デートの終わり。難儀な二人。
ひとしきり遊べばもう夕方。
俺達は駅前に戻って来た。
「日、短くなったねぇ」
「だな」
もう、手を繋いで歩くのが自然だった。
隣に立てば、自然と手が繋がれる。
夕陽に照らされて歩く。
何も言わなくても、俺達の足は志保の家の方に向いた。
志保とは、手を繋ぐ以上の距離には近づいていない。
志保と一番近づいたのは、山の中で背負った時。
『恋人何て、関係の名前が変わるだけじゃん』
そう言ったのは、志保だ。付き合う前のことだ。
志保は恋愛小説を好んで読む方では無かった。
大人になれば大きな変化かもしれないけど、子どものうちは、友達と恋人の区別なんて、どこでつけるんだ?
口約束のようなものじゃないかって。
それでも俺は告白した。
「うん。そうだね。確かに言った。けど、自分で確かめないで決めつけるのは、良くないし」
告白を受け入れた後、どうしてOKされたのか気になって、俺が聞いた時の返答だ。
でも結局、志保の言っていた通り、告白の結果の変化は、俺達の間に関係の名前と、手を繋ぐという行為が追加されただけ。
俺はそれでも満足だったし、別れた時、絶望した。
抱きしめて、キスして、その先を求めるまでもなかった。
いや、いずれはあるだろうと、頭の隅でぼんやりとは思っていた。
綺麗、美しい、その象徴を俺で汚しても良いのか、とか考えていた覚えがある。
心地の良い沈黙だ。
沈黙が気まずくない。あぁ、本当に、戻って来たみたいだ。
楽しく遊んで、並んで歩いて。
もうすぐだ、志保の家は。この一日が終わってしまう。
だから俺は、いつも明日とか、来週の予定を、聞いてしまうんだ。
でも今は違う。俺達の関係の名前が違う。
友人?
クラスメイト?
友達の友達?
元カノと元カレ。
護衛対象と護衛。
あぁ、関係の名前が変わるって、結構デカいな。
できたことが、できなくなってる。
そこの角を曲がると、志保の家。仮初の、でも、俺にとっては未だにその場所が、志保を送る場所。
俺は志保の本当の家を知っている。でも、知らないことになっている。
志保は、俺の仕事を知っているかもしれない。でも、一応知らないことになっているし、俺も探りを入れることはできない。
「遠いな」
「何が?」
「色々」
もう、戻れない。
それが、はっきりとわかってしまった。
まだ一年も経ってないのに、遠い昔のことのようだ。
「着いちゃったね」
「あぁ」
結局、志保は何を見極めたかったのだろう。それを、見極められたのだろうか。
「もう、帰る?」
手を繋いだまま、こちらを見ようともせずに、そんな問いかけを投げてくる。
「まぁ、もうすぐ暗くなるしな」
「やはは。うん。史郎、家に親がいないって言っても、そんなこと言うよね。家に招いた時も普通にご飯食べて、ゲームで遊んで終わり、だったよね」
「それがどうしたんだよ」
「ねぇ、史郎。今夜、家、親いないよ」
そんなこと、知っている。志保が一人暮らしなのは、知っている。
でも、志保のその台詞。テンプレって奴じゃねーか。
繋ぎっぱなしの手に、ほんの少しの変化。
志保の手に、力が籠っているのに気づいた。
「……志保?」
「うん……ごめん」
何を謝っているのだろう。そんなことを考えた。
頭が、ボーっとする。志保の考えていることを考えようとして、答えが出なくて、ボーっとする。
だから、俺は何もしなかった。
志保が不意に振り返って。
予想外の力に引っ張られて、姿勢が前に崩れて。
気がつけば、志保の顔が目の前にあって。
それは、ついこの間、初めて味わった感触。
「……な、んで」
「……やはは」
誤魔化すように笑う。
ほんの数秒の間。
ふっくらとした唇が、押し当てられた。
柔らかくて、温かくて。
肌とも、髪ともまた違う感触。
手と手よりも強い、繋がりの名前の証明。
のぼせたように頭がボーっとして、志保の動きが、見えているようで、でも、何となくで。
照れたように笑う顔。なんで?
「どう、したんだよ?」
「今日、とても楽しかったよ」
「……俺も」
「史郎が、私と行きたいところ、やりたいこと言ってくれて、嬉しかった」
「あぁ」
「史郎が、私をお客様とか、お嬢様とか、お姫様のように扱わないのが、嬉しかった」
「そんな扱い、した覚えねーよ」
「んー。史郎のそういうところは、厄介かな」
俺達の関係の名前、何なのだろう。
「でも最近、自分の願望が、意味不明になってきちゃったからさ」
「あぁ」
「……そして、自分がわからなくなった」
そう言って志保は、手を伸ばしてくる。伸ばされた手を顎に添える。
「どういう意味だよ」
「ねぇ、史郎」
なんだよ。
十六年生きてきて、色んな目を見てきた。
敵意、殺意、恐怖。
奏の小悪魔な目。
結愛の縋るような目。
これは、どういう目なんだ。
熱っぽい、潤んだ目。どんな感情が秘められているというのだ。
「志保?」
「今日が、終わらないで欲しい」
わからない。
どうしたんだよ。どうしたって言うんだよ。志保。
また、俺と志保の間の距離が無くなる。
唇を通して、全身が熱くなる。
たったこれだけのことで、心臓がうるさくなっていく。
志保を、もっと求めてしまう。
「……なんで、今更」
「はぁ、……本当、自分勝手だよね。私」
そして、なんで俺は、抵抗しないんだ。
「わかんないよ。何も変わらなきゃ良かったのに。変わらなかったら、何も悩まなくて良かったのに。私が普通だったら、良かったのに」
攫われた時ですら、困った顔で済んだ志保が、泣いている。
志保の涙が、よく見えた、
「ねぇ、結愛ちゃん」
「はい」
自分でも思った以上に、硬い声が出た。
いけない。落ち着け私。仕事中だぞ。
「見てたよね」
私の住むアパートの一室。紅茶を目の前に置くと、両手でマグカップを包んで一口飲む。
さて、私はどう答えるべきだろう。
あの道端でチュッコラチュッコラしていたのは、奏さんとばっちり見ていた。
結局あの後、志保さんは先輩を解放して、家に入ったし、史郎先輩は普通に帰った。
「ごめん」
「? なんで謝るのですか?」
「だって、私、結愛ちゃん、それに奏ちゃんの気持ち、知ってるのに」
「……それで謝られるの、なんか、勝利宣言されてる気分でムカッと来ますね。それで、見極められたのですか? 志保さんは史郎さんのこと、好きなのですか?」
「……やはは」
「誤魔化されません!」
見つめ合う時間が数秒。
志保さんはゆっくりと口を開く。
「わかんない」
「あ、あそこまでしておいて!」
「んー。何だろう。ねぇ、結愛ちゃん。恋って何?」
「へ?」
思わず間抜けな声が出てしまう。でも、わけわからないことを聞いて来たのは志保さんだ。
「私、嬉しかったんだよね、中学の頃に戻れたみたいで。何も知らなくて、何も怖くなくて、ただ一緒にいるだけで楽しかったころに、戻れたみたいで」
「は、はぁ」
「あのまま付き合っていたら、多分今頃、あれくらいはしていただろうなって」
「そ、そうですか」
「でも私、今、結愛ちゃんに守ってもらわなきゃいけない御身分で」
あぁ、私、意外と後悔してる。
現状を受け入れているようで、後悔している。
逃げたくせに。家の財力でも何でも頼って、彼を守って、関係を守る。そんな選択があったくせに。選べなかったくせに。振ったくせに。未練たらたらじゃないか。
わけわかんない。自分のことなのに、自分の中で矛盾している気がする。
だけど、自分でも、どこで矛盾しているかわからない。
「史郎のこと、好きなのかな」
「知りませんよ。好きなんじゃないですか?」
「だよね……」
「めんどくさい人ですね」
「私に対して、遠慮なくなってきたね」
「なんか、志保さんとの距離感、他人行儀はなんか違う気がしまして」
「それで良いよ」
自分の気持ちなのに、確信が持てない。
まだ、振ってしまった感触が残っている。振り返っちゃいけない、そんな声が聞こえる。
あの日、史郎に。
「別れよっか」
そう言った日。
彼の目の前から立ち去る時。
私は、絶対に振り返ってはいけない。そう言い聞かせた。
傷つけたくせに。
だから、振り返っちゃいけない。
後悔するから。
結局後悔してる。
この、体の芯から冷えていく感覚は、きっとそれだ。
それでも、その後悔を、気持ちを認めてはいけない。
それは、振り返ってしまう、ということだから。
「本当、馬鹿だなぁ、私」
「えぇ。本当に馬鹿ですよ」
大切なものは、絶対に手放してはいけない。それを私は身をもって知っている。
今、志保さんは目の前で同じ後悔に苛まれている。同じ毒を、味わっている。
そして、史郎先輩と同じものに、縛られている。
「本当、難儀なものです」
ソファーで寝入ってしまった志保さんに、タオルケットをかける。
「私のベッドを勝手に占領しないでくださいよ」
仕方ないので、床に寝袋を敷いて、そこで眠ることにする。
あーあ。史郎先輩は、どうなったことやら。




