ゆったりと、海沿いを歩く。ただそれだけのこと。
冬の海の砂浜には雪が積もっている。
波打ち際、奏は楽し気に、波の動きに合わせて海に近づいたり、離れたり。
冬の、控えめな日差し。水面は優しく煌めいてる。
「史郎君もやろうよ、楽しいよ!」
「見てるだけでお腹一杯だよ」
「おっさんくさいよ」
「良いだろ、別に」
潮風、別に気持ちよくは無い。
海か……。
海に特別思い入れも、思い出もない。ただ、ここを漕ぎだせば別の国に行ける可能性が生まれるのが、実感としては感じられない。
ただ、こうして眺めていると、どうしてか、体の力が抜けて、視線は海から逸らせなくなる。心が飛んでしまう。
「どうかしたの? 史郎君」
「……別に」
振り返れば、足跡が。延々と。これも、満潮になれば消えてしまう。
「なんかそれっぽいところ行かなくて良いのかよ?」
「それっぽいって?」
「観光スポットとかだよ」
調べると、バスに乗ればスキーくらいには行けることがわかる。スキーに行くなら、最初から山間のホテルを取っていたが。
「ふふっ」
何が面白いのか、奏はクスクスと笑い始める。
「史郎君、そんな張り切らなくて良いって。史郎君が観光したいなら、それはそれで良いけどさ。旅行って、何も観光スポットに行くことがメインってわけじゃないんだよ」
「と、言いますと?」
指を一つ立て、奏は言う。
「まずは、日常から離れて、忙しさや大切な責任を一旦忘れること」
「あぁ」
その言葉で、俺はまた、志保や結愛のことが頭から抜けていることに気づく。
「二つ目は、普段は味わえない癒しを得ることで、気持ちをリセットすること」
「温泉のこととかか」
温泉に関しては、少しだけ、楽しみな自分がいる。
「最近色々あったし、丁度良いんじゃない? 史郎君、気を張り詰めすぎるのも良くないよ」
「……まぁな」
俺が戻ったら、次は結愛が休暇かな。それなら。
そして、三本目の指を折り、ぱちりと奏は片目を瞑った。
「三つめは。誰かとの距離を、詰めること」
「……おう」
「……えいっ」
「えっ」
奏が、首に腕を回し、抱き着いてくる。
「こうして旅行中、心理的な解放感で行動が大胆になるのです」
冬の海だ。わざわざ来る人なんて、ほとんどいない。
抱き着いてくる奏に、どうして良いかわからなくなる。
「あーっ」
なんとなく、抱きしめ返した。
密着度が上がる。奏の温もりが、これでもかと感じられる。女の子って、何で柔らかくて、温かくて、良い匂いがするのだろう。
きっと、俺の知らない素敵なものでできているんだ。
奏の気持ちを知っている。そして、それは今も変わっていないことを、強く認識した。
なら俺はどうだ。
俺は、奏を好きなのか。
他の誰かと比べるんじゃない。今、奏と向き合ってどう思っているのか、それを考える……いや、考えてもどうせ答えは出ない。
散々考えて今に至っているんだ。ならもう、感じるしかないだろう。
「史郎君?」
「うん?」
「あの、抱き着いておいてあれなんだけど、いつまでこうしていれば良いかな?」
「あー……飯、食うか?」
「だね」
パッと離れた奏は、照れたように、少しだけ頬を赤らめていた。
そんな顔で、上目遣いとか、正直、反則だと思う。
温もりが離れて、さっきよりも少しだけ、寒い。けれど、胸の内から溢れる熱はジンジンと心が温かくなる。
海の近くに来ると魚を食べたくなるというのは、冷静に考えれば、結構凄い発想なのかもしれない。
目の前には、そいつらの生息地、いわば家があるのだ。もしかしたら、同胞がいるかもしれない。
彼らの家の目の前で、バラバラにされたそいつを、同胞の目の前で食す。
いやまぁ、そんなサディスティックな考え方のもと、海の近くで魚を食べたい、と考える人なんて、恐らくいないだろうけど。確実に新鮮な状態の産地にて、その場で食べたい。というわりと当たり前の発想の基だろう。
「史郎君、物凄くくだらないこと考えているでしょ」
「あぁ。とてもくだらないことだよ」
こんもりと盛られたわさびをつけながら、海鮮丼を食べる。
美味いな。臭みも無く、刺身の旨味を純粋に楽しめる。
「美味しいね」
「あぁ」
味噌汁も、良いなぁ。舌が火傷しそうな熱さをしているが、それもまた良いな。
市場の中に設けられたスペース。好きなネタを選んで酢飯に載せていく形式。そして、安い。
「ごちそうさま」
「早いね」
「まぁ、美味かった」
「よかった……って、私が言うのも変か」
はにかむように笑う奏に、少しだけ見惚れた。
目元を擦る。なんだかな。少しだけ、調子が狂う。
「私もごちそうさま」
俺も改めて、二人で手を合わせた。
結構混んでいる。席待ちの人も結構いる。だからさっさと退散することにした。
「行こうか」
手を握られた。そのことに特に驚かず、不自然な違和感もなく、俺はそれを受け入れた。
見慣れない景色、そこで、一番一緒にいた人と、並んで歩いている。
奏とずっと一緒にいる。その未来を何となく意識した。
それはきっと、良い未来だ。
奏となら、ずっと一緒にいられる。
「奏は、どこまで考えている?」
「どこまでって?」
「何歳まで生きたい?」
「んー。それは考えてないな。ただね」
「うん」
立ち止まって、少し考えて、そして、こちらを見上げた奏は、綺麗だった。
「史郎君よりは、長生きしたいなぁって」
「お、おう、なんで?」
「そうすれば、史郎君は私を置いて行きたくないから、頑張るでしょ。そうしたら、
一緒に力尽きられるかなって」
気がつけば、戻ってきていた。
目の前に、俺達が今日泊まる予定の温泉宿があった。
ただ、ここまで歩いてくるだけの時間に、俺は心が満たされていた。
大切な人と過ごせる時間に、確かな温かさを。これが幸せというのだろうか、そんなものを、感じていた。




