日常か任務か。
「うぉおお!」
これで五人目だ。
大ぶりの蹴りが鳩尾をえぐり、相手の膝を付かせた。
「ありがとうございました」
「ケホッ……相変わらず強いな、九重のお坊ちゃんは」
「ありがとうございます。次! お願いします」
「いやいや。一旦休憩しようぜ。ランニング、筋トレ、ぶっ続けじゃないか。こんな夜中に」
足りない。
まだ足りない。
本部の訓練施設。久しぶりに来た。
俺は、ここで鍛えられた。
班目さん達を捕えて帰って来た、その日の夜だ。
「そうだね、九重君。少し話を聞いてもらえないかな?」
「! 萩野室長。お疲れ様です」
「はいはい。お疲れ様。九重君、借りていくよ」
「どうぞどうぞ」
断るちゃんとした理由なんて無い。
仕方ないのでついて行く。
「何すか。報告書はちゃんと書きましたよ。結愛が」
「確認したとも。ちゃんと。流石、端的でわかりやすくまとめられていた」
「別の任務なら受ける気無いっすよ。今回みたいに、結果的に任務にされていた、というのも無しで」
「あぁ。あれは悪かったと思っているとも。だが、あのコンビに対抗できたのは、君たちくらいだった、というのも事実さ。私の話はただ一つ」
身構える。重大な任務を受ける時に感じる圧。気を引き締めろと、言外に
室長はゆっくりと、躊躇いながら口を開く。
「花火大会、そこで何かミスを犯したら、我々は朝倉志保の護衛任務から手を引く。自信が無いなら、花火大会に行くのは避けた方が良い」
単純な命令だ。
既に結愛には伝えられているという。
花火大会は今日の夜。
明確な脅威があるわけでは無い。
霧島が画策した一件以降、志保に、朝倉家に直接何かしようとした人は確認されていない。
現状、志保を必要以上に護衛する必要が無いと判断されても、おかしくはないのだ。
だから、室長の考えも、決して、間違えてはいない。むしろ、必要のないところに割いている人材を引き戻そうとする考えは、合理的だ。
そうなった場合結愛は、恐らく自主退学だろう。
完全に組織の人間として、生きていくことになるだろう。
結愛を敢えて高校に通わせる。室長が、そう考えるとは、思えない。
「先輩、お疲れ様です」
「あぁ」
結愛は入り口で待っていた。
夜中を通り越して、あと三十分もすれば日が昇る時間。
奏達が寝静まったのを確認してから来たから、こんな時間にもなる。
「先輩、その」
「わかっている」
室長の言うことは正しい。俺の反発何て、楽しみを取り上げられた子どものようなもの。
勉強合宿で犯した俺達のミスは大きい。
この辺で一番大きな花火大会だ。恐らくあの地域のお祭り以上、倍以上の来客が予想される。
警戒対象が増えれば、当然、護衛も難しくなる。
行けないこと自体は、俺と結愛が、それぞれに正直に説明すれば、解決すること。
「柿本さんはしばらく、後方支援専門のレンタル要員、少し前の私の立場ですね。私のわがままで用意された立場に就くそうです。斑目さんの処遇は今、『ブレイン』で会議中です」
「あぁ」
クビ、とまではいかないだろうが、組織に対する背反行為を甘く処理するのも、他に示しがつかないだろうな。悩みどころだろう。
「志保さん。私に、浴衣を用意してくれました」
「それは凄いな」
「はい。とても可愛らしいものでした」
結愛は口を閉じて、じっと俺を見上げている。
俺は、どうすべきだ。
簡単な選択肢は当然、室長の警告を無視して行ってしまうこと。次点で、警告に従い、ちゃんと事情を説明すること。
……結愛が、ここまで素直に、自分の希望を、暗に示してくるのは珍しい。
ちらりと期待するようにこちらを見上げ、でもすぐに目を伏せる。
ちゃんと言えば良いのに、なんて言わない。俺も、同じところで迷っているのだから。
「……明日さ。奏の誕生日なんだ」
「それはめでたいことですね」
「あぁ」
大事な日だ。一年でも三本指に入るくらいの。
それを、来るかもわからない危険のために、台無しにしたくない。
でも。
俺が、もっとちゃんとしていれば……。
「先輩。ごめんなさい」
「何でお前が謝るんだよ」
「私が、もっとちゃんとしていれば」
「わけわからん。コンビのミスは二人の責任だろうが。だから俺のミスでもあるだろ」
「でも、足を引っ張っていたのは、事実です。失敗ばかりで」
家の前に着く。
結愛はこのまま、朝倉家本宅に行く。
そこで、選択を迫られる。
「あのな。結愛」
「はい」
「ありがとな」
「えっ?」
「俺は、お前がいなきゃ、多分、ここにはいないんだ。いや、それで済まないな。きっと、奏を助けられていない。志保も、無理だったと思う」
「そ、そんなの、結果論ですよ。結果的に、私が助けになったことがあるだけで、先輩なら、きっと」
「それでも、俺の隣にいたのはお前だ。俺の隣で、俺の手助けをしてくれた。最高の相棒さ」
結愛は顔を上げようとしない。
「最高のコンビなんだろ。俺達」
ポンと頭に手を乗せた。
明るいけど、静かな時間。
結愛はゆっくりと顔を上げる。少しだけ潤んだ瞳が、俺を見つめる、
「先輩」
「なんだ?」
こちらを見ようとしないけど、何かを言おうとしている。その決心を付けようとしている。
なら、俺は待つだけだ。
何でも聞く。そんな約束が無くても。大事な話でも。どうでもいい話でも。今は聞こうと思える。
「二人とも。おはよう。何してるの?」
一斉に声がした方を向くと、奏がいた。
「早いな、奏」
「いつもこんなだよ。花音たちの部活もあるから」
「お盆休みじゃん?」
「そうだけど、生活習慣崩したくないし」
妹思いの真面目な幼馴染である。
「二人は、何してるの? って、聞くまでも無いか」
「それでは、失礼しますね」
何か、言いかけていた筈なのに。
呼び止める間もなく、結愛は走り去っていく。その背中はあっという間に小さくなって、見えなくなる。
「……お話の邪魔、しちゃった?」
「あー。いや」
「しちゃったみたいだね。ごめん」
「いや、良い。それよりも、何で外に?」
「何となく外を見たら、居たからさ」
「そうか。じゃあ、俺少し寝るから」
「十時頃に起こしに行くね」
「あぁ。頼む」
『花火大会に行けない』なんて、言えなかった。
すぐに結愛からも。『どう切り出せばいいのですかね』なんて連絡が来る。
そうこうしている間に、準備が進んでいく。
いや、花火大会は夜からだ。昼から準備する、なんてことは無いけど。
久遠家で何となく点けているテレビから、花火大会の直前の様子と題した中継が流れていた。
言わなきゃいけないのに。言えない。
何か、良い方法を頭が探してしまう。
妹たちの分の浴衣を用意する奏を眺める。
「あっ……」
俺は、一つの可能性に行き当たった。
要は、人混みで逸れなければ良いんだ。人混みに紛れないだけで、一定の安全は確保できる。
「なぁ、奏」
「なぁに?」
「一昨年さ、一緒に見に行った場所、覚えてる?」
「一昨年って、どうしたの?」
「今年は、あの場所が良いかなって」
「……良いかもね」




