新しい朝。
夕飯を食べ終えると、奏は家に戻った。
本気で眠そうだったから、一応家まで送った。隣なのに大げさだなって笑われた。
「あの、先輩」
「ん?」
「泊まっていけとは言いますが。どこで」
「あぁ、俺の部屋使いな」
「先輩の、部屋?」
「あぁ、他の部屋は一応、奏が週一で掃除はしてくれているけど、うーん」
「先輩の、部屋……」
「あぁ、警戒するな。俺はリビングで寝るから安心しろ」
「……あぁ、そうですか。先輩、ですもんね」
「うん?」
「いえ。先輩が純粋に私を心配して泊っていけと言ったのはわかりました。おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
と言っても、疲れと興奮が入り混じって、中途半端に眠い状態。熟睡できるか怪しい。
しばらく、リビングでぼんやりと天井を眺めていた。
これからどうしようかとか、あのメールは、結局誰だったのかとか考えていた。
俺が現れた時の反応を見るに、まず結愛は違う。室長も俺が来ることを期待していなかったようだから違う。
あともう一つの懸念事項。
あの時、志保は間違いなく、任務中の俺を俺だと思った。
否定して、状況の特殊さから、勘違いだと判断してくれたとは思うが。
完全に見抜いたとは、考えにくい。あの状況で、助けに来てくれた人を知り合いに当てはめてしまうのは、ありえない心理状況では無い、と思う。
リビングの扉を開く音、身体を起こす。
「あの、先輩、起きてます、よね」
「ん? トイレなら廊下だぞ」
「それはわかっています」
「飲み物なら好きに飲んで良いぞ」
「ありがとうございます。あの、その」
「ん?」
「もう少し、お話しても、良いですか? 眠れなくて」
「あぁ、良いよ。俺もそんな感じだ」
結愛がソファーの端にちょこんと座る。
結愛の初任務の後を思い出す。あの時は、報告を終えて、しばらく震えて動けなかった結愛の傍にいた。
いや、あの時とは違うけど。結愛は成長した。
普段通りの会話になるよう、ぼんやりと、さりげなく、天井を眺める。
「どうした?」
「その、ありがとうございます。改めて」
「俺が勝手に来て、勝手に侵入して、勝手に助け出しただけだぞ」
「そんな捻くれたこと言わないでくださいよ」
そこで俺は、一つだけ、怒りたいことがあったことを思い出した。
「結愛」
ビクッと、結愛の肩が跳ねる。
伊達に一緒にいたわけじゃない。俺が怒っているのが、わかったのだろう。
「……はい」
「頼れよ」
「……すいません」
ポンと頭に手を乗せて。手入れの行き届いた髪の感触を楽しむ。
「先輩っていうのは後輩を助けるんだよ。俺を先輩って呼ぶんだったら、頼れよ」
「その……言い訳がましいのですが、奏さんの巻き込まないでくださいというのが、頭に残ってまして。奏さんの目の前では、頼み辛くて」
「うん」
「それが、正直な裏の理由です」
「ったく」
最後にしっかりとデコピンだけかまして。
「そんな妙な遠慮をするような奴だったか?」
「わ、私を何だと思っているのですか? 遠慮くらいしますよ」
「それくらい騒がしい方が丁度良いよ。お前は。騒がしくて、ちょくちょく図々しいくらいが」
「私のこと、騒がしくて、図々しいとか思っていたのですか」
「でも、頼りにしてる。大事な後輩だ」
それから、眠くなるまで話した。気がつけば、外が少しだけ明るかった。
組織にいた頃も、こんな風にじっくり話したことは、無かったと思う。
俺が仕事を休んでから、どんな任務をこなしたかとか。最近の志保の様子とか。
俺は俺で、組織から離れることを選んだ時のこととか、普通の中学生として、どういう風に過ごしたとか、そういう話をした。
もっと早く、こういう時間を作れれば良かったと思う。そうすれば、もしかしたら結愛は、最初から志保を助ける時に、連れて行ってくれたかもしれない。
人の気配がして目を開くと、奏が目の前に立っていた。
「おー。おはよう」
起き上がろうとして、何かが身体に絡みついていることに気づく。
「なんだ……?」
首を動かして確認して。
「あぁ、結愛か。おい、朝だぞ」
「んにゅ?」
目を少しだけ開けて、目元を擦り、そのまままた目を閉じてしまう。意外と寝起きが悪いな。
「仲良いね、史郎君。何も無かったのは見ればわかるけど」
「流石だな。奏なら妙な勘違いをしない安心感がある」
「そりゃどうも。もう。ほら、萩野さん、起きて」
「……むぅ」
ほっぺをぷにぷにと突いてみるが、すべすべの肌をこちらが堪能するだけで、意識を少し覚醒させる程度の効果しかない。
「ほら、起きろ」
肩を揺すって、ようやく、身体が起き上がる。
「あぁ、先輩、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
「先輩後輩、揃って朝が弱いね。ほら、顔洗って、朝ごはん食べよ」
「というか、奏、今日休日だろ」
「そうだけど。ほら、一応、萩野さんが泊まっていくのわかっていたし。史郎君、客人の朝ご飯までどうにかできる?」
「微妙なところだな」
「というわけで。はい、私が来ましたとさ」
「ありがとうございます」
「よろしい」
「花音ちゃんと音葉ちゃんは?」
「部活」
「大変だな」
結愛が立ち上がり、ふらふらと風呂場の方に歩いていく。なんか危なっかしい。
順番に水で顔を洗って、目を覚まして。
「おはよう、ございます」
やけに顔の赤い結愛がペコリと頭を下げる。
「おう、改めて、おはよう」
「その、失礼します」
「あ、あぁ」
慌ただしく出て行く結愛を見送って、少しだけ遅れて戻ることにする。
まぁ、あの状況なら、そんな反応になるのも理解はできるし。
その日はそれだけ。
朝食を食べたら結愛が帰って、奏と宿題を片付けて。帰って来た花音ちゃんと音葉ちゃんと夕飯を食べて。のんびり過ごした。
任務明けの、緊張からの開放感に浸りながら過ごした。
週明け、いつも通りの朝。
いつものように奏に起こされ、いつものように奏と家を出て。いつもの道を歩く。
駅のホームで、丁度階段の前の乗り口。
「や、やぁ、史郎」
「ん? 志保か。おはよう」
「おは、おはよう!」
なんか妙なテンションの志保と、文学少女スタイル、でも雰囲気はいつも通りの結愛。しかしすぐに表情を控えめなものに変える。
結局、護衛であると明かすのは、結愛だけにしておいた。
表立って守る結愛と、陰から志保を狙う奴を討つ俺。そのフォーメーションが、一番都合が良いと判断した。
「どうした?」
「ううん。別に」
「具合悪いなら無理をするなよ。倒れられても寝覚めが悪い」
「捻くれた言い方するね、史郎君……。でも、本当に大丈夫?」
「うん。大丈夫」
結局、志保を狙っている組織の情報は殆どわからなかったらしい。
何でも、依頼されたから攫っただけだと。成功報酬として、結構な金を積まれたと。
正直、妙だな、と思う。
惚れ薬。完璧な惚れ薬。需要は大きいだろう。
けれどどうだ。大金を積んでまで、欲しがるものか? ばら撒けば利益は確実だとは思うが、危険を冒してまで手に入れたいものか?
それに、気になることを言っていたらしい。
『死んだはずの人間に依頼された』
『お互い知っている仲の筈なのに、やけに警戒された。
それ自体は、この業界で仕事をする上で間違いじゃないが、あいつならもう少し雑な仕事だった。足がつかないように、必要以上に警戒していた』
『通話した時も、わざわざ代理を立てていた。若い声だった』
なんか、最近どこかで聞いた話に似ている気がするな。
いや良い。今考えるようなことではないだろう。
それに、諜報捜査室ならすぐに突き止めてくれるだろう。
突き止めてくれた時、俺がどうするかは、決めていないけど。
でもまた、何か仕掛けてくるというなら、その時は容赦なく潰そう。




