夏休み明け。
史郎は、ふとした時、どこか遠くを眺めていた。
付き合う前のことだ。会えば会話くらいはできるようになった頃。
その視線の先に、何があるわけでも無い。でも、どこか、私が知らない世界を眺めているように見えた。
仲良くなってからも、ふとした時、史郎はどこか遠くを眺めている。
ふとした時、史郎は悲し気な顔をする。
私が少し危ない目に合うと、全力で助けに来る。過保護なくらいに。
私を助ける時、史郎は怪我をするヘマはしなかったけど、したとしても欠片も気にせず、私の怪我を心配しそう。
自分はいつも後回し。
何かを選ぶ時、自分自身に及ぶ被害は度外視。怖いくらいに。
騎士とか王子様とか。女の子が誰もが憧れそうなこと、私は憧れたことが無い。
お姫様扱いは、もう良いんだ。小さい頃から、周りの人が勝手にしてくれた。
私の最初の我儘は、家のことを隠して、普通の中学に行くこと。
誰にも特別扱いされない場所に行くこと。
信頼できる人が出来たら、全てを打ち明けて、対等になりたい。なんて思っていた。
私は、史郎と対等になりたい、なんて思っていた。思っていたんだ。
学校が始まった。
久々に着た制服。久々に来た学校。
昼頃に起きる生活を送っていた俺は、始まる三日前から、生活習慣の調整と称した、奏によるモーニングコールによって、どうにか、怠い眠い帰りたい病に罹患せずに済んでいる。
「やぁ。九重君」
「あぁ、お前か」
霧島。随分と久しぶりな気がする。いや、久しぶりだな。
「夏休みは如何お過ごしかな?」
「特にこれと言って、話すようなことは無いな」
正しくは、話せることは無い、だけど。
「お前はどうなんだ? デートとか誘われなかったのか?」
「誘われたけどね、花火大会とか。一応行ったよ。部活の奴らが勝手に、女子テニス部と一緒に行く企画を立ててね」
「それはまた、賑やかそうなことで」
「あぁ。途中、僕は逸れたふりして帰ったけど。君たちが僕にやってくれたことを真似させてもらった」
パチリとウインク。
なんというか、真面目そうな奴という印象を見事に砕いて行くな。
しかしそうか、奈良崎はそこまで動いてないのか。
「ところで、もうすぐ林間学校、あぁ、この学校では宿泊体験学習だっけ? まあどっちでも良いけど」
「あー」
そういえば、そんなのあったな。年間行事予定表に。一泊二日のキャンプ。
部屋割り班割り、恐らく今回もクラス委員がやるのだろうが。
室長からの指示。今回もクラス委員をやれ。
そう、前期、クラス委員の権限で、結愛と志保をなるべく一緒にすることができて、文化祭の出し物をこちらで思い通りにできた。
前期から引き続きということならやりやすい筈だと。そして、志保からなるべく離れられない結愛より、俺がやった方が良いと。
奏が一緒と考えれば、やりやすいと言えばやりやすい。たまにある放課後の話し合いは面倒だが。俺も必要だとは思う。必要だとは。やりたいかと言われれば話は別だ。
「九重君、キャンプとか強そうだよね」
「……まぁ」
適当な山に捨てられても、一週間は生き残れる自信がある。そういう訓練もされた。
「遭難したら頂上を目指すんだぞ」
「救助ヘリが見つけやすいからだな」
「そう。あとは、頂上に何かしら施設がある場合もあるからな」
さて、そうなると、しなければならにことが見えてくるわけだ。
「ふーん。ここか」
奏が少しだけ近くなった空を見上げる。
「あぁ。ここであってるな」
俺達が週末を使って来たのはキャンプ場。
珍しく休日に早起きしたところで遭遇した奏。キャンプ場の下見に行くと言ったら一緒に行くと言って、無理矢理ついて来た。
「さて」
隠れやすそうなところを地図にマークして。
結愛に入手させた今年の予定と照らし合わせて、生徒たちが主に移動する場所をチェックして。それと……。
ロッジが点在する場所。
生徒全員分のテントを用意するのは無理があるので、泊まるのは、班毎に割り当てられた、山小屋みたいな建物になる。
「なぁ、楽しいか?」
地図と景色を交互に見る俺の後ろを、黙々とついてくる奏。
別に遊びに来たわけでは無いとはいえ、少し気になる。
「? 何が?」
「いや、俺はただ見て回ってるだけ。それについてくるだけの奏は楽しいのかって」
「楽しいけど?」
「最近の奏がわからない」
「自分の気持ちに素直になっただけで、特に変わったと思ってないけど?」
「それ、結構違うと思うぜ」
心境の変化としてはかなり大きい部類だろう。
一種の開き直りに近い強さがある。
開き直った人は、無敵とも言える強さを発揮するのだ。
組織時代のことを思い出しながら、そう思った。
囲って、勝ちを確信して、安心した途端の猛烈な抵抗に、余計な怪我人を出した。
どうせ捕まるなら爪痕を、そんな抵抗だった。
「どれ。こんなものか」
「もう良いの?」
「あぁ。飯食って帰ろうぜ」
「うん」
そう言って、奏が手を繋いでくる。
「へ?」
「駄目?」
「駄目じゃ、無いけどさ」
「なら良いじゃん」
そのまま歩いていく。
柔らかい手の感触。
ひんやりとした手。
志保や結愛とはまた違う、そんな手だ。
「あぁ、そうだ。折角だし、飯食ってくか」
「良いね」
「そこのお二人。少し良いかな?」
唐突に声をかけられ振り返る。油断はしない。
何でか?
俺は、その人がもし、こっちを殺す気で襲撃してきてたら、対処しきれたかわからないから。
その人の気配は、さっきまでそこに無かった。
初老の、背の高い、山の中にも関わらず、スーツを着ていた。
だが、わかる。その肉体は鍛え上げられていて、足の運びに一切の油断が無いことが。
「良いっすけど、おっかないんで、殺気、仕舞ってもらえません?」
「ふむ……」
顎に手を当ててとぼけて見せる。
手を離して奏の前に出ようとするが、頑として奏は手を離そうとしない。
「お、おい」
「この人は大丈夫だよ」
「へ?」
「朝倉さんの家の執事の渋谷さん」
「……執事?」
執事……。えぇ、執事?
「ご紹介に預かりました。渋谷と申します。九重史郎様」
恭しい態度ではあるが、何だろう、どこか敵意のようなものを感じる。
なぜだ……?
「ふむ。なるほど。では、失礼します」
何かを納得した様子で、歩いて行ってしまう。
「なんだったんだ……?」
「さぁ?」
奏もわからないようで、首を傾げる。
「まぁ、良いけど」
警戒だけはしておこう。
執事か……。
「身の回りの世話してくれる人がいて、幼いころから恭しく接されるって、どんな気分なんだろうな。奏は憧れたりするか?」
「どうだろ、考えたことも無いかも」
「ふーん」
うーん。でも、今悩むことでも無いか。今回の目的は、あくまで下見だ。
さて、と。
「何食べたい?」
「奢り?」
「良いよ」
「ふふっ。じゃあ、夕飯は任せてね」
「おう」
「近くに、本格的なピザが食べられる施設があるって」
「じゃあ、そこだな」




