奏とこれから。
目が覚めてグッと伸びをした。時計を、見ると、朝食まであと四十五分という、丁度良い時間だった。
横を見ると、スヤスヤと寝息を立てる奏が目に入る。安らかで、可愛らしくて、もう少しだけ眺めていたくなる。
でも、ここは起こそう。
「起きろ、奏」
「んー? おー。おはよう」
「うん。おはよう」
奏も伸びをして、欠伸を一つ。立ち上がる。
「ほい、眼鏡」
「ん、ありがと」
彼女か。
できたのは初めてじゃない。中学の時も、浮かれた気持ちを抱えて、でも、自分に落ち着け、落ち着くんだと言い聞かせていた思い出はある。
……愛してる、か。
なんで、俺は泣いてしまったんだろ。
泣くほど嬉しいなんて体験、初めてだった。
身支度を整えて、カーテンを開けると、朝の海が、眼に入る。
船が行き交う、のんびりとした、けれど、忙しい海辺の街だ。
「史郎君」
「ん?」
「えいっ」
抱き着いて、そのまま、触れるだけの優しい口づけ。
「えへへっ。おはようのキス。これからは毎日、こうしようね?」
「……なんというか、意外過ぎる」
もう少しさっぱりとした付き合い方になると思っていたから。
「ため込んだ分の気持ちが落ち着くまでは、許して」
「……はいはい」
俺が待たせてしまった期間もあるから、従おう。
それに、嬉しいのは、奏だけじゃない。
浮かれてるな。やっぱり。
チェックアウトを済ませて、旅館を出る。
何となく、手を繋いだ。
「あー。鞄持ってない方の手が暇でな。転びそうになっても大丈夫なように」
「そんな言い訳しなくても。嬉しいよ。手を繋ぐだけでも」
クスクスと、笑われてしまった。
「また来ようね。美味しかったし」
「あぁ。でも、奏の手料理も恋しい」
「帰ったら作ったげる」
来た時には降りた場所。今度は、日常に戻してくれる場所。
旅行の間、結愛も志保も、連絡してこなかった。
気を使ってくれたのだろうか。きっと、出発前から、俺の気持ちは奏に寄っていた。
それに気づかれていたのか。
ボックス席に、どうしてか隣り合わせで座った。
「ふわぁ」
「眠いか?」
「そりゃあね。肩貸して」
「あぁ」
普段と違う匂い。けれど、温もりも重さも、よく知っているもの。
窓の外の景色が流れていく。来た時の光景が逆再生に、なんてことではない。昨日と今日で景色が違うのは当然だろう。
昨日と同じ今日は来ない。そう考えると、昨日の夜、奏の言葉は、正しかった。幸せを噛み締めて良かったんだ。
わかってくれる人がいる、受け入れてくれる人がいる。その事実を喜び、受け止め。でも、甘え過ぎず、気を引き締めて。
奏に好きだと胸を張って言えるように。言ってもらえるように。
真面目過ぎるかな。でも、間違えてないはずだ。
そうだ。奏の言う通りだ。大事なのは、これからだ。
愛してくれる人がいる。それがいかに恵まれていることか、絶対に、忘れてはいけない。
「上手くいきましたか?」
「何が?」
「奏さんと。どこまでやっちゃいました?」
「……答えると思うか?」
「それがもう答えですね」
結愛は控えめに、口元に手を当てて笑う。
深夜、俺の部屋。夕飯はこちらの家で、花音ちゃんと音葉ちゃんも交えて食べた。
奏は、ギリギリまで自分だけでもこちらに泊まるか迷っていた。
それでも、そこは旅行に行くという形で、少し羽目を外した反動か、しっかりとしなければいけないと思ったのか、妹を優先した。
そして、眠る前、部屋の窓が叩かれた。
「そうですかー。そうなりますよねー。やっぱり。そう思ったから来たのですけど」
「どういう……」
「先輩、任務から外れますか?」
「……急になんだ」
「奏さん、史郎先輩がこの仕事をするの、良く思っていませんし。彼女さんの意向を汲むべきかなと」
俯き加減に、結愛は声色はいつも通りにそう言う。けれど、俺は相棒だ。それが本意では無いのは、当然わかる。
「……最低限、高校卒業するまでは協力する」
「でも」
「奏の意思もそうだが、俺にも、意地があるんだ」
奏も、そこまでなら納得してくれるはずだ。
「卒業後は、わからない。それからの就職先も」
「はい」
「それでも責任を、自己満足かもしれないけど、果たさせてくれ」
良いよな、奏。
良いよな。
結愛の笑顔が弾ける。
「これからもしばらく、頼んだぜ、相棒」
「はい!」
固い握手を交わす。
内容はそれだけ。これからの予定を共有して結愛は帰った。
「……史郎君、信用してくれているんだね、私のこと」
「どういう意味だよ」
部屋の扉が開き、パジャマ姿の奏が入ってくる。
「きっと許してくれる。そう思ってくれるの、結構嬉しいよ。乱発はされたくなけど」
「そりゃ、そうだ」
抱き着いてくる奏を抱き返す。
いつも通りの香りが、鼻孔をくすぐる。
「史郎君がこれから何を選ぶか、それについて、私のことも含めて考えてくれるの、嬉しいよ」
「あぁ」
胸に頬ずりしてくる奏の頭を優しく撫でる。
「私、こういうの好きだなー。できる限り毎日、こうする時間、欲しいな」
「いきなり飛ばして、飽きないか?」
「少しずつ、落ち着いて行けるから、きっと。私と史郎君、今までどれだけの時間一緒に過ごしてきたと思っているの? きっと大丈夫だよ。今までの私たちが、証明してくれている」
「……そうだな」
そうだ。
……俺は、奏を、信じている。
「どんな奏でも、受け止める」
「ありがとう。私も、史郎君を裏切りたくないから」
そう言って、奏はグイグイと俺をベッドに押していく。
「一緒に寝よ?」
「えっ」
「いや?」
「いやじゃないけど、でも」
でも。
「妹たちは?」
「もう寝たよ」
一歩、ベッドに近づく。
くっ、奏に対しては俺、力出せないよ。
「ほら、妹たちの朝ご飯」
「大丈夫、下ごしらえまでは終わってるから」
ドスンと、俺の腰はベッドに落ちる。奏の手が肩にかけられる。
「だからね、史郎君、卒業まで志保さんを気にかけて良いから、今日は一緒に寝よ。私とこうやって一緒に、恋人としての時間を作ってくれるなら、まずは卒業まで、史郎君の仕事に、極力口出さないから」
「極力、なんだな」
「命の危険があるとかなら、私も文句の一つも言いたくなるよ」
そして、唇が合わせられる。
心臓がうるさくなる。
「だからね、史郎君。約束して。自分をちゃんと守ること、私のところに帰ってくること。私との時間を、絶対に作ること。この三つ。そしたら、多少の心配をかけることは許してあげる」
奏は、そう言って笑いかける。
「任せろ。俺は、奏を、あ、あい……」
「ふふっ。史郎君。今は良いよ。いつか、ちゃんと言ってね」
また、唇で触れ合う。
そのまま、奏は俺の肩にかけた手に力を込める。
「……また押し倒されるのか」
「ふふん。待たせるからだよ。穏やかな夜はしばらく無いと思って良いよ」
それから、奏は、耳元に顔を寄せて。
「愛してるよ、史郎君。フーッ」
「んぐっ、耳に息を吹きかけるな」
「あははっ」




