幸せすぎて夢みたい
最初に、屋上に来たのは警備員2人だった。
警察の指示なのか、エレベーターを封鎖した。
悲惨な現場を遠目に見て
興奮した様子。
近寄っては来ない。
聖もわざわざ話しかけたりはしなかった。
すぐに警察官が来るだろうから、と。
随分長く感じたが、数分後には警察官が2人、来た。
当然、死体の側に居る二人の男に事情を聞く。
だが、一人は、跪き頭を垂れ、泣いている。
聴取出来る状況では無い。
それで、薄汚れた白衣を着て
左手にだけ軍手をはめている、背の高い男に
何があったか、聞くしか無い。
だが、聖が話せる情報は少なかった。
「たまたま、此処に車を停めただけですから」
自分は、偶然居合わせた目撃者に過ぎない。
見た事を話せば役目は終わり。
この場で解放されると、思った。
だが、続いてやってきた数名の警察官に取り囲まれ
「署まで同行願います」
と言われた。
「4時間取り調べを受けて、指紋も採られて……ロッキーも現場から動かせないと言われて、……パトカーで送って貰った」
「散々な目に合ったのね」
かわいそうに、とマユが慰めてくれる。
<奈良県の大型商業施設駐車場内で幼児を含む三人が心肺停止状態で発見。
現場に居た二人の男性に事情を聞いている>
ネットにはニュース速報で、こう出ていた。
「三人の他殺死体の側に二人の男、でしょ。犯人かも知れない、取り調べは当然と言えば当然よね」
「鞄の中身も調べられた。スマホも、財布の中身も、ハリネズミもね。……あの人が、俺は通りすがりの目撃者だと証言し、ペットショップにも確認して、殺人事件には無関係だということで、解放されたんだ」
「それにしても、小さい子どもまで殺すなんて、余程の恨みがあったのかしら?」
「どうかな。……無差別殺人かも知れないし」
「えっ?……どうして? 被害者一家を狙った犯行だと、普通思うでしょ。尾行して、人気の無い場所で襲おうと狙っていたのだと思うわ」
「……そう、だよね」
マユの言う通りだと考え直す。
何故、無差別殺人と思ったのか?
「あの二人は、男同士は知り合いでは無いと、思ったんだ」
「……どうして?」
「……」
目撃したシーンを思い返す。
「何も言い合って無かったからだ。無言で格闘していた」
犯人が知っている男なら、
まず、何か言うんじゃないだろうか。
「そうだったの。確かに、知り合いなら、とっさに相手の名が口から出そうね。……奥さんの知り合いだったかも知れないわね」
「犯人の身元が分かれば、動機も分かるよ」
「ご主人に殴り殺されたのは想定外でしょうね。正当防衛になるの? それとも過剰防衛?」
「分からない。ありのままを証言したけどね。……あの人、おかしくなっていた、って」
「目の前で妻子が刺されたんでしょ。錯乱して当然よね」
「うん。気の毒だよ。あの人が人殺しになるのは止めたかった。……でも、手遅れだった」
「セイに何の責任も無いわ。もう忘れて、ハリネズミの動画でも見せてよ」
マユは、この事件に興味は無いようだ。
多分、怨恨による殺人事件。
犯人は分かっている。
推理の対象にならない。
次の日、夜遅くに、愛車ロッキーが返ってきた。
結月薫が、運転して。
「カオル、なんで、事前に知らせないの?」
警察からの連絡を待っていたところ
窓の外に、吊り橋を渡って来るロッキーを見て
腰が抜けるほど驚いたのだ。
勝手に帰ってきたかと。
「驚かせたろ、思ったんや。ピザ買って来たで。持ち帰りは半額やねん。ビールも。日本酒も。ワインも。スーパーで刺身も半額なってた。明日の朝ご飯の食材も、ついでに買った」
途中で色々買い物してきたらしい。
「また殺人現場に遭遇したんやな。セイには、なんか憑いてる。間違い無いな」
薫は、面白がっているように見えた。
「ロッキーが解放されたって事は、現場検証終わったの?」
「いや。まだ終わってない。セイの車の調べは終わったという事や。事件に無関係と確認出来た」
「成る程。それで犯人の身元は分かったのか?」
「うん。免許証持ってた」
「奥さんと子どもを刺したのは、恨みがあったから?」
「犯行動機は、まだ分かっていない。捜査が始まったばかりやけど、被疑者死亡やからな。動機は推測の範囲やな」
「そう、だよね」
「ところで、セイ、今、『奥さんと子ども』、そう言ったよな」
「うん。あの人の、名前知らないけど、奥さんと小さい女の子、」
「セイは取調室でも『奥さんと子ども』と繰り返していたと、調書に残っている」
「言っただろうね。他に言いようがないから」
それがどうした?
薫は、ソファにゆったり座り、ビザを食べながら喋っている。
トッピングのサラミをシロにやったりしている。
でも、まだ、ビールが空いていない。
飲んで泊まりに来るついでに、ロッキーを連れてきたのではないのか?
あの事件について、
聞きたい事があるのか?
「セイが、どうして『奥さんと子ども』と、思い込んだのか、出来るだけ詳細に話して欲しい」
「思い込んだって……まさか、違うのか?」
「そう。違う」
聖はエレベーターの中の三人を
ありありと思い出す。
あれは、夫婦だった。
それ以外の関係を疑わなかった。
「違うのか……つまり、戸籍上は夫婦じゃ無いって、そういう事か」
愛人関係の可能性があったのだ。
あの男は、かなりの金持ちに見えた。
愛人を養ってる、とかも、有り得る。
「夫婦、あるいは事実上の夫婦関係に見えた訳や。 何で? それが聞きたい」
薫のイカツイ顔が、近くなる。
右手でビール缶を掴んでいる。
聖の答えを聞くまでは
アルコールを我慢している、
そう言いたげ。
「『幸せすぎて夢みたい』って女の人が言ったんだよ。エレベーターの中で。男は黙ってた。喋っているのを聞いたのはそれだけ。黙って寄り添ってた。……夫婦の距離で。……妻子を殺され、逆上して反撃したんだと。それ以外に考えられなかった」
「成る程。貴重な証言やな。有り難う」
薫は満足したように、ビール缶を開け、一気に喉に流した。
「う、まい。セイ、食べや。飲みや」
上機嫌。
「で、事実はどうなの? 夫婦じゃ無くて愛人?」
確かめないとスッキリしないではないか。
「あんな、知人、やと言うてるねん」
「……知人?」
「そう。友人じゃなくて知人や。正確には小学校の同級生。今年の夏、同窓会で三十年ぶりに再会。もっとも小学校時代も卒業後も(男は私立中学に進学)全く交流は無かった」
男は女の存在自体記憶に無かったらしい。
同窓会ライン経由で女の方からコンタクトを取ってきた。
しつこいくらいにメールが届いた。
初恋の人だったと。
会って欲しいと。
女はシングルマザーで無職。
病んでいると噂もあった。
生活保護で暮らしていると。
一昨日、事件の日、ショッピングモールアピピに一緒に行ったのは、
女がアピピに一緒に行くのが夢だと
家族のように娘と三人、フードコートでランチするのが夢と
それができないなら死ぬと
脅迫めいた病的なメールを送ってきたからだ。
スルーできなかった。
本当に母子心中されたら寝覚めが悪い。
「『幸せすぎて夢みたい』と、女が言ったのは、この裏事情と矛盾は無い。不幸な状況で病んでいた女は、ひとときの幸せに酔いしれていた。男はひたすら受け身。女の気の済むように優しく接していた。セイが家族やと思い込んだのも当然やな」
「……そうだったのか。意外だな。裕福で幸せな一家にしか、見えなかった」
「エレベーターの中で数分の接触やからな。今聞いた限りは、セイには裕福な一家、以外に想定する材料は無かった、という事や」
「……うん」
「それが確認出来て良かった。犯人と女の接点が、そのうち炙り出てくるわ。出会い系SNSとか、ちゃうんかな。ややこし女やったみたいやいから」
「……うん」
聖は<ややこしい女>が、可哀想で、少し悲しかった。
明るい茶髪、
ピンクのセーター
黒いミニスカート
金のピアス
ピンヒールのブーツ。
首から血を流し、小さな娘と並んで息絶えていた。
裕福そうな男と並んで夫婦に見えた。
おしゃれで、恵まれた若い母親に見えた。
それが、事実を知れば痛々しい。