旧友ネリー
翌日、早朝からスーリヤは寝台を出ていた。
本来であればアントニアが目覚めるまで側にいてやりたかったが、アントニアのために両親についてを知る必要があった。
カリムからの報告によると、シッテンヘルム伯爵家の二人の娘を区別した主導者は父であるシッテンヘルム伯爵ハインツだという。
スーリヤはすぐにハインツのことを知る者、それも特に彼の個人的なことを知る使用人がいないか調べるように人を派遣した。
スーリヤは大抵の場合において物事には理由、事情そしてやむにやまれぬ事柄が関わって起きていると考えている。
自分の母が本来であれば自殺して父に殉じるのが正当であるのにスレイマン三世に嫁ぎ、二夫にまみえた経験によるものだ。
ならば今回のアントニアの冷遇の根幹には父ハインツ自身の経験が大きく関わっていると判断した。
「おはよう、アントニア」
朝の支度を終えて寝室から出てきたアントニアへとスーリヤが声をかけると、アントニアはまだ憔悴した様子ではあったが、健気に笑っていた。
スーリヤは自分の非の打ち所がなく素晴らしい妻が愛情を注がれぬ家庭にいたことが堪らなく悲しかった。
しかし、スーリヤ本人が思うほどそれは表情にも声色にも表れていなかった。
「すまないな、先に出てしまって」
「いえ、何かご用があったのでしょうから」
謝るスーリヤに対してもアントニアは微笑を浮かべて応じていた。
スーリヤは今日も何処かベルの都を歩いてみようかと思っていたが、そこにカリムがやってきた。
「義姉上、探していた人が見つかりましたよ」
カリムからの報告を受けるとアントニアはパッと顔を輝かせていた。
修道院時代の友人のネリー、今はガルニエ伯爵夫人となったカーネリアンと今日会えるというのだ。
「どういった人だ?」
「とても優しくて、明るくて、元気な子です。 ふふ、実はネリーは昔、修道院を抜け出したこともあるんですよ」
カーネリアンとの待ち合わせ場所である広場へと向かう辻馬車の上でアントニアは嬉しそうに笑って、ネリーの大冒険について教えてくれた。
僧院を抜け出して、更には木に登ってまで物見遊山する令嬢などスーリヤも知らず、またアントニアの笑う姿に少しばかり気が落ち着いた。
実際、昨日からずっとスーリヤは怒り狂っていたのだ。
決して簡単に表には出さないが、久しく感じていなかったほどの怒りに燃えていたスーリヤの心臓はアントニアの笑顔を前にするとすっかり鎮まっていた。
「そうか、俺も仲良くなれるといいのだが」
「きっとなれますよ。 ネリーはすごく人懐っこいですから」
そういってアントニアは口元に手を当てたまま、きらきらと瞳を輝かせていた。
広場について辺りを見回していると、丁度とまっていた馬車の扉が慌ただしく開いて、そこからつんのめるようにして女性が転がり出てきた。
「アントニアー!」
明るい声と共に女性はスカートの裾をたくし上げ、右腕をぶんぶんと振り回すようにして駆け寄ってきた。
明るい金の髪に青い瞳、すこしそばかすのある彼女はえくぼの入った可愛らしい笑顔を浮かべて、アントニアへと駆け寄るや、アントニアが声をあげるよりも早く抱き着いた。
「ああ、アントニア! ひさしぶりね、嬉しいわ!」
「ネリー、本当に……元気だった?」
「もちろんよ、あ、そうだわ、私結婚したの! 夫はね、あの人よ」
明るい声ではきはきと喋るカーネリアンはカナリアのようであり、表情もまたくるくると動いていた。
そしてカーネリアンが馬車の方を指さすと、のっそりとした動きで男が出てきた。
それはかなり大柄で、ふくよかで、また毛むくじゃらな男だった。
鼻はぺったりと平たく、広いおでこが知性を象徴し、太い顎をしていて、首までも肉で覆われたような男、ガルニエ伯爵だった。
ガルニエ伯爵が馬車から降りると馬車は不自然に傾いて、彼が地面に到着するとまた元の通りの角度に戻った。
「やあ、どうも初めまして、私はゲオルグといいます」
「俺はイェニラ第一王子スーリヤという」
勇ましい名前とは正反対に人の良い笑顔を浮かべるガルニエ伯爵ゲオルグは右手を差し出してスーリヤに挨拶をした。
スーリヤもまた手を差し出してしっかりと握り、挨拶に応じていた。
しかし、細身のスーリヤの手とは正反対に大きくて肉厚な手に捕まれると、スーリヤの手ですらすっかり子供のように見えてしまった。
「すごい大きいでしょ、うちの人。 毎日すっごく食べるのよ。 だけどね、それが可愛いの! なんだか家の中に大きな熊がいるみたいで頼もしいのよ。 それにね、この人ったらね、甘党で毎日ケーキを食べたがるから、私がちゃんと棚にしまって管理してるのよ」
ガルニエ伯爵の姿に圧倒されたように目を丸くするアントニアを見ながらカーネリアンは明るく笑ってそう言っていた。
そういえば、カーネリアンは元々かなり大柄な人が好みだったな、とは思い出していたがここまで大きな夫を見つけてくるとはアントニアも想像していなかった。
修道院にいた頃、聖人の絵を見て他の女の子がきゃあきゃあと誰が好みだどうだという中で、カーネリアンだけは巨人のサムソンが一番好み。 でももっと大きくたっていいわ、樽のようにふっくらしてるのが理想的。 と断言していたのだ。
つまるところ、カーネリアンは自分が理想とした男性に巡り合えたのだ。
「アントニアの旦那さんも背が高いわね! いっぱい食べたらきっと素敵よ」
「す、スーリヤ殿下も健啖家ではあるのですが……」
「ああ、俺はよく食べる」
「それはいいことですよ。 何せ美味しい食べ物を食べると幸せな気持ちになりますからね」
ぷよぷよとほほ肉を揺らして笑うガルニエ伯爵の腕にくっついてカーネリアンは嬉しそうに笑っていた。
その様子は実にほほえましいものなのだが、サイズ感が大きく違うせいでなんだか大人にくっつく子供のように思えてしまった。
アントニアは久しぶりに会った友人がまったく変わっておらず、そしてそのままに幸せになっているのが嬉しくて声を出して笑ってしまった。
「ねえ、アントニア! もっと話して、イェニラはどんな場所? それから私の話も聞いてちょうだいね」
「ええもちろん。 イェニラのことも、貴方の話もどちらもたくさん」
夫の腕に絡みつけていた手を外すとカーネリアンはアントニアの両手を握って、そのまま子供っぽい笑顔を浮かべていた。
アントニアはカーネリアンのこういった無邪気さがとても好きだった。
たまに少し喋りすぎて怒られることはあったけれど、この小鳥が囀るように嫌味なく響く可愛らしい声がアントニアは大好きだった。
そして、妻が友人と話している姿を見て、ガルニエ伯爵もまた幸せそのものといったように笑っていた。
「ガルニエ伯爵、奥方はとても元気がいいな」
「いやあ、お恥ずかしながら……私もぞっこんなんですよ」
ははは、と笑うガルニエ伯爵の目を見てみるとスーリヤは案外この人物が若いことに気付いた。
かなりふくよかな上にひげも蓄えていて、生え際も中々上の方ではあるのだが肌は綺麗だし、皺もまるでなかった。
そんなスーリヤの視線に気付いたのか、ガルニエ伯爵は少し恥じ入るように自分の頬を太い指でかいた。
「私はこんな見た目ですから、女性にはまるで縁がなくって。 それが、去年の舞踏会で妻の方から声をかけてもらったんですよ」
ガルニエ伯爵が語るにはこうだ。
舞踏会に参加しても太りすぎていてまるで踊れない自分は女性に声をかけることはなかった。
おまけにとても大きいから壁の方に寄りかかっても邪魔になると周りから白い目を向けられていた時、ずんずんと自分に向かってくる黄色いドレスの少女がいた。
その娘は目をキラキラと輝かせ、頬を薔薇色に紅潮させ、なにかとても素晴らしいものを見つけたような表情をしていた。
てっきり、自分の側を通り過ぎるのかと思った少女はにこにこと笑いながら手を差し出してきて、女性であるにも関わらずダンスへと誘ってきたのだ。
普通の淑女ならばそんなはしたないことはしないし、実際彼女の両親と思われる夫妻は真っ青な顔をして娘をとめようとしていた。
けれど、彼女は止まらなかった。
踊ってから彼女がヴィッテンハルト侯爵の娘だとしり驚いた。
ヴィッテンハルト侯爵といえばこの国の建国当初からある名門中の名門、そんな家の娘が何故、クマのような自分に声をかけたのか動揺してしまった。
けれど、彼女はこういうのだ。
「貴方とっても素敵ね! 私の理想の男性よ、私、結婚するならクマみたいな人がよかったの」
あまりにもあけすけなその言葉に面食らいながらも、すっかりガルニエ伯爵はこの少女に惚れこんでしまった。
それがカーネリアンとのなれそめだ。
ガルニエ伯爵は決して話し上手な方でも機敏なわけでもなかったが、カーネリアンの方がどんどん話してくれるし、何より彼女はくるくると表情を変えて、様々なことを言うものだからそれが楽しくて仕方ない。
こうして、二人はとんとん拍子に結婚までしたのだ。
「ああ、それでね、それでね、初めてのデートなんだけど、どこに行ったか分かる? 大聖堂よ! あの人ったらね、私にあえたことを神様に感謝したいなんていうから、もう私、顔が真っ赤よ! それで嬉しくっていつもより三十分もお祈りしちゃったの」
「本当に仲がいいのね、ネリーとガルニエ伯爵は」
スーリヤがアントニアの方を見ると、アントニアもカーネリアンのおしゃべりな性格が好きなのか、うんうんと頷きながら話を聞いていた。
実際、カーネリアンはかなりの話上手でありまるで目の前で実際に彼女に起きたことを追体験するかのようにされる話は一種の冒険譚のようで聞きごたえがあった。
スーリヤはガルニエ伯爵が自分と同じように話好きだけれど言葉数の少ない気性なのだと分かり、すっかり昔馴染みの友人であるかのように気安く感じていた。
ガルニエ伯爵もまた、自分とは正反対に痩せた王子が妻の友人を心から愛していることをくみ取り打ち解けていた。




