執念
「エレベーター降りて、車に向かった。ドアを閉める動作中に女の悲鳴を聞いた」
「赤いワーゲンは、ロッキーよりエレベーターから離れた場所に駐車していた。渡辺はワーゲンに身を隠して、助手席に乗ろうとした花村ユミを襲った、という事ね」
「瞬殺だな。叫び声の在処を捜した時点で、母子は倒れていた」
「同時に、男2人が争っているのを見たのね?」
「うん。ヤバイ状況だと。だけど、ハッキリ見えたワケじゃ無い。距離が有ったし、日が陰っていた。オレンジのライトが影を作っていたし。駆け寄れば、大きな男が作業服の男の馬乗りになっていた」
「あっという間の出来事、だったのね」
「そういう事だな」
「塚本さんの行動、素早いわね」
「俺は、まず通報して、それから塚本の腕を掴んだ。……そうしたら泣き崩れた。警察が来るまで、ずっと泣いていた。……あの状況では当然に見えた」
「それが、短い間にセイが見た全て?」
「そうだよ」
「やっぱり、塚本さん、怪しいわね」
「……どこが?」
「だって、一度も、倒れている親子の側に行かなかったんでしょ?」
「え?……」
聖は、今一度思い返してみる。
間違い無い。
塚本は一度も、被害者に近づかなかった。
一瞬も、見なかった。
「まず怪我の程度を見に行くでしょ。彼は医者だし。見もしなかったのは、首を切られたのを見て、コレは致命傷と判ったから。後は、正当防衛が成り立つ状況で渡辺を殺すだけ」
「渡辺を殺すのが最終目的か」
「渡辺は塚本に強い恨みを持っていた。2人の間に何があったか判らないけど、逆恨みや被害妄想では、なさそうね」
「脅されていたとして。警察に相談しなかった。余程知られたらマズい、事か」
「2人の接点を、今カオルさんが調べているんでしょ。必ず関係がある筈よ」
聖は結月薫からの連絡を
そう長い間待たなくて良かった。
2日後の夜に、薫は工房に来た。
「確定では無いが、胸くそ悪い事件、やで」
スーパーの半額シールの付いた
唐揚げ、巻き寿司
サンドイッチに、ピザ
山ほど持参。
発泡酒に、日本酒。
携えてバイクでやってきた。
「塚本と渡辺の接点、出てきたんだ」
「それは残念ながら、まだ出てない。だが渡辺が十年前に妻子を交通事故で亡くしている事実が出た」
当時渡辺は奈良県S市で小さな飲食店を夫婦で経営していた。
「国道沿いのラーメン屋や。子どもは、当時3才。女の子や。夕方、奥さんが自転車で、その子を保育園まで迎えに行った。帰ってきて、店の前に自転車を停めた。その時に限って、少し斜めに停めてしまった。後ろが道路にはみ出てたんや。そこを、一台の車が、当たった。奥さんはバランスを崩し自転車ごと転倒。運悪く、道路側へ倒れた。そして、トラックに轢かれた」
渡辺は、側にいて、一部始終を見ていた、という。
「目の前で、見たの?」
「そうや。奥さんも娘も即死や」
「最初に接触した車は、当て逃げ?」
「そうや」
「捕まった?」
「いいや」
目撃者は3人いたが、ナンバーを覚えていないどころか、
白い軽自動車
シルバーのセダン
ベージュのワゴン
と、車種もバラバラ。
「12月2日、午後6時や。……陽が落ちて暗かった。車体の色も車種も鮮明には見えなかった」
「12月2日……事件の日、だな」
「そうや。日が同じで、死んだ子どもの性別も年齢も一致や」
偶然の筈は無い。
渡辺が妻子の命日に復讐を果たしたとしか、考えられない。
「轢いたトラックは制限速度を守っていた。突然、前に自転車が倒れてきて避けようが無かった。俺が渡辺の立場なら、最初に当て逃げした奴を恨む」
当て逃げの車は結局見つからなかった。
自転車に痕跡(追突車の塗料)はなく
目撃情報も曖昧だった。
「渡辺は、当て逃げの車をしっかり見た、と思う。なんらかの情報を得ていたが、警察には言わなかった……そう、思わん?」
「自分の手で、復讐しようと決めたのかな……」
「うん。ほんで犯人を、突き止めた。10年前は、まだ塚本は独身や。渡辺は塚本を殺すだけでは足りなかった。自分と同じ苦しみを味合わせるために、塚本が結婚し、子どもが三才になるまで、待ったとは、考えられないか? ……恐ろしい執念やけど」
薫は、寒いかのように、身体を震わせる。
工房の中は薪ストーブで温かい。
酒も入っているので、身体は熱い。
だが、聖も
背中が寒い。
渡辺の執念が恐ろしい。
替え玉を囮にして返り討ちにした
塚本は、もっと恐ろしいけど。
「そうやで。普通の神経やない。冷酷でないと実行できない完全犯罪や」
「……完全犯罪、になるの?」
「かもな」
「なんで?」
「証拠、ないやん」
渡辺の過去と今回の事件の
奇妙な一致からの憶測にすぎない。
塚本が、渡辺の妻子を当て逃げしたと、認める筈は無い。
証拠が無いと知っている。
渡辺の所持品から塚本を脅迫していた痕跡が出てきても
狂人の妄想、あるいは人違い、……死人に口なしだから何とでも言える。
「そう、死人に口なしや。もっとも口封じに殺されたんやけどな」
塚本は、襲われて返り討ちにしたのだけど
当て逃げを見られているのだ。
渡辺の口封じをしたかったに違いない。
聖は、塚本の大きな握り拳を思い出した。
黒革の手袋でガードされた、凶器を。