穏やかで、何も考えなくて良い時間。
「史郎君? おーい。朝だよ」
声が聞こえた。
そうか、もう、朝か。
頭が重いな。酷い夢でも見たのだろうか。駄目だ、夢の内容、思い出せない。
「あぁ、今、起きる」
自分が思っていたよりも、冷静な声を出すことに成功した。
感情がごちゃ混ぜになったような、でも、奏を見ても取り乱すことなく、落ち着いた自分を見せられる。
「待った」
起き上がろうとすると頭を、ひんやりとした手が押さえつける。
「なんだよ」
目を開けると、奏は左手で自分の額を抑えて、何やら考え込んでいた。
「……史郎君、今日は学校をおやすみです」
「何、言ってんだ」
「体調、悪いでしょ。そんな状態で学校行っても何もできないでしょ」
心配の感情。
昨日、あんな醜態を晒したのに、奏は、何も変わらず接してくれる。
優しい。このまま言う通り、身を預けたい。
「でも、駄目だ」
学校に、行かなければ。護衛に穴を空けるわけには。
「くっ……」
立ち上がって、ふらつく。そっと支えてくれる手に、少しだけ身を預ける。
「だから、駄目だって。結愛さんに連絡しておくから」
「でも」
「良いから。休んで。お粥作るから」
「お前、休む気、かよ」
「勿論」
「馬鹿が」
奏は、ため息を一つ吐く。不機嫌そうに後ろ髪を弄り始める。
「史郎君は、私が体調悪いってなったら、休んでも看病すると思うけど?」
「ぐっ」
そう言われると、確かにそうだ。というか、間違いなくそうする。
「史郎君は、簡単に自分を犠牲にする。その姿勢が、周りにも伝播することを示す、良い機会かなって」
「だからって」
「自己犠牲は尊くないよ。必要な時もあるけど、当たり前のようにすることじゃない」
扉が閉まってすぐに、奏が電話をかける音。
担任は、俺が一人暮らし状態で、奏が隣に住んでいるのは把握している。だから、説明自体は苦労しないだろう。
「おっけーだって」
「そうかよ」
くそっ。駄目だな。
なんでだろう、身体が重い。
体調が悪いくらいでこんなことになるような、軟弱な鍛え方してない筈。
「はぁ」
気分も、重い。
振ることを迫られるなんてな。
あぁ、だからか。さっきから少しだけ、緊張しているのは。
「はい、氷枕。と冷えピタ」
「サンキュー」
頭がボーっとするから、ありがたい。
「あと、水分補給ね」
「あぁ」
スポーツドリンクをグイっと煽る。
こうなってしまうと、俺にはもう、奏に甘えるという選択肢しかなかった。
色々と、頭から一回消して、体の力を抜いて、休みたいという感情が、湧いてくるのだ。
そういえば、小学生の頃から、風邪をひくと、俺はまず、どうしてたっけ。
薬を飲んで、水を飲んで、氷枕を敷いて寝た。
病院に行くにも、小学生の頃、行くなんて選択肢が浮かびすらしなかった。
そうして寝て過ごせば、治る。
それでも、たまに質の悪い風邪でなかなか治らないと。
「史郎君、大丈夫?」
なんて、気がついたら枕元にいる。
それから、奏のお母さんが慌てて家に来て、次の日まで治らなかったら、病院まで連れて行かれた。学校への連絡もしてくれたと、後で奏から聞いた。
親に頼ることも発想に無かったな。
それを何回かすると、奏が朝、起こしに来るようになった。
中学生になると、奏の両親の仕事も忙しくなって。それに伴って奏も家事を覚えて。
「ほら、お口開けて」
「自分で食える」
「良いから」
お粥とか、用意して貰った。
それが申し訳なくて、体調管理は気をつけるようにした。
「ったく。なんで今このタイミングで体調を崩すんだ」
「最近、忙しかったし。薬飲んで」
「自分で飲める」
「私、リビングにいるから」
「あぁ。サンキューな」
今は休もう。
そう割り切って、目を閉じる。
ちらりと、心配事は頭に浮かんでは消えるけど……俺、疲れてたんだな。
気がつけば、ぐっすりだった。お腹が良い感じに膨れていたということも、あるのだろう。
夕方にまた目が覚めた。
体温計を振って、少しだけ微妙な顔をしている奏がいた。
「あっ、起こしちゃった?」
「いや、人の気配を感じたら、起きるように訓練されてるから」
「そのわりには、朝起きないよね。声かけるまで。今も、体温計脇に挟んでも無反応だったよ」
「……奏は、油断して良い相手とか思ってるのかな、俺」
「それは恐悦至極」
大げさな仕草でペコリと頭を下げて、スポーツドリンクをコップに注いで差し出してくれる。
「サンキュー」
まだ怠さは残っている。
温くなった氷枕、剥がれかかっている冷えピタ。
頭も、まだ少し重いけど、今朝ほどではない。
「着実に治っているから、明日には大丈夫だ」
「ん。なら良い。志保さん達、お見舞いの品だけ置いて行ったよ。フルーツの盛り合わせ」
「あぁ」
明日会ったら、礼を言わなきゃな。
静かな時間だ。
なんで、こんなにも落ち着いているのだろう。
「史郎君。あの、さ」
「ん?」
「史郎君は、頑張ってるよ。ちゃんと」
「あ、あぁ」
「あっ、ごめん。わけわけらないこと、言ってるよね」
「いや。大丈夫。奏が褒めてくれてるのは、わかるから。そういえば、学校でもよく、褒めてくれているらしいな。ありがとう」
「! ど、どういたしまして」
驚いたように目を見開いて、今度は気まずそうに、明後日の方向を向いてしまう。
「……そこで意外そうな顔をされるのはな」
「史郎君が、そういうことでお礼を言ってくれる何て思わないもん」
また、沈黙。話が途切れる。
まだ重い頭は、会話の内容を考えてくれないし、怠い身体は、声を出すのも億劫だと訴える。
「眠くなってきた?」
「あぁ」
「花音と音葉が、今買い物行ってくれてるから」
「金は、そこの財布から」
「いーらないよ。施されるが良い」
「さらっと俺の苦手なことするな」
「ふふっ。だから、夕飯の時間に起こすから」
「あぁ。サンキュー」
奏の言葉に、少しの安心を覚えて。また、目を閉じた。




