港町セシア
船旅が無事に終わり、イスの港町ゼシアに到着するとそこで一日逗留することになった。
アントニアは以前の旅でも通った街だが、あの時は一刻も早くイェニラ王国へ向かえというシッテンヘルム伯爵の命により、逗留することもなくすぐに船旅になったため、本当にただ通過しただけだった。
そのため、港町特有の潮の香りと喧騒とにアントニアは驚きながら、スーリヤと共に街の市場を見て回ることにした。
「イスは懐かしいか?」
「いえ……私は、幼い頃から修道院にいましたから、本当はイスの街のことはあまり知りません」
スーリヤに手を引かれながら街を歩くと、街並みは子供のころ暮らしていたシッテンヘルム伯爵領の様子とも異なっていた。
白い砂岩で作られた丸くて低い家がいくつもあるのはなんだかおとぎ話の街のようで可愛らしく思えていた。
「修道院……アントニアは尼僧になる予定だったのか?」
スーリヤは珍しく問いを投げてきた。
普段はスーリヤは端的に短い言葉を言うばかりなのだが、アントニアが修道院にいたというのは意外だったのだ。
何しろ、イェニラ王国には尼僧はいない。
夫が死んだ女は夫に殉じて死ぬのが当たり前であり、僧侶も男性がなるものであったため、女性の僧侶という存在そのものが異教の文化で珍しかったのだ。
「そういう訳ではありませんが……イスやこの周辺の国では貴族の娘が修道院で教育を受けることは珍しくはないんです」
アントニアはそう言いながら、苦い感情を押し隠すのに必死だった。
実際、結納金を用意できないために修道院に送られる娘も別段珍しいわけではなく、また淑女教育を行えない家庭の娘が教育のために預けることも少なくはない。
嘘を言っているわけではないのだが、ざらつくような感覚がするのは事実だった。
特に、アントニアは妹のアンネローゼと明確に差をつけて両親から遠ざけられたという思いが強かった。
「俺の妻になってくれてよかった」
無感情に、ぽつりとつぶやいたスーリヤの言葉にアントニアは思わず目を丸くして顔を見つめていた。
片方の顔が仮面で覆われていて、相変わらずの無表情、唇の端も震えていないから、おそらくは本当に何の気なしにいった独り言だったのだろうが、アントニアの心臓を強く鼓動させるには十分だった。
この美しく、なんの非も見当たらない人が自分が妻になることを喜んでくれているのだ。
そう自覚した瞬間にアントニアは耳まで赤くなり、おろおろと視線をさ迷わせた。
そして、石畳に靴をひっかけて転びかけた体をスーリヤが抱き留めてくれた。
「大丈夫か?」
「は、はい……申し訳、ありません」
「気にするな」
短く告げた後、スーリヤは少しばかり考えるようにしていた。
イスに来たばかりでまだ互いに服装はイェニラ王国の伝統的な装束のままだ。
底の薄い柔らかい靴は砂地の上を歩くにはいいのだが、イスの石畳の街を歩くと足に直に衝撃が来て、少々痛かった。
スーリヤはよし、と小さな声で呟くとそのままアントニアの体を抱きあげた。
「す、スーリヤ殿下!? な、何をなさるんですか?」
「このまま宿に向かう。 仕立て屋を呼ばせよう」
「お、落ち着いてくださいませ……あの、く、靴屋ならばそこにございます!」
街中の人々がいきなり自分を抱きあげたスーリヤに視線を向ける中を宿まで歩かれるのはあまりにも恥ずかしく、アントニアは淑女らしい落ち着きを失いながらかろうじて見つけた靴屋の看板を指さしていた。
結局、スーリヤは店の中に入り、椅子を差し出されるまでアントニアを抱きあげたままであり、異国の人間を伴い、異国の服を着ていることも相まってアントニアは街の中で無駄に注目を集めてしまうこととなった。
「……女用の靴とはいえ、また小さいな」
スーリヤは靴屋に並べられた靴の数々を見ながら呟いていた。
アントニアにあう靴を用意するように頼み、女性の店員があれことれと持ってきてくれたのだが、どれも爪先が短く、更には足の甲の部分もとても低く作られている。
「イスでは上流の人間は足が小さいのが美しいと言われていますので」
「窮屈ではないのか?」
「ハイヒールでなければ私はなんとか」
元々修道院での暮らしで踵の低い靴に慣れているのもあるが、ハイヒールは爪先に力がかかってしまうので足の甲も痛くなるし、アントニアはあまり好きではないのだ。
ふくらはぎがすんなり伸びて綺麗に見えると男女問わず人気のある靴ではあるのだが、あれをはいて夜会で踊る、というのを考えるとアントニアとしては若干拷問のように思えてしまう。
店員が持ってきてくれた靴は実際、馬車を使うことを前提とした貴婦人向けの上品な靴が多かったのだが、会話を聞いて、新たに一足靴を持ってきてくれた。
「もし、お散歩などされるのでしたらこちらはいかがです?」
差し出されたのは落ち着いた緑の布地に青で花々が刺繍された踵の低い靴だった。
はき口のところが伸びるように工夫されていて、他の靴にくらべても締め付ける感覚がなく、歩きやすく感じた。
「素晴らしい靴ですね、こちらはどこの職人が?」
「これはアウローラ王国からの輸入品なんです。 向こうでは散歩が上流階級の方々の間で人気だとか」
アントニアはイスよりもさらに西にある国ではまた違った文化があるのだな、と考えながらも新しい靴とは思えない脚に馴染み、優しいはき心地に驚いていた。
修道院にいた頃は質素な暮らしをするため重たい木靴をはいていたが、この靴ならば少々回廊や階段を巡っても足が疲れなさそうだと素直に感動していた。
「では、これを」
「旦那様は靴はご入用ではありませんか? 奥様と同じように素敵な靴になられればもっと旅行を楽しめると思いますよ」
にこやかに旦那様、と言われたスーリヤは無表情のまま硬直していた。
邪眼の噂は流石にイスにまでは届いておらず、更にはまさか自分が接客している相手がイェニラ王国の第一王子などと知らぬ店員は朗らかにビジネスを展開していた。
スーリヤはよほどその対応が気に入ったのか、勧められるままに比較的ゆとりのある革靴を買い、更には持っていないのならと薄手の靴下や靴下止めや靴の手入れ用品までも一緒に購入していた。
「靴はここではいていくとしまして……使わないものは取りに来てもらいましょうね」
すっかり積み上がった品物の箱を見ながら、アントニアは苦笑を浮かべて楽し気に口元を震えさせているスーリヤを見守っていた。




