結婚の儀
婚礼の日は朝からにぎやかな銅鑼の音が響き、美しい青空には花火がいくつも打ち上げられていた。
都の人々は皆、宮殿からお披露目される花嫁の姿を一目見たいと押しかけていたが、その一方でスーリヤ王子の邪眼を恐れて首から下げた護符をしっかりと握り締めていた。
宮殿の中もそのにぎやかさは変わらない。
何千人という数の奴隷や使用人がかけまわり、女官たちは花びらや香油をふりまいて花嫁の進む道を清めた。
宮殿全体が巨大な素晴らしい花であるかのように甘く柔らかい香りに包みこまれ、天から音楽が響くかのように管楽器の華やかな演奏がされていた。
花嫁のために用意された部屋から出てきたアントニアはほお、と息を吐いていた。
緊張で全身が強張っているのが分かる。
黒地に黒の絹糸で刺繍といくつもの装飾品が縫い合わされ、金糸の房飾りがいくつも連なっている花嫁衣裳はアントニアのほっそりとした体を包み込み、優しく守るようであった。
鮮やかな金の髪はヴェールの中に隠され、代わりに金の絹糸の飾りがヴェールの縁から垂れ、薄い金属の板が連なった飾りがしゃらしゃらと鈴のような音色を立てていた。
アントニアが一歩すすむ度に彼女の歩みが音楽となるかのような音色を装飾品がたて、スーリヤが用意した最上の香水がアントニアから幾重にも広がっていき、この花嫁が今、蓮の花から生まれてきた女神であるかのように見せていた。
アントニアはカマラとシーリンに付き添われながら長い回廊を進んでいた。
アーチを描いた柱の間からアントニアの姿が見える度に宮殿のそとに集まった人々は祝福の声を上げ、鮮やかな花びらを、砂糖を固めたお菓子を雨のように降り注がせていた。
そして宮殿の正面にしつらえられた舞台へとアントニアが至ると、そこには先にいたスーリヤが立っていた。
カマラとシーリンがその場に平伏するとスーリヤはアントニアの手を取り、そのまま集まった民衆へと向き合った。
スーリヤは花婿の黒い長い外套を纏っていた。
月光のように白い髪は香油で整えられ、血の気の無い頬に白い陶器の仮面をつけた顔をしている。
けれど、彼は太陽を溶かして作った黄金のように美しく、棕櫚の木のように高い背をし、幾重にも刺繍が施された立派な装束にも劣らぬ凛々しい風貌を見せていた。
集った人々は一瞬、邪眼の噂すらも忘れてその美しい花婿の姿に息を飲んだが、慌ててその場に平服してスーリヤの目を見るまいとした。
一挙に鳴りやんだ祝福の声にもスーリヤは表情を変えることなどはなく、側にたたずむアントニアの手を大きな手のひらで包み込んでいた。
スーリヤの大きな手は相変わらず冷たかったが、アントニアは口元に僅かに笑みを浮かべていた。
そして、二人はスレイマン三世の前へと進み出ると正式に夫婦として発表された。
大きな銅鑼の音が鳴り、アントニアは一瞬びくりと肩を跳ねさせた。
「怖いか?」
隣に立っていたスーリヤはそう問いかけ、アントニアの手を包む手に優しく力を込めた。
それだけでアントニアは自分の心臓が高鳴るのを感じて、すぐに首を横に振った。
「いいえ、少し驚いただけです」
「そうか」
仮面をつけているため、その表情のすべてをうかがい知ることはできなかったが、アントニアにはスーリヤが微笑んでいるように見えた。
それは光の加減でみえただけかもしれないが、アントニアの心を優しく甘く締め付けるには十分であった。
そんな花婿と花嫁を見つめ、スレイマン三世もまた珍しく機嫌のよい笑顔を浮かべていた。
スレイマン三世の前にて佇む二人へと、スレイマン三世は穏やかな口調で声をかけた。
「スーリヤ、お前も妻を得たのだ。 これからは一人前の男として妻を支えてやらねばならぬぞ」
「はい、我が父。 これより彼女の幸福のため一命を賭します」
「そして……遥か遠い国よりよくぞ来てくれた、美しい花嫁よ。 そなたはこれから余の娘である」
スレイマン三世から向けられた温かい眼差しにアントニアは胸が痛いほどに軋んだ。
家族として受け入れてくれる、家族として愛してくれる、それだけで孤独を抱えた心はどれほど優しく癒されたことだろうか。
アントニアが頭を下げ、穏やかに微笑む姿を見ながら、スレイマン三世はその名を呼んだ。
「アンネローゼ・シッテンヘルム、これからスーリヤをよろしく頼む」
その瞬間、アントニアは血の気を失い、真っ青な顔をした。
アンネローゼ……、アンネローゼといったのだ。
マリア・アントニアではない、妹の、アンネローゼだと。
「私は……マリア・アントニアでございます」
血の気の失った唇を震わせながら訴えたその表情にスレイマン三世は目を見開き、狼狽したかのように側近のものと顔を見合わせていた。
アントニアの全身は一気に冷たい汗が吹き出し、おこりのように震えていた。
自分じゃなかった? アンネローゼが花嫁になるはずだったのか? そう思うと今まで注がれたやさしさ全てが、アントニアに向けられたことそのものが間違いのように思えていた。
祝いの声も音楽も遥か遠くにいってしまった。 足元がぐらぐらと揺れて、今にも地が裂けてアントニアの体を飲み込んでしまうのではないか。
不安と恐ろしさでアントニアはもう前を向いていることもできず、その場に顔を俯けて、がくがくと震えていた。
両目からは涙がこぼれていた。
やはり、マリア・アントニアは愛されてなどいないのだ。 愛されているのはいつも、アンネローゼなのだ。
けれど、そのアントニアの体が不意に宙へと浮かび上がった。
震えるアントニアをスーリヤ王子が抱きあげていた。
「俺の妻はマリア・アントニア・シッテンヘルムだ。 父上、名を間違えるのはあまりに無礼であろう」
感情の無いかのような冷静な声、無表情のままのスーリヤ王子は真っ直ぐにスレイマン三世の前に自らの妻の名前を宣言していた。
その顔は太陽の明かりを受けて祝福された花婿のものに相応しく、その瞳には一点の迷いも曇りもなかった。
俺の妻はマリア・アントニアだ。
たった一言でアントニアは全身の震えが抜けるのを感じた。
「……そうであったな。 すまぬ、確認が漏れていた。 マリア・アントニアよ、どうかこの父を許してくれ」
まだ動揺している側近たちを手で制しながらスレイマン三世はスーリヤの腕の中に抱かれたままのアントニアへと微笑みかけた。
アントニアはまだ涙で濡れたままの目を細めて笑顔を浮かべた。
「はい……私は、スーリヤ王子の妻となれて幸せでございます」
その笑顔に嘘など微塵もなかった。
マリア・アントニアを妻とすると宣言してくれたスーリヤ王子の優しさ、そして花嫁に恥をかかせるものかという強い思いがアントニアを支えてくれていた。
スーリヤはそのままアントニアの体を抱きあげたまま花嫁の席まで運ぶと、自らはその隣へと座り一度顔を見た。
その表情は普段通り、感情が読み取れないものだったがアントニアは手を包み込む優しい温もりに微笑みを浮かべて見返した。
再び祝福の音色が辺りには響き渡っていた。
銅鑼や管楽器の華やかな音楽に合わせて舞い踊る娘たちが、雨のように降り注ぐ祝福の声と花びらが世界を包み込んでいた。
そして、何よりも隣にいるスーリヤ王子がアントニアの心を穏やかに満たしてくれていた。




