アントニアの初夜
婚礼の儀を終え、スーリヤとアントニアは夫婦のために用意された部屋へと向かっていた。
寝室には二人がゆったりと横なってもゆとりがあるほど広々とした寝台、新婚の二人を祝福するために用意された織物や様々な贈り物が飾られていた。
そして、その中でも特に目立ったのは、寝台の枕元に大きく飾られた木の実がなった大きな木の下にたたずむ裸の若い男女の絵であった。
「ひえ……」
その絵の意味するところは当然、子宝祈願である。
無論、貴族の娘としてアントニアもそういったことをするのが務めであることは重々承知しているのだが十六歳の無垢な乙女が目にするにはイェニラの文化はあまりにもあけすけであった。
絵の中とは言え全裸の男性を目にするのも耐えられず顔を背けて床を見たアントニアを見ながら、スーリヤは花婿の長い外套を脱いで、椅子に腰を下ろした。
「疲れただろう、座るといい」
スーリヤはそう言いながらも自分の顔半分を覆う仮面を外そうとはしなかった。
アントニアはスーリヤの側の椅子に腰を下ろしてちらりと扉の方を見た。
扉は閉められている。
イスでは未婚の男女が室内にいるときは扉を開けている、というのが常識であった。 密室に男女が二人きりでいるのは不健全だと言われていたからだ。
ここはイェニラではあるが、やはりスーリヤ王子と夫婦になったのだと思うと、嬉しさと恥ずかしさとでアントニアはかあ、と頬が熱くなるのを感じていた。
「殿下は……仮面は、外されないのでしょうか」
「これか? ……俺の目は、少し変わっている。 色が違うから他の人間が見たら驚くと思う」
そう言いながらスーリヤは自分の顔にはまった陶器の面に触れた。
スーリヤ本人も邪眼の噂は知っていた。
別に自分の目にそんな大それた魔法のような力があるとは思わないし、あったとしたら戦争の時に便利だな、と思うくらいなのだが、少なくともそれを怖がる人が多いならばむやみやたらに見せて回り、怯えさせるのもどうかと思い仮面をつけるようになったのだ。
そして、スーリヤは花嫁であるアントニアにもまた怖い思いはさせたくなかった。
しかしアントニアは意を決したように、真っ直ぐな瞳でスーリヤを見つめていた。
「もし、お嫌でなければ見せていただけませんか? その……私、スーリヤ殿下がどんな怖いお顔をされていても、ちっとも嫌いになどなりませんから。 こんなに親切で、優しくて、私を支えてくださる人のお顔を知らないほうがずっと寂しいです」
静かに、控えめに告げられた言葉にスーリヤは少し驚いたように息を呑んだ。
自分の顔を知らないことが寂しい、など想像さえしなかったのだ。
スーリヤは一度小さくうなずくと、自分の後頭部へと両手を回し、陶器の面をとめていた紐を緩め、仮面を外した。
仮面の下から現れた目を見て、アントニアは息を飲んだ。
それは最上のガーネットのように鮮やかな赤で、鮮やかなルビーのように澄んだ瞳だった。
初めて見たスーリヤの素顔は左右で色違いの目をしているけれど、それ以外はまるで石膏で作り上げた最高の彫刻のように気高く、気品のある美しい顔立ちをしていた。
アントニアは自分の夫となった相手がこんなにも美しかったことに驚いていたが、スーリヤの方は特になんの感慨もないのか表情を動かすことはなかった。
「やはり……驚かせてしまったか」
「あ……はい、けれど、ちっとも嫌ではありません。 殿下がとても綺麗で驚いてしまったのです」
夫とはいえ男性の顔に見惚れてしまった自分の反応を恥じるようにアントニアが顔を伏せると、スーリヤは椅子から立ち上がり、アントニアが座る椅子の前に膝をついてアントニアの膝の上に添えられた手に自分の手を重ねた。
「俺の目にはアントニアより美しい人間など地上にいないように思えるのだが」
表情一つ変えずに告げられたお世辞にアントニアは顔を赤らめて苦笑した。
せめて少しでも微笑を浮かべられていたならばアントニアもこの言葉を真に受けていたかもしれないが、人形めいて整った無表情で告げられたのではお世辞であることは明白だった。
スーリヤは優しくアントニアのかぶるヴェールに触れると彼女の髪をもつれさせぬよう、わずかばかり持ち上げてから後ろへと取り払い、その柔らかな頬へと指を添えた。
アントニアは自分の頬に触れるスーリヤの指に身を固くしたが、それは決して不愉快な感触ではなかった。
「口づけをしてもいいか?」
スーリヤから問われた言葉に一挙に心臓が早くなるのを感じた。
アントニアは震える声が自分の心音をごまかしてくれることを祈っていた。
「す、すべて、殿下のお気に召す通りに……私は、殿下の妻でございますから」
「……そうか、アントニア。 君が俺の妻でよかった」
告げられた言葉に思わず目線をスーリヤに合わせた途端、スーリヤの唇がアントニアの唇の上に重ねられた。
椅子に座ったままのアントニアの体を抱きしめて、その温もりをひとつも逃がすまいとするスーリヤの背へとアントニアもまた腕を回した。
スーリヤの体は見た目よりも筋肉質で固く、アントニアはその体に触れながら、どうか自分の心音に彼が驚いてしまわないようにと祈った。
窓の外ではまだ祝福の花火があがっている。 国全体がアントニアがスーリヤの花嫁として訪れたことを喜んでいた。
寝台の上でアントニアは薄く目を開いた。
眠ってしまったらしいスーリヤの顔を見つめて、アントニアは胸の内に優しくこみあげてくる愛情が心地よかった。
お互いに素肌のまま横たわっていることは気恥ずかしかったけれど、本当の夫婦になったという喜びが胸にはあった。
「大好きです、スーリヤ殿下。 私は本当に幸せ……貴方にあえて、たくさんの優しさをもらって、こんなに幸せでいいんでしょうか」
彼を起こさぬようにそ、と手で白い髪へと触れた。
アントニアや修道院での友人たちとは違う固い、男性の髪の感触がした。
その固い髪が自分の指の間を通り抜ける感触すら愛しくて、アントニアは涙を零しながら彼を見つめていた。
美しくて、思いやりに溢れ、そして苦境すら乗り越えてしまう力を持つスーリヤの隣に並ぶのに自分はあまりにもみすぼらしいように思われた。
両親から愛されず、双子の妹とも分かり合う機会などなく、修道院で尼僧のように暮らしていた自分が彼の伴侶として、スーリヤがアントニアを支えてくれたほどに支えることができるのだろうか、そんな不安があった。
それに、イェニラにはイスと違い一夫多妻の制度がある。
いつかスーリヤが別の女性を迎える時が来たならば、きっと今夜ほどに彼を独り占めできる機会はないのだろう。
けれど、それでも自分は一生スーリヤだけを愛し、彼のために尽くそう。
そう心に決めながら、改めてアントニアはスーリヤの顔を見つめてから目を伏せた。
「愛しています、スーリヤ殿下」




