新婚旅行出発
新婚旅行当日、同行する使節団の中にカリムと初めて会う少女の姿を見つけてアントニアは少し驚いた表情を浮かべていた。
「はじめまして、アントニア妃様。 私は宰相の娘のサイーダですわ」
片手を大きく上げて手をふり、屈託なく笑う少女の様子にアントニアは目を丸くしながらも、手をすこし上げて返礼した。
宰相の娘、といっても未婚の女性が旅行に付き添う、となるともしかするとアントニアの話相手としてカリムが手配してくれたのかもしれない、とその気遣いに申し訳ないと思った。
カリムの方はサイーダを伴った状態で他の同行者たちにそれぞれ指示を出し、忙しそうにしていたためあまり話しかけるのも気が引けて、アントニアはスーリヤの隣にたたずんでいた。
アントニアとスーリヤは共に馬車に乗り込んだ。
馬車の中は広々としていたが、乗るのが王子夫妻ともなれば席を同じにするほど高位の身分はおらず、また王子であるカリムは使節団の馬車に乗っているため、必然的に二人きりとなっていた。
緊張から身を固くするアントニアを見ながら、スーリヤは隣に座り、肩が触れるほど近く寄り添っていた。
アントニアは心臓が破裂しそうなほど緊張していたが、隣にいる王子に鼓動が聞こえているのではないかと狼狽し、落ち着きなく視線を動かしていた。
スーリヤの方は普段通りに落ち着きはらっているだけに自分一人が動揺していることにアントニアは余裕を失っていた。
「アントニア、旅路は二度目となるが大丈夫か?」
「は、はい、私は問題なく……」
問題なく、といってからはたとアントニアは考えた。
自分は最初、嫁いでくるときに刺繍をしていたはずだ。
王子宮に入る前に完成したので行李にいれていたが、あれはどこへしまっていただろう。 もしかして、王子宮に残してきてしまっただろうか。
折角、結婚する相手のために用意していたのに、とさあ、と血の気が引いていくアントニアを見て、スーリヤはその肩に手を添えた。
「緊張しなくてもいい。 俺が側にいる」
アントニアが顔を赤らめてスーリヤを見上げると、スーリヤの黄色い目は優しくアントニアを見つめていた。
感情をほとんど見せないスーリヤがこんなにも優しい表情をしてくれているのをアントニアは初めて見た。
血の気の通わぬように見える白い肌は馬車のカーテン越しに差し込む日差しのおかげで優しい色に見え、細められた瞳には彼の優しさがにじみ出ているようでアントニアはどきどきとしながらゆっくりと自分からもスーリヤに寄り添った。
「はい……殿下がおられるなら、何も怖くありません」
「……そうか」
アントニアの肩を抱きながらスーリヤは真っ直ぐに背を伸ばし、揺れる馬車の中であるにも関わらず、一切姿勢を崩さなかった。
そして、一行が船へと移ると男女の区別がはっきりとしているイェニラの伝統にのっとり、夫婦であるスーリヤとアントニアの寝室以外はくっきりと男女で生活スペースが異なっていた。
アントニアはスーリヤとは別に女性の為に用意された談話室へと進むと、カマラが茶をいれて用意をしてくれていた。
「ありがとうございます、カマラ」
「いいえ、どうぞ船旅を楽しんでくださいませ」
そういってカマラがイェニラの砂糖菓子を出していた頃、ばたばたと言う足音が廊下から響いていた。
何事かと思いアントニアが扉の方に目をやると、勢いよく扉を開いてサイーダが飛び込んできた。
「アントニア妃様、私とお話いたしましょう」
まるで親しい友人のもとを訪れたかのように談話室へと入ってきたサイーダにアントニアが戸惑っているとサイーダはシーリンに椅子を準備させるなり、カマラとシーリンへと部屋から出ていくように命じ始めた。
「貴人の話に召使たちがいてはしゃべりづらいでしょう、早く出ていきなさいよ」
「さ、サイーダさん、私は気にしませんが」
「いけませんわ、アントニア妃様がそうやって甘やかすと召使たちがつけあがりますから。 それともイェニラのやり方に何かご不満でもありまして?」
サイーダの口調にいくらかの棘を感じていたが、イェニラのやり方、と言われるとアントニアにはそれ以上止めることが出来なかった。
イェニラではサイーダのいう通り、貴人と召使が楽しく話すようなことがないというのであれば、イェニラの妃としてきたアントニアはそのやり方に慣れる必要があった。
それにわざわざカリムが自分のために招いてくれたかもしれない相手の申し出を断るのも無礼に思われた。
カマラたち侍女が談話室から出ていくと、広い室内に二人となったことで船室が急に静まり返ったように思えていた。
サイーダは椅子に腰を下ろすと、カマラが用意してくれた茶を勝手に手に取り、口元へと運んでいった。
アントニアは自分の分の茶をサイーダに飲まれたことで手持ち無沙汰になっていたが、特に何をいうでもなく椅子に腰を下ろしたまま穏やかに微笑んだ。
「サイーダさんはイェニラの宰相がお父様なのでしたね。 どのような方ですか」
「それは素晴らしい父ですわ、陛下にも長年お仕えしていて、どんなこともつつがなく行ってまいりました」
自信たっぷりに父親のことを語るサイーダの姿にアントニアは微笑を浮かべた。
彼女もまた家族に愛されて育ったのだろう。
少しばかり礼儀に疑問の残るところはあるものの、彼女が胸を張るその背後に家族からの愛情があると思うとアントニアはうらやましくもあり、素直に素敵だと思った。
「それで、アントニア妃様はいつまで宮殿におられるのですか?」
唐突にサイーダから問われた言葉にアントニアは驚いて彼女の顔を見つめていた。
「王位継承権があるといってもイェニラの正当な王子でもないスーリヤ様が王がいるべき宮殿に居座るだなんて、そんな恥知らずな行動に付き合わされてアントニア妃様もさぞ迷惑されてるでしょう?」
サイーダは砂糖をたっぷりと溶かした茶を飲みながら笑みすら浮かべてアントニアを見ていた。
アントニアはサイーダがいう言葉の意味をりかいしていたが、どう反論したものか分からなかった。
ビンバの血を引き、スレイマン三世の実子ではないスーリヤ王子の王位継承権について疑問があるというのはともかく、恥知らずなどと言われることはスーリヤ王子には全くなかった。
「……スーリヤ殿下の宮の改修が終わるまでは、どうしようも」
「その宮にしたってそうです、王子だなんて名ばかりで王族の血も引いてないじゃないですか」
アントニアは呼吸の仕方を忘れそうになるほど混乱していた。
何故、サイーダはこんなにもスーリヤのことを悪く言うのだろう?
サイーダの父は宰相だと言っていたし、宮殿の高官の中にはスーリヤのことを目障りだと思っている人間がいるのだろうか、とアントニアは考えていた。
そして、考えを巡らせて、どういえば失礼にならないかと考えるうちに反論の機会を失って、サイーダはぺらぺらとスーリヤの悪口を言っていた。
「スーリヤ王子なんかに嫁がされて本当におかわいそうですこと。 いつまで王族でいられるかもわかりませんのに」
サイーダの言葉にいよいよアントニアは自分の手が真っ白になるほど握り締め項垂れた。
サイーダの方は言いたいことを言い切ってすっきりした、とでもいうように晴れ晴れとした顔をして飲み干したカップをテーブルに置いていたが、アントニアは静かに自分の膝を見つめていた。
これほど、自分の血が冷たく脈打っていると感じるのは初めてのことだった。
打ちひしがれたように項垂れているアントニアを見てサイーダは鼻を鳴らして笑うと、そのまま談話室を出ていった。




