スタートライン。
家に帰ったら、クラッカーの音に出迎えられた。
「「志保さん、お誕生日、おめでとー」」
「ありがとう」
出迎えを受ける志保の後ろから、こっそりとリビングの中に。
不思議と、気分は沈んでいない。むしろ、スッキリしている。
帰り道、特にこれと言って会話は無かったけど、それは、いつも通りの心地の良い沈黙だ。
今の俺達は、ちゃんと友達だ。
志保の嬉しそうな表情はきっと素直な感情だ。
綻んだ頬も、緩く弧を描く唇も、食べ物に目を輝かせる目も。
テーブルに目を向けると、パーティー料理が並んでいる。
グラタンに唐揚げにシーザーサラダ。ピザに各種ソフトドリンク。
四人で食べるには十分な量。
「ケーキもあるから楽しみにしてて」
「うん」
志保は大きく頷いた。
いきなり一切の気まずさが無くなるわけが無い。
だから、会話のテンポは少しだけ遅いし、間は少しだけ長い気がする。
でも、それでも、素直に今の状況を楽しめている。
奏と結愛が用意したパーティー料理の味を素直に楽しめているし、会話も楽しい。
プレゼントを渡して、それを喜んでもらえるか、そわそわしながらその時を待っている、
見事のホールケーキだ。フルーツたっぷり。
「史郎君へのお見舞い、勝手に使っちゃったけど、良かった?」
「あぁ。美味いよ」
そんな風に、和やかに時間が過ぎて。
プレゼントを渡して。
その日は終わる。
新しい日常が始まる。
「送ってありがとうございます。史郎さん」
「ありがとね、史郎君」
顔を見合わせて、小さく笑って、志保が一軒家に、結愛はアパートに、それぞれ足を向ける。
「あぁ。おやすみ」
踵を返す。
自分の家に足を向ける。
「それだけで帰すと思いますか? 先輩」
後ろから抱き着かれる感触。ふわりと香る甘い、柑橘系の香り。
「どうなったのですか?」
「……とりあえず、お前の部屋で話そう」
「どうぞ」
「どうも」
隣に座る結愛が、マグカップを置いてくれる。
一口飲んで唇を湿らせて、あったことを正直に話した。
口を挟まず、静かに聞いてくれた。
話終わると、腕に寄りかかる感触。寝たのかなと思い顔を向けると、真っ直ぐに目が合った。
「なるほど。安心しました」
「あぁ。迷惑、かけたな」
「いえ、傍から見れば私と奏さんは、余計なお節介を焼いたというか、勝手に外野が口を突っ込んだようなものです」
そう言いながらも、満足気にマグカップに口を付ける。
「じゃあ、後は先輩、気兼ねなく、好きな人を選べるわけですが」
「人が人を選ぶって、おこがましいよな」
「まだ言いますか……」
「いやまぁ、おこがましいけど、かと言って、返事をいつまでも保留するわけにもいかねぇし。難儀なものだよ」
「先輩、誰も怒りませんから」
「あぁ、まぁ」
「先輩を監禁して、独り占めすることを検討するくらいはあると思いますが」
「オイこら」
怖いよ。普通に怖いよ。
手段を選ばないことに定評がある結愛さん、本気を出したら実行しかねない恐ろしさはあるぞ、おい。
ニッと笑う結愛の笑顔。
「でも、何でしょう。私は今の先輩が好きなのであって、支配して、閉じ込めてしまったら、今の先輩を損ねてしまうかもしれないので、やらないと思いますけど」
「うーん。何だろう、最初から検討しないで欲しいと言いますか」
「にひっ」
「笑って誤魔化されても……」
「とりあえず。明日から楽しみですね」
「何が?」
「全員がスタートラインに立った、ということですから。志保さんも、先輩も」
「あぁ」
そういうことに、なるのか。
まぁ、そうだな。
新生活を完璧な心境で迎えられる人は、どのくらいいるだろうか。
後ろを振り返って、やり残したこと、心残りが全くない、なんて人はどのくらいいるだろうか。
「さぁ、明日から頑張るぞ」という言葉に、過去を覆い隠すための誤魔化しの感情を含めずに、清々しい気持ちで言える人は、どのくらいいるだろうか。
俺は多分、恵まれてる方だ。
過去に置いてきたことを、しゃがんで見つめていたら、手を差し伸べてくれる人がいた。
解消することに付き合ってくれる人がいた。
俺は幸運だ。ちゃんと、決着を付けられた。
窓から見える家、もう明かりは無い。寝たのだろう。
「なぁ、結愛」
「はい」
「結愛は、仕事をやめること、考えたことあるのか?」
「無いですね」
「そうか」
「でもまぁ、先輩がやめろと手を引っ張ってくれるなら、考えるかもしれません」
「そうか」
自分の手を見る。
俺の手が握れるのは、どれくらいだろうか。
がむしゃらに、全員の手を掴んで、精一杯腕を広げて、守ろうとして。俺には、力があるから。経験があるから。
でも、今は冷静だ。
俺は、自分のできることを、届く範囲を見ることができる。
だからわかる。足りないと。今までは、たまたま守ることができていたと。
「また、お前を頼るかもしれない」
「ありがとうございます」
「俺の台詞だろ、それ」
「先輩が頼ると宣言してくれるだけ、私の言ったことが響いていると考えると、嬉しいです。だから、ありがとうです」
俺が本気を出さなければいけない状況。結愛の力を頼るような状況。そんなものに陥らない方が良いのは確かだ。
でも。それでも。
「頼んだぜ、相棒」
「今まで一番、言われて嬉しい『相棒』ですよ」




