順に尽くすところは気に入っていた。
ファティマはスーリヤが木立の間に佇む鹿に狙いを定めるのを見て、口元を緩めた。
イェニラの皮や木材を組み合わせて作られた強弓は結弦をとめるのも初心者には不可能なほどに固い弓だ。
それをこともなく引き絞り、狙いを定めているスーリヤへとファティマは口を開いた。
「どうです、俺の奴隷10人と姉上を交換してみませんか」
それはほんの軽口のつもりだった。
だが、スーリヤは次の瞬間、引き絞っていた弓をそのまま引き、弓を真っ二つに折っていた。
ファティマはその怪力に唖然としていると、スーリヤは相変わらず感情のない表情を静かに向けて、静かな口調で告げた。
「例えそれが千人の美姫であろうと、俺はアントニアを譲る気はない」
ファティマは兄の声が怒りで震えているのを感じ、恐怖した。
幼い頃から行事ごとや家族として接してきたが、スーリヤが感情を見せたところを見るのは初めてだった。
スーリヤは自分の折れた弓を腰に下ろすと、そのままファティマに手を伸ばした。
「弓を借りてもいいか」
また、無感情で抑揚がない声だった。
スーリヤは一瞬、本当に怒りのあまりファティマを殺しかねないほどに激昂したが、分別のつかぬ年下の弟の冗談と自分を律し、落ち着きを取り戻していたのだ。
だがファティマにはそれがスーリヤの底知れぬ残虐性を垣間見たように思え、背筋を冷たい汗が伝い落ちていた。
「どうぞ、兄上」
意地で表面上は笑ってみせたが、ファティマの弓を差し出す手は僅かに汗ばんでいた。
スーリヤは先ほど、弓を折った音で駆けだした鹿の背を見ると、馬を走らせて追いかけていき、そのまま前足の付け根付近に矢を打ち込み、一瞬で鹿を絶命させていた。
ファティマにはその姿が自分への当てつけのように思われていた。
スーリヤとファティマはその場で鹿を木の枝を使って逆さに吊るし、血抜きを行った。
首元を短刀で切り開いて腹を裂くと、ファティマは僅かに眉根を寄せた。
狩りは好きだ。
単純に男として自分が強く、獲物をとれるという原始的な優位を感じさせてくれるし、肉も好きだ。
けれど、こうして切り開いたときに目に映る赤はあまり好きではなかった。
だがスーリヤは躊躇なく、その腹の中に手を入れて、そのまま肝臓を切り取るとそれをさばき始めた。
「うぁ……」
ファティマが思わず呻きを漏らして顔を反らすのも気にせず、スーリヤはその場で火を起こすと、木の枝で切り分けた肝臓を刺して火であぶり始めた。
「肝臓はすぐに鮮度が落ちてしまうし、潰れやすいからな」
そんなことは聞いていない、と眉根を寄せるファティマの目の前に焼いたばかりの肉が突き付けられた。
「食べるといい」
短く言われた言葉にファティマは引きつった笑顔を浮かべ、ぎこちなく鹿の肝臓を噛みちぎり、なるべく早く腹の中に流し込んだ。
肝臓は濃い血の味がしていた。
ファティマは平然とした顔で血まみれの手で肉を焼いて食べるスーリヤを見て、この男は人相手にも同じことをできそうだと思ったが、反面、一つの疑問があった。
ビンバの王族として生まれ、イェニラの王宮で大切に育てられていた王子が何故こんなに野蛮で品のないことをするのか、と。
そして……もしかして、この男、何も考えていないのではないか?という考えが頭をよぎり、淡々と肉を切り分けている兄の姿を眺めていた。




