嫌ってもいい
スーリヤは自分の腕の中でアントニアが呼吸もままならないほどに動揺していることに対して哀れみを感じていた。
自分が家族に愛され、また家族を愛しているからこそ、アントニアの家族があれほど娘を拒絶する態度を示すなど想像さえしていなかったのだ。
寝室へと戻り、アントニアの体を椅子へと下ろしてからスーリヤは膝をついて彼女の顔を見つめた。
血の気を失った顔はほとんど死人のようであり、今にも気を失って仕方ないほど青ざめていた。
アントニアは正直、もう今すぐにでも倒れそうなほどであったが、スーリヤの手がその意識を繋ぎとめていた。
「すまない、アントニア。 もっと調べておくべきだった」
「……いいえ、スーリヤ殿下。 私、私が、言うべきだったんです」
アントニアはスーリヤに家族との関係を打ち明けることができていなかった。
家族に愛されていない、と自分で理解しながら、それを認めることができなかった。
スーリヤは婚礼の儀の折、何故アンネローゼと呼ばれたアントニアが涙したのか漸く分かった。
自分に注がれていた愛情全てが実は自分のものではなかったと言われた気がしたのだろう。
ただの名前の取違などではなく、アントニアにとってそれは愛されていないことの再確認だったのだ。
スーリヤは自分が無遠慮にもアントニアの一番繊細で傷ついた部分に踏み込んでしまったことを悔いていた。
それと同時に愛する妻にこれほどの傷を与えて、更にはそれを無視しているシッテンヘルム伯爵家への怒りが沸き起こっていた。
「アントニア、君は家でどんな扱いを受けていた?」
「……酷いことは何も。 ただ、声をかけても無視され、目を合わせてくれることもなかっただけです」
アントニアの言葉にスーリヤは眉根をきつく寄せていた。
何もされていないのではない。 放置され、無視されていたのだ。
まだ幼かったアントニアが愛されるべき相手から愛情を受けることもなく、ただされるがままに育ったことの痛ましさにスーリヤは深い溜め息をついた。
その様子にすら怯えたようにアントニアは肩をすくめる。
スーリヤは少し考えていた。
単純な暴力をもってシッテンヘルム伯爵およびその家族を始末することはスーリヤ一人でもなんら問題なく行える。
しかし、ことは異国の貴族であり、国際問題にも発展しかねない。
更にはアントニアは傷つけられたといってもまだ家族を愛しているのだ。
つまり、スーリヤがすべきことは暴力を振るい、己の怒りを発奮することではなく、アントニアの中に深く刻まれた傷を理解し、その痛みを取り去ってやることだ。
「アントニア……君は、なぜ両親がこのように振舞うか分かるか?」
「いいえ、きっと……何か、理由があるのかもしれませんけど、私にはわかりません」
そういって項垂れるアントニアの様子は彼女が婚礼の儀の際に見せたのよりずっと悲しい表情だった。
スーリヤはアントニアの手を包み込みながら、静かに頷いた。
「家族を嫌いでもいい」
その言葉にアントニアは弾かれたように顔をあげていた。
家族を嫌ってもいいなど、そんなことあってはならないのだ。
産んでもらった相手であり、子供は親の所有物として彼らに従う義務があり、両親に愛情を注ぐのが当然のことだとアントニアが教わった道徳は明確に示している。
しかし、スーリヤはアントニアの目をじっと見つめたまま続けた。
「親が子に何をせよと命じるのは子に危険が及ばぬようするためだ。 しかし、親自らが子に毒を飲まそうとするならば何故その子が親に反してならない理由になる」
そういうとスーリヤはアントニアの手を包み込んだまま、ゆっくりとその指に唇を寄せた。
「大丈夫だ。 君の家族が注がなかった分も、俺が君を愛している」
実際、スーリヤも何故両親がアントニアにだけ明確な線を引くのか分からなかった。
例えば、これが男子と女子であるならば家の継承の関係から差がつく場合というのはある。
しかし、ともに女子、更には双子で外見も年齢もまるで同じであるならばそこに差をつけることになんの意味があるのか分からなかった。
「……もしも、私に理由があるのなら、知りたいです。 どうして、私だけが愛されなかったのか」
項垂れながら告げられた言葉にスーリヤは静かに頷いていた。
「理由はないかもしれないぞ」
スーリヤの言葉にアントニアもまた頷いた。
理由があってほしい、というのは単純にアントニアの希望に過ぎない。
もしかしたら本当に理由などなく、ただ単純にアントニアだけが彼らの家族に含まれなかったのかもしれない。
それでもアントニアは何も分からないまま自分が愛されないままでいるのにはもう疲れていた。
「それでもいいです。 理由があるのかないのか、今はそれさえ分からないんです」
「そうか」
アントニアが悲痛な心で告げた言葉にスーリヤは同意した。
スーリヤにとってこの一件で最も重要なのはアントニアの意思だった。
もし、アントニアがもう家族と関わりたくないのであれば二度とイスにも来ないつもりだった。
だがアントニアは知りたい、と望んでいる。 ならばスーリヤはどんな手を講じてでもアントニアの家族について調べる。
そう決意しながらスーリヤは立ち上がるとアントニアの頬に手を添えた。
「大丈夫だ、俺がいる」
アントニアがつけられた傷すべてを癒すには時間がかかるだろう。
それでも、もうアントニアが一人で泣くことはないのだと励まして、スーリヤは頬を撫でた。
アントニアは声を上げて泣き出すと、そのままスーリヤの手をしっかりと握り締めていた。




