ちゃんとした夏休み。
朝倉家本宅。私の夏休みの仕事場。
「ここ、間違っています」
「んー? あー。萩野ちゃん優秀」
「授業で確認したところですよ」
今の私は家庭教師。護衛するにも、家を出ないのでは。
これから強盗する人に言うなら、この家を選ぶのはやめた方が良いと言いたい。
「お嬢様。結愛様。紅茶が入りました」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとう」
スーツをばっちりと着込んだ渋谷さん。家の中は空調ばっちりで、別にスーツを着込んでいても快適だろうが、この人は外でもこの格好で汗一つかかないのである。
何をするにも、動作一つ一つに無駄が無く、洗練されて見える。
ちらりと聞いた話だと、様々な職を渡り歩いた結果、朝倉家にたどり着いたらしい。
スーツの下の、隠しきれない、鍛え抜かれた筋肉。
他のお手伝いさんへの的確な指示。長時間の業務の中でも乱されない集中力と精神力。
警備員の人に稽古をつけているのも見た。
ただ者では無いのは確かだ。
正直、ここでは護衛としての私を必要としていない。
……この護衛任務に就いてから、私は、何をしたのだろう。
結果的に上手く行っているが、班目さんの言った通り失敗ばかりだ。
史郎先輩に独断ながらも頼ったのは、結果的に正解だった。
「萩野ちゃん。はーぎーのーちゃん」
「はい」
宿題がひと段落着いて、少し休憩。志保さんはウキウキと私を庭のパラソルテーブルに連れて行く。
今日は、そこまで暑くない。最近の暑さに晒されていれば、丁度良いと感じられる程度。
「クッキー、食べよ」
「いえ、志保さん、全部食べて良いですよ。宿題、随分と進んだじゃないですが」
「やはは。一緒に食べるから美味しいんだよ。それに、宿題のご褒美は別が良いな。今年の夏休みは、いっぱい遊びたいもん。憂いなく」
「何かあったのですか?」
「去年ね、史郎に一杯迷惑かけちゃったから」
「なるほど。反省の結果ですか」
「そう。その通り」
「良いことじゃないですか」
反省と成長。人の進歩の基本にして基礎。
……私は、できているだろうか。
志保さんを、今度はちゃんと、守れるだろうか。
私は、結果的に仕事はできたけど、けれど、もし先輩がいなかったら?
役割分担で満足しているけど、私は、先輩がいなくなってから、何も成長していない。そんな気がする。
私は、先輩のように、できているのだろうか。できていたのだろうか。
「私って、必要なのかな」
気がついたら、口から漏れていた。
「必要だよ。必要無い人間なんていないから。誰だって、何かを成し遂げることができる。その可能性がある」
「誰の言葉ですか?」
「私が史郎に言われた言葉」
やっぱり、先輩は優しい。
私のように、捨て駒としては使える。何てことは考えないだろうから。
先輩のように優しくなりたい気持ちは無くは無い。
けれど、合理的な私がいつも囁く。それは正しいのかと。効率が良いのかと。
「萩野ちゃん、どうかしたの?」
「い、いえ。なんでも。そ、そーですね。では、私の方で、史郎さん達の動向見ておくので。そこで自然に合流しましょう」
「良い考え。サプライズだね!」
せめて、夏休みの間の、志保さんの笑顔くらい、守っておこうと思った。
この時期になると、嫌でも思い出す。
俺は、夏休みが嫌いだ。
忘れようとしている自分が嫌で、思い出してしまうこの時期が嫌で。
まだ、手に残っている気がする。引き金を引いた感触。実弾を放った反動。
手に血がついたわけでも無い。自分の手でその肉を、内臓を、貫いたわけでも無い。
でも、残っている。命を奪った感触。引き金を引いた瞬間、わかった。
あぁ、ついにやってしまったって。
こんな仕事をしている以上。いつかはあるとわかっていた。
目の前で、誰かが死ぬこと。
まさか初めてが、自分の手で何て。
事故でも、命令されてでもない。
俺は俺の判断で、人一人の命を、奪ったんだ。
そして、大切な人を、失いかけた季節なんだ。
幸い、なんて言葉を使うべきではないけど。
目の前で初めて死んだ人が、奏じゃなくて良かった。なんて、思ってしまうんだ。
思い出すのは、奏の優しい言葉。優しくて、厳しい言葉。
「でもね、史郎君。助けられた人がいること、忘れないでね。今の私がいるの、史郎君のおかげだから。それを、忘れないでね」
わかっている。
勿論、忘れない。助けた責任だから。
史郎君は、夏休みになると、久遠家に入り浸る。
それは、志保さんと付き合っていた頃も。
ちゃんとデートには行っていたけど、それ以外はずっと。起こしに来るのは、浮気っぽいから勘弁してくれと言っておきながら。
間違いなく、あの事件のせいで。
出かけるのが嫌なくせに、暑いの苦手なくせに、買い物しに行く時は、絶対についてきて。
普段も、できる限り一緒に来てくれるけど、この季節になると、特にだ。
「どうしてついてくるの?」
「アイスとお菓子」
「言えば買って来るのに」
「久遠家の金で買うわけにはいかねぇだろ」
なんて言うんだ。
史郎君に危ないことして欲しくない。なるべくあの仕事に関わって欲しくない、なんて思うけど。
こうして気にかけてくれるのは、嬉しかったりする。
今日も今日とて久遠家で過ごしている。
「宿題、終わってしまった……」
手元のプリント類を見下ろして、思わず嘆いた。
「宿題終わって落ち込む人、初めて見たよ。宿題をちゃんとやるのは良いことだよ」
「長期休みの過ごし方が、わからなくなってしまった」
俺のぼやきに、奏が怪訝そうな表情を一瞬だけ見せる。
でもすぐにそれは納得に変わる。
「あぁ……そうか……」
「どうしたら良いのかな……」
「まともな長期休暇、久しぶりだよね」
小学校低学年以来か。
高学年になったら、組織に入るための訓練をし、中学生になったらずっと任務だ。
やめてから、志保と付き合い始めて、長期休みは志保と遊び歩き、受験勉強もして。
別れてすぐの頃は、最低限、人であることを保っていた程度か。
護衛も、志保が家を出ない以上、結愛だけで十分、というか、俺が関われない。
一応、報告はされているが。
本宅の方に帰ったとか。家で宿題と格闘しているとか。今年はちゃんとやっているようで何より。結愛が面倒見ているなら安心だろう。
しばらくは暇か……。
「じゃあ、史郎君」
「んー?」
「少し出かけない?」
「買い物か?」
「ううん。史郎君に、夏休みの過ごし方、教えようかなって」
「うげっ」
外に出た瞬間、むわっとした空気が俺達を出迎えた。イラっと来る。
「帰ろうとしない帰ろうとしない」
「へいへい」
キャップ帽持って来て良かった。
「……ん? その麦わら帽子」
奏が被ってるそれに、目が吸い寄せられる。
「大事に使ってるよ。ほら、早く行こっ」
深く被り直し、俺の手を引き歩き出した。
奏じゃなかったら、断ってるだろうな。この暑さ、外にいる人は正気じゃないだろう。正気だとしたら、きっとやむを得ない事情があるはずだ。
……奏じゃなかったら、か。
思えば、主に俺のせいで、奏との関係、宙ぶらりんのままだな。
俺達の今の関係って、何だろう。
奏から告白された時点で、俺達は、ただの……ただの、友達同士、ほぼ家族な幼馴染というわけでは無いんだよな。
俺が返事するべきなのは、いつだろう。いや、できるなら早々にすべきだろう、
なら俺は、何を迷っているのだろう。
奏が俺を好きなのは、気持ちをぶつけてもらって、俺はそれを疑っていない。俺も奏のことは好きなんだけど。でも。
確かにそうだ、俺はまだ、捕らわれている。いや、それは違う。捕らわれているは、ふさわしい言い方じゃない。
じゃあ、なんて言えば良いのだろう。忘れられない、なんて生易しいものじゃない。
市営バスに乗って十分。
奏が用意しろと言った荷物の時点で、どこに行くかはわかっている。
クーラーの効いた車内から、それが見えてくる。
「とりあえず夏はここでしょ」
「プールねぇ。二人で来るところか?」
「一人で来る人もいるし。デートスポットでもあるし。二人で来る場所でもあるでしょ。志保ちゃんと来なかったの?」
「行こう、という話は一回して、その時水着も買ったが、結局、プールで遊ぶと言うことが理解できなくて、行かなかったな。プールで訓練はしたことはあるが」
見回せば、家族連れ。小学生の集団とその保護者。あとは中学生の女子の集団とか。高校生がいても、なんだ、あれは。ダブルデート、トリプルデートか? みたいな編成だ。
「楽しいものだよ」
「うーむ。花音ちゃんと音葉ちゃんも連れてくれば、話しも変わってくるのだが」
「女子高生と女子中学生、その三人に囲まれた男子高校生って構図になるけど、大丈夫? いつもと違って、水着補正入るよ?」
「……お気遣い、感謝します」
麦わら帽子に少しだけ隠れた奏が、楽し気に笑った。




