勉強合宿の始まり。
出席番号順のバスの席。俺の隣は奏だから、まだ気が楽だ。
「史郎君。ほら、見えて来たよ。あれじゃない? 今日から泊まるホテル」
「あぁ……そういえば、花音ちゃんたちは大丈夫なのか?」
「うん。三食それぞれ三日分作って、レンジで温めれば食べられる状態にしてあるよ。夏だから、鍋に入れて放置とかできないのが辛いところだね。冷蔵庫ギリギリだったよ」
「頑張るな……」
「うん。あの二人なら自分でどうにかできそうだけど。それでもね。一応」
親を頼れば良いのに。と思うけど言わない。
多分、奏のお母さん辺りが、三日くらいならと帰って来ようとした筈だ。そういう人だ。
でも、奏は多分、自分でどうにかすることを選んだのだろう。
その是非を、俺が判断することはできない。
ただ、折角頼っても大丈夫な親がいるのだから、なんて思ってしまうんだ。
「倒れるなよ」
「大丈夫。無理もしてないし。むしろ今の私、ここ数年で一番調子良いもん」
「そうなのか?」
「うん」
心当たりはある。が、思い上がるなという声も聞こえる。
「……なぁ、奏」
「なぁに?」
「上手く言えないけど、その。俺のこと、その、えーっと、あれなら、もっと頼っても良いと思うんだ」
「んー。結構頼ってるつもりなんだけどなぁ。というか、バスの中で言うかなぁ、濁しているけどさ」
そう言って苦笑いを浮かべる。
確かに。自分がやった行動とは思えないくらい、思慮に欠けた発言だったと思う。
「悪い」
「何で謝るかな。嬉しかったよ。覚えておくね」
「そうしてくれ」
ホテルの廊下。そこに設置されたふかふかのソファーに身を鎮める。
目の前の自販機には、ちょっと抜け出してコンビニに行った方が安いと思える値段で、飲み物が売っている。買うけど。
疲れたな。
コーラの甘みが脳に染みていく気がする。
勉強は別に嫌いじゃない。
むしろ、普通にこうして勉強できていることに、感謝の念すら抱ける。
ただ、疲れた。勉強以外許されないのが、疲れた。それだけ。
飯食って勉強して。
風呂の後の、ようやく許された自由時間。
こうして、ホテルの設備を堪能するのだ。
「お疲れですね、史郎さん……誰もいませんね。先輩」
「あぁ。疲れたよ」
お風呂上りの結愛。学校のジャージに着替え、しっとり濡れた髪を解き。少しだけ頬が上気している。
いや、家に泊めた時見たことあるけど。なんか、新鮮な姿だなって思ってしまう。
「ここで何しているのですか?」
「暇してる」
楽しみが無いのが辛い。
地下にゲームコーナーがあるらしいが、そこにはもう、俺の席は無いだろう。金もかかるし。
一階のマッサージチェアは埋まってたし、風呂は時間外には入れないし。だからこうして廊下のソファーで妥協している。
でもまぁ、適度にこういう時間に緩めるから、勉強させるのが上手いと思う。
不満を圧力で抑え込むのではなく、適度にガス抜きさせることで抱かせないか。
「志保は?」
「部屋で休んでいます」
「さいで」
アイスの自販機で、二本購入。結愛に一本投げ渡す。
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げ、食べ始める。
俺が最初から奢る気だとわかっているから、素直に受け取ってくれる。
「しかし、本当に志保さんが狙いではないとわかった以上、どうしたものですかね」
「志保のお父さん、依頼解除しないんだろ。まぁ、実際、脅しが来てたのは本当だし。護衛をする理由としては十分だろ」
「そうなんですけど、最近、娘の友達だからというのが、メインの理由になっている気がするのですよね」
「わりと親馬鹿なのか……?」
「結構な額を請求されていると思いますけどね」
「どうだか」
むしろ、安めに設定している。という方が、俺の親や、結愛の親のこれまでから考えやすい。
室長としても、娘が同じ年頃の奴らと仲良くしていることは、嬉しい、はずだ。
いや、そんな一個人の感傷で、組織一つ動かされても困るのだが。
「私も、今の生活は悪くないと思いますが」
ちらりと、床に落としていた視線を上げる。
「楽しい、と思っているのですかね。私」
「さぁ。俺にはわからないけど」
「先輩、私、必要ですか?」
「当たり前だろ。お前がいらない場面とか思いつかねぇ」
「そう、ですか……」
なんだよ。急に。
トラブルは、その日の自由時間の終わり際に起こった。
「……好きなの!」
「え、えぇ?」
切実な告白と、素っ頓狂な声が木霊する。
騒ぎの方に目を向ける。一人の女子が立ち上がって、霧島を見下ろして告白していた。
何だ、これは。
「えっ。なんで、どういうこと……ちょっと、霧島君が困ってるじゃん」
「好きなの! 答え、聞かせて……」
「へ?」
霧島が困り果て、普段の余裕が消え失せる。
「何なのよ! いきなり! ふざけないで!」
TPOを考えない告白の瞬間は、すぐに女同士の争いに変化する。
「ふ、二人とも、落ち着いて」
そこは、ホテルから提供された、本来は会議室。今は教室兼自習室。
真面目に自習していた奏が、クラス委員としてすぐに止めに入る。
霧島を二人の女子が取り合っている。という認識で良いのだろうか。
何だ、これ。
「お、落ち着いて」
「邪魔をしないで!」
「うっ」
告白した方の女子……佐藤が、奏を突き飛ばし、取っ組み合いが始まる。
「はぁ、結愛」
「仕方ありませんね」
特に打ち合わせもせず、それぞれ一人ずつ取り押さえる。
「ここは自習室だろ。何を暴れてんだ」
机に押さえつけて、告白していない方、奈良崎にとりあえず聞いてみる。
「あの女が……というか離してよ」
「セクハラとか言うなよ。暴れる奴が悪い。ここは自習用の部屋のはずだろ」
「史郎君、高圧的過ぎ。ねぇ、聞かせて。何があったの?」
奏が傍らに膝をついて、落ち着いて語りかける。
男子が女子を取り押さえている状況は、パッと見印象がかなり悪い。その状況を正当化するために来てくれたのだろう。助かる。
奏の問いかけに答えず、奈良崎は佐藤を忌々し気に睨みつける。
「奈良崎さん。一回落ち着いて」
この眼鏡をかけた、背が低くて髪の長い子、入学式の日に話しかけてきた人。擬態スタイルの結愛と大分ややこしい、地味で大人しい見た目。
佐藤は真逆。普段は茶髪をサイドテールにし、スカートは階段で下の段に立てば見えるのでは? というくらいには短くしている印象。
まぁ、お風呂上がりだから片鱗も無いが。メイクが落ちて、目の色も少し変わっているところから見るに、普段はカラコン入れているのだろう。
そんな二人がなぜ霧島と一緒に? 結愛からもらった、このクラスの名簿を思い出す。
……あぁ。同じ中学で同じ部活で。そのまま高校でも同じ部活。テニス部に入ったのか。
夏休み。まだ人間関係に変動が起きてもおかしくない時期。
気質に微妙なズレがあっても、同じ中学で同じ部活に所属している奴の近くにいるのは、納得できる行動か。
まぁとりあえず。これはクラスの中心グループで起きた騒動である。
ちらりと結愛の方を見る。
何故か霧島が手を振って来た。
この状況の元凶……にしては戸惑っていたな。戸惑っていたのが演技なら話は変わってくるが。どちらとも言えるから、判断に迷う。
「あいつが、急に、霧島君のことが好きって」
「あぁ」
「でも、そんなはず、無いから。違う」
「うん?」
拘束を解いて、一歩下がる。一旦奏に任せて。状況を確認する。
霧島はクラスの中でも奏に続く優等生にしてテニス部に所属。新人戦でも、団体戦レギュラー入りは確実らしい。クラス内で思いを寄せている人がいてもおかしくは無い。
だが、あまりにも突発的で、思慮に欠けた行動。こんな状況で告白しても、失敗するのは目に見えている。
どうにも頭にちらついてしまうのは、まさに最近聞いてしまったワード、
テーブルの上には、開きっぱなしの参考書とノート。ホテルからの厚意で出されたサンドイッチと、紙コップに注がれた麦茶が置かれている。
……いや、まさかな。
突拍子の無い発想だ。
だが、結愛も同じことを考えていたらしい。




