サイーダ奔走
「どうして、どうして、カリム様はサイーダに冷たくするのよ! こんなにサイーダはカリム様のことが好きなのに!」
使節団の中に紛れ込ませた自分の乳母の膝にしがみつきながらサイーダは泣いていた。
大粒の涙を流しながら叫ぶようにするその背中を撫でて乳母は穏やかに見守っていた。
「カリム様も立場がありますから、表立ってスーリヤを排除しようとしていたことがスレイマン三世の耳に入ることがあれば身の破滅ですわ」
「あんな男、ビンバが滅んだときに死ねばよかったのよ!」
サイーダにとってビンバの滅亡は生まれるよりも前のことだ。
毒婦ラクシュミがスレイマン三世をたぶらかして、なんの血縁もないのに王子の地位についた悪魔のようなスーリヤのことは子供のころから宰相である父に聞かされている。
木石でできたように感情も心も無い恐ろしい男。
昔から遠目に見たことがあるし、今となっては言葉を交わしたこともあるけれど、その度に怖気がはしるような気持ち悪さを感じる。
イェニラの民のように美しく浅黒い肌もしていない、笑っている顔さえみたことがない。 呪いの邪眼を持った忌まわしい男。
スーリヤがいるだけでどれほどイェニラの王族が不利益を被っているかしれない。
だからわざわざイスなどという田舎から女を買い付けねばならなかったのだ。
侍女たちも使節団も皆、スーリヤを恐れている。
イェニラの国にもシンドゥにもスーリヤの妻になりたい人間なんて一人もいなかった。
だというのに、あの男がいるばかりに正当なイェニラの王子であるカリムの権利が脅かされるのだ。
イェニラの血を継ぐ他の王子たちは構わないが、ほんの一滴だってイェニラの血が流れないスーリヤだけは本来王子の地位になんているべき存在ではないのだ。
敗れた国の王族は奴隷になるのが正しい姿だ。
なのに、あの男はその秩序をひどく乱している。
スレイマン三世もいつまでも死んだ毒婦などに目をくらませずに、正しいイェニラの貴族であるハイファー妃や他の妃たちにだけ心を注ぐべきなのにどうしてラクシュミの血を未だに重要視しているのか分からなかった。
サイーダは子供のころからいつか王族に嫁ぐのだと言い聞かされて育ってきた。
そして、それはきっと正当なイェニラの王子であるカリムであるのだとサイーダは信じていた。
だってハイファー妃はサイーダを気に入りいつもカリムと合わせてくれていた。
サイーダはその期待に応じるべく美しく成長したのだ。
だというのに、カリムはいつもつれない態度をとってばかり。
いくらサイーダに対して照れてしまうといっても実質的な婚約者である自分の事をもっと大切にしてくれればいいのに、まるで相手にしてくれない。
サイーダは乳母のスカートに涙を零しながら唇を噛んでいた。
どうして自分がこんなにひどく傷つけられなければならないのか全く分からなかった。
折角カリムと旅行に来たというのにカリムはいつも仕事というばかりでサイーダのために時間をとってくれることもないし、スーリヤは無礼なことを言った挙句に今は寝込んでいる。
こんな田舎の国にずっといるだなんてサイーダには信じられないくらい不満なのだ。
「ねえ、どうやったらカリム様は私とデートに行ってくれるかしら」
「そうですね……カリム様は使節団の代表、という立場でございますから、イスの方を歓待するとなれば出なければならないでしょう」
乳母の言葉に一瞬サイーダはきょとんとした表情を浮かべた。
イスなんていう田舎の異民族をわざわざ歓待してやらなければならないのは不満であるが、いずれカリムが王になりサイーダが妃になれば異国からの客を歓迎することもあるのだからその予行演習だとでも思うことにしよう。
それに今回の旅行は名目上スーリヤの妃であるアントニアの故郷への旅行なのだから、アントニアがイェニラといういかに素晴らしく、こんな三流国家ではおよびつかない国かを思い知らせるためにも盛大な宴を催すというのはいい機会だ。
これであのうじうじとした女も自分がイェニラの王妃になるなど愚にもつかない妄想だと思ってくれればいい。
そう考えるとサイーダはすぐに笑顔を浮かべた。
大きな目をきらきらと輝かせて、素晴らしく縮れた黒髪を整え、イェニラ伝統の柔らかく心地よい衣を裾引きながら涙をぬぐうと再びカリムの部屋へと向かった。
カリムは丁度宿についての話を終えて部屋に戻ってきたところだったのか、廊下でばったりと出くわした。
カリムは一瞬驚いた表情を浮かべたけれど、すぐに一度息をついてからサイーダへと近づいてきた。
「先ほどは乱暴な振る舞いをしてすみませんでした」
カリムがそういうとサイーダはすぐに機嫌を直した。
確かにさっき腕を掴まれたときはとても痛かったし悲しかったけれど、カリムにとってもあれは本意ではなかったのだ。
仕事が忙しくてきっとイライラしていて、それでサイーダに当たってしまったのだ。
サイーダは妻として寛容にそのふるまいを許してあげねばならない、と上機嫌で笑みを浮かべた。
「それで、今度はどうしたんですか」
「カリム様……スーリヤ殿下が快復されたら、この地の有力者の方を呼んで宴席をもうけませんか?」
「宴席、ですか」
少し考えるようにカリムは呟き、自分の顎に手をやりながら視線を上にやった。
サイーダがこのように建設的な考えを口にすることは珍しいが、実際この地の有力者との会談はカリムも考えていた。
元々イェニラとイスは宗教上の対立から文化も国交も長く断絶されてきた。
互いに戦争を行った歴史もあり、今でこそ貿易は行っているが友好的な間柄とまでは言いにくい国だ。
今回、アントニアが結婚したことで多少融和の空気はできているが、それでも王族同士の結婚のように明確な友好同盟の締結をなしたわけではない。
イスの地元の人間を抱え込む、というのは悪い話ではないのだが、なぜ唐突にサイーダがそんなまともなことを言いだしたのか気になってしまった。
「それはいい考えですが、突然ですね」
「だって、スーリヤ殿下が寝込まれている以上、私たちもここから動けませんし……それなら、宴の準備でもしておいた方がいいかと思って」
サイーダはそういってにこやかに笑っていた。
笑っている表情はまるで子猫のように愛らしいのだが、カリムはいまひとつその表情の下にあるものを感じて素直に可愛らしいとは思えなかった。
だが、使節団として来ている以上、地元の有力者と懇意になる、という考え自体は捨て置けないと判断したカリムはゆっくりと頷いた。
「分かりました。 スーリヤの方は動けるようですが、彼らにも話して地元の名士に声をかけましょう」
カリムが頷いて答えるとサイーダは花が咲いたかのように笑った。
「それじゃあ、早速服の準備をしないと」
「こちらにはイェニラの仕立て屋はいませんから、持ってきたものか、イスの服になりますね」
「カリム様がお召しになるならイェニラの服でないと」
「あくまで主役はスーリヤとアントニア妃です。 我々は礼さえわきまえていればどんな服でもいいのですよ」
堅物、という具合にいうカリムの口調に唇を尖らせながらもサイーダはもう既に宴のことで楽しそうにあれこれと考え事をしていた。
カリムはそんな様子に呆れながらも、スーリヤたちの悪口を言われるよりはまだいいか、と考え、この地方の貴族や名士の名簿を作らねばならないな、と誰を担当者にするか勘案していた。




