そして、夜。気持ちを重ねる。
「ふふっ、史郎君、凄い声だね」
「う、うっせー」
「そんなに気持ち良い?」
「まぁ。結構」
「そっ、私も。結構良いかも」
素肌に心地の良い温もり。思わず、ため息の一つでも吐きたくなるものだろう。
ぼんやりと、星空を眺めながら、竹柵越しに、そんな会話をする。
俺達以外、誰もいない。冬の露天風呂。
意外と疲れていた、肩に力が入っていたことに気づいた。
凝っていたものが解れて、滞っていたものが、ちゃんと流れていく。
サラサラとした水質。程よく広い浴槽。温泉かぁ、良いなぁ。
「ねー、史郎君」
「んー?」
「帰りたいとか、思う?」
「どうだろ……帰らなきゃいけないのは確かだから、あんまり考えてなかった」
休日は、平日があるから休日で。旅とは、いずれ終わるから旅なのだ。
「……私は、史郎君と二人だけで過ごせる時間が、もっと続けば良いのに、なんて思うよ」
奏の言葉について、少しだけ考える。
魅力的な話だ。
俺は、奏のことを、どう思っている。
俺は今、何を求めている。どんな幸せを、求めている。
「ずっと史郎君のことが好きで。やっと伝えられたんだ」
だから。私は。
今この時、このチャンスを。
誰の邪魔も入らないこの時を。求めていたんだ。
平和な、史郎君と二人だけの時間を、やっと作れたんだ。
「先に、部屋、行ってるね?」
「あ、あぁ」
水音、内風呂への扉が開く音。閉まる音。
俺も、そろそろ良い感じに温まって来たんだよなぁ。
腕を持ち上げ、滴る水を何となく眺めた。
……何で俺は、奏と二人部屋にしてしまったのだろう。節約しようという考えと、一緒にいることに対する、当たり前の感覚が、判断を鈍らせたのだろう。
「うぅむ」
浮かれてたんだな、俺。
部屋の前、息を一つ吐いて、くっ、緊張しているな。
今日一日で、かなり奏を意識してしまっている。ここから先は、ある意味大変な夜になるかもしれない。
「スーハーっ」
深呼吸。深呼吸だ。落ち着けるんだ。落ち着けろ。
ガチャリと、急に扉が急に開いた。手首を掴まれ、一気に引きずり込まれる。
「待ってたよ、史郎君」
扉が閉まり、鍵が閉められる。俺は、壁に押し付けられる。
「ど、どうしたんだよ。奏」
「待てなくなっちゃった。よく考えれば、三年近く待ったんだよ。もう、待たなくて良いよね」
「な、何を」
「史郎君。私、史郎君のこと好きだよ。何回だって、言うよ」
顔が、近い。その気になれば、唇を奪えるし、奪われる。
お風呂上がりだから眼鏡をかけているけど、そのレンズの向こうの目は、熱っぽく潤んでいる。
奏を乱暴に押しのけなんて、そんな選択肢、俺には存在しない。だから、この場の主導権は奏が握っていた。
「史郎君は、どうかな?」
今が、答える時なのかな。いや、そうなのだろう。
劇的で、ロマンチックで。 相応しい場。相応しい時。そういうのを無意識のうちに求めていた。
でも、そんなもの、無いのかもしれない。気持ちに相応しいなんて、求め続けても納得なんてできないのだろう。
なら俺は、どう答えるべきか。
奏の気持ちに対して、ちゃんと向き合って、答えられる言葉を、丁寧に選ぶ。
「奏とずっといられたら、きっと楽しい。きっと、幸せだ」
ずっと寄り添ってくれた人。
ずっと、支えてくれた人。
「奏のおかげで、頑張れた。立ち上がれた」
俺は。だから。
「奏のこと、好きなのは、間違いないよ」
今、俺は、目の前の奏のことしか、考えられない。
口に出して言うと、愛おしさが、溢れてくる。
「奏」
腕の中にすっぽりと納まってしまう。とても大切な女の子。
「奏、奏!」
「ふふっ、そんなに呼ばなくても、私、居なくならないよ」
ここに来て、日常から離れて、実感した。
奏が大切で、奏との日常がかけがえのない時間で。
だから、俺は、この場で、選べたんだ。
敷いた布団の上に座って、何となくテレビ番組を流している。掛け布団を畳んでソファーみたいにして、奏と並んで寄りかかっている。
この時間ともなれば、俺も知っている全国放送の番組を見ることができる。とは言ってもあまり真剣には見ていない。
隣に座る奏の方に意識が向いてしまう。
もう、湯上りのほんのりと赤い肌とはいかないけど、旅館浴衣に身を包んで、見慣れない幼馴染の姿に、心がうるさく騒ぐんだ。
「実感湧かない」
「何が?」
「奏と恋人、ってことで良いのか?」
「よくなかったら泣くよ」
呆気ないとすら思う。あんなに悩んで、駆けずり回ったのに。
これで良かったのか? なんて。
「確かに、ちょっと締まらないかなって思うけどさ、でも重要なのはそこじゃないよ。告白は、通過点だもん。山場かもしれないけどさ、大事なのは、これからでしょ」
奏はそう言って、身体を寄せてくる。ギュッと腕に抱き着いてくる。
「……あの、奏さん?」
「当ててるんだよ」
「質問を予想してテンプレートで撃ち返してきた!」
「史郎君の考えていることなんて、すぐにわかるよ」
って、これ、下着付けていないのか。奏、寝る時は付けない派なのか。知らなかった。
……落ち着け。クールになれ、俺。
流石に、付き合い始めて、その日の夜は、早い。
さっさと寝てしまおう。そうすれば、お互い頭も冷えるだろ。
「私からすれば、三年近く待ち続けた夜なんだけど」
「……奏さん?」
後ろ髪を弄りながら、奏は真剣な目を真っ直ぐに向けてくる。
「史郎君の考えそうなことくらい、わかるよ」
どうやら俺は、自分の幼馴染には、勝てないみたいだ。
でも、ここは冷静な判断を促すべき場面。勝てなくても引き分けにまではもっていくのが俺のやり方だ。
「待て。まだキスすら」
「すれば良いじゃん」
そう言って、手で頬を挟まれ、唇が押し付けられる。
「む、むぐっ」
「ぷはっ。逃げないでよ」
「いや、あれだ。そのー、やっぱり最初は丁寧に」
「しらないよ! うれしいし、しあわせなんだもん。しあわせはこれからも、つづくよ。でも、きょうというしあわせなよるは、もうこないんだから!」
熱に浮かされたようにそう言って、マウントポジションを取った奏は、俺の肩を抑えて覆いかぶさってくる。
「史郎君。ずっと大好き……愛してる」
「……あっ」
なんでだろう。
耳元で囁かれた『愛してる』という、そんな、単純で、ありがちな言葉に、心が熱くなった。
視界が少しぼやけて、どうしてか、涙が溢れた。
「史郎君? えっと、大丈夫? ごめんね」
「ありがとう、……かなで」
涙で、上手く声が出なかった。でも、心からの、ありがとうだ。
抱きしめた。幸せを、しばらく離したくなかったから。




