負けたくない。
「……さて、史郎君は寝たよ」
リビングに下りると、志保さんと結愛さんが座っている。
紅茶は志保さんが淹れてくれた。志保さんが淹れると美味しいのは確かだ。家に泊まった時飲ませてもらったから。
「ところで結愛ちゃん、今日の結愛ちゃんの気分ってダージリンで良いんだよね?」
「えぇ。当たりです」
「奏ちゃんもどうぞ」
「どうも」
突発的で予定外のティータイム。
テーブルの上には、二人が持ってきたフルーツの盛り合わせ。
内容は、リンゴ、梨、シャインマスカット。史郎君の好きなフルーツだ。
「さて、と」
思ったよりも早く、腰を据えて話す機会が来たなぁ。
とは言っても、どう切り出したものか。
そんな、間合いの測り合いの時間が数分。
「ところで奏さん」
沈黙を破り仕掛けたのは、結愛さんだった。
「今だったら、史郎さんの寝顔、見られる、ということですね」
「そうだね」
「一番、油断しきった状況、ということですよ、志保さん」
「そうとも言えるね」
「今なら、何でもできる!」
そう言って、結愛さんは立ち上がる。
「落ち着きなさい」
とりあえず、肩を抑えて座らせようとするが、そこは筋力の差か、全然押し戻せない。ビクともしない。
「病人を好き勝手にするのは気が引けますが。手段を選ぶのはあまり私らしくないとも考えましたもので」
「眼鏡っ子美少女の地位を最近築きつつある文学少女の台詞とは思えないね」
「なんですか? その肩書」
「最近の結愛さんのクラス内評価」
うわ、ここまで人がげんなりと呆れ顔したの、初めて見たかも。
「やはは。眼鏡かけても顔立ちまでは誤魔化しきれないよね」
「はぁ。勘弁してほしいです」
眼鏡を外してケースに片付けると、少しだけ幼い印象になる。
でもまぁ、こっちの方が結愛さんっぽい。
って、そういう話をしたかったわけじゃない。
でも、どういう話をしたいのか、具体的に見えているわけでも無い。
志保さんとも、ちゃんと話をしたい、とは思っているのに。
「志保さん、史郎さんとどうなりたいのですか?」
「んー? これからも仲良くしたいな、と思ってるよ」
私が迷う中、結愛さんは果敢に切り込んでいく。
「どのくらいですか? 道端でチュッコラチュッコラできるくらいですか?」
「結愛ちゃん、チュッコラ気にいってるの?」
志保さんと結愛さん。
二人の視線が交差する。バチっと火花が散って見えた。
マグカップを持つ手が震えているのに気づいた。
……負けたくないな。
よく考えれば、振って欲しいなんて、敗北宣言も、良い所では無いか。
「どうなの? 志保さん」
自分が思った以上に、冷えた声が出る。
こんなの、友達に出していい声じゃない。
「んー。今の関係は、正直、心地良いよ」
この状況でも、志保さんは飄々とした姿勢を崩さない。
「恋って、なんだろうね」
「まだ言いますか」
結愛さんのため息混じりの声。
「好きな人と一緒にいられたら幸せだよね。ずっとお互い好きでいられたら、きっと幸せだよ」
確かな確信に満ちた声。
幸せ。
幸せか。
「だからかな。史郎も私も、そうだった。一緒にいるのが幸せだった。恋人なんていう、口約束の関係に、確かな満足を感じてた」
目を閉じて、懐かしむように。
史郎君も志保さんも、思い出の中にいる。思い出の続きを、綴っている。
「壊れたおもちゃも、ほつれてボロボロの人形も、幸せと一緒に抱きしめれば、大切にできるんだ。それだけで、前を向いたままで、いられるんだ」
そう、だから、だからね、志保さん。
もしもその幸せを壊れることになった時、もっと苦しむ。
そこに残ってるのは、壊れたものだけだから。
終わらないものなんてない。
直さなきゃいけない。場合によっては新しいものを。
言わなきゃいけないのに。
なんでこんな時、声が出ないんだ。
マグカップを置く音。それが発せられたのは、結愛さんから。
普段、音なんて立てないのに。
そう思って目を向ける。
カタカタカタ。目を向けていたのに、それが結愛さんの手が震え、カップを持つ手が震えてなっている音だと気づくのに、一瞬遅れた。
「何を、馬鹿なことを言っているのですか?」
声まで震えている。
結愛さんが怒っていると、ようやく気づいた。
「史郎、先輩も!」
「結愛ちゃん?」
「志保さん、あなたがそれを幸せだというのなら、絶対に、史郎先輩を、渡しません! そんなの、前を向いてるなんて、認めたくありません!」
あぁ、結愛ちゃん、強いなぁ。
迷わない、強さか……。
「奏さんも、なんで黙っているのですか!」
「うん。そうだね」
史郎君を追い詰めて、体調を崩させた。昨日から今日の私を総括すると、そうなると思う。
でも、それで及び腰になるのは、違うよね。
「志保さん。私、負ける気ないから」
胸の内で唱えた誓い。
それでも迷っていた心。
振り払い、今度は声に出して、宣言する。
「……良いな。真っ直ぐで」
返ってきたのは感情を押し殺そうとして、押し殺しすぎたような、か細い声。
「キラキラで、眩しいよ」
そして、私は見た。
きれいだ。
人は、ここまできれいに、笑えるのか。
「はい、口を開けてー」
「自分で食えるっての」
「お兄さん、はい、水分補給」
「音葉ちゃんまで……」
栄養を取るのはやはり大切だ。
予想よりも、だいぶ良くなってる。
リビングに降りると、久遠家三姉妹が忙しく夕飯の用意をしていた。
今日は湯豆腐だ。
「うまっ。このマスカットうまっ」
「花音。お前が今は癒やしだ」
なんで隣の家の姉妹に世話されてるんだろ、俺。
「史郎兄ちゃんが風邪ひくの久しぶりじゃね?」
「いつ振りだろうな」
鍋を待つ間に、奏が剥いてくれた梨を口に放り込みながらぼやく。
まあ、思い出したからってどういうわけでもないが。
シンクに目を向ける。
マグカップとソーサーに使われた形跡。
俺が寝ている間に、どんな会話が行われたのだろう。
このまま、俺のことなんか忘れて、三人が仲良くする。
そんな選択肢が、ぼんやりと見えた。




