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失恋した俺の高校生活は、守りたい人が少し多い。  作者: 神無桂花
私が幸せにします。

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36/223

特に何もない夏の日。

 夕方の駅前、ちょっとした買い物の帰り。すれ違いざまに放たれた拳を辛うじて躱した。

「久しぶりだな。史郎少年」

「……班目さん」


 キャップ帽を目深に被った、ショートヘアの女性。見た目は二十代前半といったところだが、実年齢はわからない。


「少し腕は落ちているが、許容範囲だな」

「明らかにプロの動きしてましたから。少し警戒していただけです」

「ははっ。その気づきも含めてだ」


 話している間にも、俺達の間では拳や足のやり取り。

 周りから見ればただ会話している二人だろうが、こちらは一切気を抜けない。

 鳩尾を狙った右拳、班目さんはその手首を掴んで止める。


「……合格ラインは越えているな。安心したよ。いや、朝倉のところのお嬢様の件からも、そこまで心配はいらないと思っていたが、一応自分の目で確かめたくてね」

「お気遣い、感謝します」

「ははっ」


 頭を下げる。

 こんなところで、組織時代の先輩に会うことになるとは思うが、会いに来たというなら納得だ。今の俺の実力が気がかりというのも、理解できる理由だ。


「まぁ、頑張れ」

「はい」


 班目さんはそのまま振り返り、歩き出す。俺も帰ろう。


「あ、そうそう。最後にもう一つだけ」

「はい」

「結愛お嬢は、大丈夫かい?」

「……? 大丈夫ですよ。立派に仕事をしています」

「あんたも甘いね。うちの基本。任務達成率百パーセント。忘れないように」


 それだけ言い残して、班目さんは人混みの中に紛れて消えた。




 目が覚めて、俺はまず、頭を抱えた。最近毎朝そうしてる。


『史郎君のこと、好きなんだよね……大好きなんだよね』


 奏の顔と、言葉を思い出して。温度を思い出して。

 どうしたら良いかわからなくなって。

 幸せなんだけど、でも、それは味わって良いものかわからなくて。

 噛みしめても良いものなのかわからなくて。


「史郎君、何を悶えているの?」


 ゴロンと転がり横を見ると、奏が制服姿でベッドの横にしゃがんでいた。


「起きたなら早く朝ご飯食べよ」

「あ、あぁ」


 奏は平然としている。

 告白した恥ずかしさとか、気まずさとか、全く感じさせない。


「ダセェ……」


 意識するなという方が無理だとは思うが、それでもそれを表に出さない程度の努力をしなければ。

 リビングに行くと既に朝食は用意されていて、奏は席に着いていた。

 しっかり手を合わせる。

 パンとジャム。ベーコンエッグに野菜スープ。体に良さそうなラインナップだ。


「夏休みの勉強合宿、部屋割り決めるの、先生が手伝って欲しいって」

「マジか。面倒だな」


 あの先生、変なところで丸投げしてくるな。奏が優秀だからって……。

 いや、志保と結愛を同じ部屋に置く権利を手に入れたと考えれば良いか。

 それから、身支度を整えて。


「あっ、史郎君、寝癖」

「お、おい」

「良いから、動かないで」


 ポケットから取り出した櫛を俺に向け、にっこりと微笑んで。

 後髪が櫛で梳かれる。

 正面から見上げてくる奏は、肩越しに、俺の後ろの姿見を見ていた。

 近い。とても。

 一瞬目が合った。逸らしたのは俺だ。


「ふふっ」


 からかうように笑って。さらに丁寧に髪を整えていく。

 息がかかる。奏の体温が近い。

 奏の可愛らしさを感じる整った顔。楽し気な目。目を逸らしたところで、それから逃れ切れはしなくて。

 かと言って、眼を閉じたら、視覚以外で感じる奏が強調されて。

 爽やかな甘い匂い。時々触れる、温かく柔らかい感触。聞こえる息遣い。


「ん、んぐ」

「よし」 


 そろそろ限界、というところで、奏は俺を解放した。

 限界の先で、俺はどうなっていたのか。それを知る由は無いが。奏は丁度良いタイミングで俺を解放したと言える。


「あの、さ。これ向き合ってやる意味あった?」

「気にしなーい」


 クスクス笑って玄関の扉を開ける。

 奏に続いて家を出る。

 まだ朝なのに、元気に照らしてくる陽の光。

 横を歩く奏も、少し顔をしかめた。


「日傘が欲しくなるね」

「奏に日傘か。似合いそうだな」

「史郎君は私を何だと思っているのさ?」


 パチリと片目を瞑って、上目遣いを向けてくる。

 心臓が跳ねる。


「んー……ふん!」

「えっ、ちょっといきなり電柱殴ってどうしたの?」

「精神統一」

「……そっか。ふふっ」

「なんだよ」

「べっつにー」


 上機嫌にスキップを初めて。俺にさらに首を傾げさせた。


「ねぇ、史郎君」

「なんだ?」


 小走りで俺に詰め寄り、少し背伸びして。


「大好き」


 耳元で、囁かれた言葉は、耳を通りあっという間に脳に染みて、心を熱くする。


「……こんなところでやめろよ」

「照れてる」

「照れるわ」

「開き直っちゃって」

「お前誰だよ。本当に奏か?」

「うわ、酷い」

「俺の知ってる奏は何処に」

「春休みに三つ編みと一緒に切り落としました」

「そっか……」


 朝から心臓を直接攻撃して、脳みそを溶かしてくる幼馴染と共に、夏休み前の数少ない学校生活を始めたのであった。

 平和だ。

 夏休み前、消化試合のような日程。

 勉強合宿の説明とか、大掃除とか。

 ロッカーに突っ込んである教科書を小分けにして家に持ち帰る作業も、終業式の日には終わる計算だ。

 放課後、駅ビルのジェラード専門店で、それぞれ好きな味を購入。

 いつもの如く、奏と結愛は、どの味にするか悩んでいた。


「やはは、よく久遠ちゃんのお許しが出たね。置き勉なんて」


 俺の少し膨れた鞄を見ながら、志保は苦笑い。


「奏は真面目だが、無駄なことをそのまま受け入れるような人でもないよ」


 鞄がはち切れるリスクを抱えながら、やたらと種類が多く、重い教科書を入れるなんて、とか言いそうだ。


「夏休みのご予定は? 史郎」

「考えてない」

「やはは」

「志保はどうなんだよ?」

「考えてない」

「だろうな。まぁ、まずは、勉強合宿だよなぁ」


 夏休みが始まって一週間後、開始されるとのこと。

 ホテルに軟禁されるのは三日間、スマホは取り上げられ、次に外に出られるのは最終日の夜。近くで祭りがおこなわれるから、そこでの自由行動が許されるのだ。

 夏休みの意義について悩まされることになる日程。

 会話は途切れ、数分後に食べる味を、今は目で楽しんでいる志保。

 その横顔に、少しだけ視界が固定される。


 綺麗だな。やっぱり。

 見た目に惹かれたわけじゃないけど、魅力を感じなかったわけじゃないんだ。

 いや、そうなると、見た目に惹かれたことにもなるのか。

 はっきりと言えるのは、結局、志保といるのは、楽しい。だから、俺は今、こうして一緒にいる。


「史郎君、どうしたの? 朝倉さんの顔じっと見て」


 その声に、一気に現実に引き戻される。


「えー、史郎。どうしたの?」

「……志保、融けてるぞ」

「えっ、わぁ」


 慌てて崩れかけた部分を舌で舐めとり事なきを得る。


「志保の熱視線に耐えられなかったのだろうな」

「そんなに見てないよ」

「人間に向けたら穴でも開きそうなレベルだったぞ」

「酷いよ、史郎。私が食い意地張ってるみたいじゃん」

「えっ?」

「えっ? 朝倉さん?」

「えっ? 志保さん?」


 ちょうど戻って来た結愛まで戸惑わせた志保は少しむくれたが、ジェラード一口で機嫌を直した。美味しいものは偉大である。


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