冷えた秋の空気。
「志保さん。優しいと、臆病は違うよ」
「そりゃそうだよ」
何を今更、なんて顔をされた。
「ちょっとわかりづらかったかな。優し過ぎて、臆病になっているって言うべきかな。それとも、臆病故に優しくなっていると言うべきかな。
相手を傷つけないようにする。それは優しいことと言えるけど、でも、それが過ぎると臆病になる。肝心な時に、相手に踏み込めなくなる」
残酷だ。
相手を傷つける覚悟を求められるって。
でも私たちは、きっとどこかで、等しく同じ臆病を抱えている。
傷つけたくなくて、嫌われたくなくて、踏み込まれたくなくて。
優しさという一線を引く。
「志保さん、私、酷いかな」
「……これだけは言えるよ。奏ちゃんと友達になって、良かったって」
「……ありがとう。私も、そう思う。だから、躊躇っちゃったんだよ」
「躊躇わないでよ。うん。奏ちゃんと友達でいたいから、私、少しやる気出たんだから」
今の、史郎との微妙な関係を続けたら、奏ちゃんとも、結愛ちゃんとも、きっと微妙な関係になる。いや、なりかけていた。
史郎との中途半端だけど、居心地の良い関係と、奏ちゃん達との関係を天秤にかけたら、私だって、少しの勇気は、出るというものだ。
「奏ちゃん。私、覚悟決めるから、史郎のこと、お願い」
「うん。志保さんが大丈夫だって、ちゃんと伝えるから、大丈夫になってね」
「置いてきたつもりだった気持ちと、向き合う」
「うん。頑張れ」
そうして、どうしてか私たちは、拳をぶつけ合った。
そんな会話をした次の日。土曜日。
「史郎君、出かける予定、ある?」
「無い」
史郎君の顔色が良かった。
どこか鬱々としていた顔が、最後の記憶だから。
……結愛さんか。ここまで立ち直らせるとは。手強いな。
でも、正直、ありがたい。
史郎君にどんな言葉をかければ良いか、わからなかったから。流石、史郎君が最も頼りにしている人。
「結愛さんは私のこと凄いと言うけどなぁ」
「奏は凄いぞ。結愛も凄いが」
「志保さんは?」
「勿論凄い」
しみじみと、史郎君は言う。
その様子に、お世辞では無いとすぐにわかった。
「それで、俺の出かける予定を聞いてどうした?」
「少し、散歩しない?」
そう言うと、史郎君の目は鋭いものに一瞬だけ変わり、すぐにいつも通りになる。
でもわかる。史郎君の中で、何かが切り替わったって。
「丁度良いや。俺も、話しがしたいと思っていたし」
その言葉に、変な力みは無い。だから私は緊張した。
無理矢理力を抜く。今私が不安になってどうする。
結愛さんにとっくに気持ちが傾いてしまっている。その可能性は考えられるけど、今、恐れ、考えることではないはずだ。
「じゃあ、朝ご飯食べたら、行こうか」
ご飯と味噌汁と鮭の塩焼き。だし巻き卵におみ漬け。
朝食がテーブルに並ぶ。
「サンキュー」
そう言いながら、史郎君はコーヒーを注いだマグカップを置いてくれる。
「史郎君も。ありがと」
「……食べようぜ」
そう言って、手を合わせた。
九重史郎君のことが好きだ。
ご存知の通りである。
誰に語りかけているんだ、私は。
しかしながら、この男は結構面倒だ。
まず色仕掛けが通用しない。
親がいない家、たまに妹がいる程度の家にずっと一緒にいて、何も仕掛けてこない。
見下ろすは、我ながらよく育った二つの丘。別に太ってはいない。スタイルの維持は頑張っている。
実質一人暮らしの家に、それなりに可愛い(自己分析)の女の子がいるのに、何かする素振りも無い。
……その程度では色仕掛けとは言わない? ……マジか。そこは追々考えよう。
めんどくさいポイントその二。元カノが超絶級の美人。
朝倉志保さんは間違いなく美人だ。私が男なら狙っていた。
足細いし長いし。ウエストもキュッとしまって、しかしながら、不健康さは感じない。曲線美脚線美。胸も程よくあり艶のある長い黒髪。
何をどうしたらこんな風に育つのやら。
美味しそうな食べ物に目を光らせ、放課後は絶対買い食いしているのを見ていると、世の不条理を感じる。
でも、一緒にいる時間は、本当に楽しい。もっと早く、出会えていたらと思う。
けれど、史郎君と同じくらい、面倒な人でもある。
史郎君と同じことに縛られて、真逆な答えを出している。
過去の気持ちと向き合い続けて、後ろを向き続ける史郎君。
過去の気持ちを後ろに置いて、前を向き続ける志保さん。
でも結局縛られて、立ち止まっている。終わりきっていない。
「はぁ」
客観的に見るなら、志保さんが肩越しに振り返ってしまった、って言うべきなのかな。
史郎君にとって、一番好きな人、って言ったところかな。
あとは、可愛い後輩もいる。めんどくさいポイントその三だ。
萩野結愛さん。
私たちより一つ年下だけど、任務として高校生になった。
背は私よりも低い。びっくりした。正直。
正直、見事なまでの子ども体形。でも、肌綺麗だし、顔可愛いし。人懐っこい言動とか、正直、頭撫でたくなる。その分、時折漏れ出る冷めた部分が際立つわけだけど。
史郎君は多分、一番信頼している。咄嗟の場面で頼るのは結愛さんだ。
それだけの信頼を裏付ける能力もあるし。
私を助けに来てくれた時の銃の扱いは、素人目で見ても、凄いのはわかった。
正直、銃撃っている時も、夜中、家の前で戦っている時も、なんかカッコいいな、なんて思った。
頭も良い。これまでのテスト、情報処理は仕方ないとして、数学とか物理とか、普通に負けた。忘れられてると思うけど、一応、私、前期は総合一位の成績。
そういえば、家に来てもらった時、パソコン直してもらったな。
もっと仲良くなりたいと、正直思う。
史郎君に対する思いも行動も、ドストレート。
最近、学校でも、隙あれば、軽めのスキンシップを取ろうとしていたし、手を握る程度の。でも、その程度でも、クラスメイトのみんなも、気持ちは気づいていると思う。
眼鏡っ子の隠れ美少女ファンは、潜伏しているだけで、男女ともにいるのだ。ファンと言うか、見守る会か。
本人には言わないけど。
こんな二人に気持ちを寄せられても、彼の自己評価は低い。とても。
「さぁ、どうしたら良いでしょう」
駅前を通り抜け、少しずつ、街の中心から外れていく。
この道、最後に来たのは、大体半年前か。
風を感じる。冷えた風だ。前に来た時、桜は既に散っていた。緑だった。今は、枯れている。
枝が目立つ。地に落ちた葉は、どこに消えるのか。どこに消えるのか。
「なんでここ」
「んー。色々あるけどさ、落ち着いて話すなら、ここかなって」
家で良いだろと思いはしても、出かけることを容認した以上。そして、俺も話があるといった以上、俺はこれ以上の文句を飲み込んだ。
「寒いな」
「そう?」
そう言っている奏の手は震えている。
何をやせ我慢しているのやら。話がしたくて、じっくり静かに話せる場所まで来て、予想外の障害があって、でも退くに退けない。
そんなに話したかったのか。
なぜ俺はここで、家で良いだろと改めて言わなかったのか。
考えてみたけどわからない。
「ねぇ、史郎君」
「うん」
震える手、俺はその手に自分の手を重ねて、パーカーのポケットに突っ込んだ。流石に見てられない。
それに少し驚いた素振りは見せたけど、思い直して奏は、言葉を続ける姿勢を見せる。
「史郎君は、史郎君は……!」
声まで震えてきた。
言葉を待つ。
「史郎君は……私は、史郎君を、ずっと見てきた」
そう言って奏は、息を一つ吸って吐いた。肺の空気を、全部入れ替えるように。




