いってきます。
その日の夜だった。
「史郎君、どうだった? 夕飯」
「あー。美味かったよ」
奏がある程度、テスト前に話し合おうと言って夕飯と、過去の文化祭のパンフレットを持って家に来た。
「とりあえず、被らないようにはしたいよね」
「そうだな」
「どうしよっか」
「何もしないという選択肢は?」
「あるわけないじゃん」
「うーむ」
当たり前ではあるし、我ながら馬鹿なことを言っていることは自覚している。。
「ん? 史郎君?」
奏がスマホを指さした瞬間、着信音が鳴り響く。
ノータイムで掴み取り、すぐに応答する。
それは、結愛が仕事用のスマホで連絡してくる時用の着信音だから。
「どうした?」
「先輩。先輩」
涙声で呼んでくる結愛の声。
「先輩、ごめんなさい」
涙声に紛れて聞こえる音は騒がしく、慌ただしい。
「何があった」
「ごめんなさい、志保さんが、志保さんが」
「落ち着け、何があった。話してみろ」
聞こえる音からはどんな状況かあまり探れない。
わかるのは、結愛が取り乱すような、ヤバい状況ということだけ。
言葉を待つ。その時間が、やけに長く感じて。
聞こえた言葉は、嘘であって欲しい、冗談であって欲しい。そう祈りたくなるようなものだった。
「ごめんなさい。志保さんが、連れ去られました」
「……場所を言え。すぐに行く」
「駅ビルの、隣の、ホテルです」
スマホをポケットに突っ込む。
ここからなら自転車を飛ばせば五分で着く。
「どこに行くの、史郎君」
「話している暇はない」
「でも、史郎君はもう」
「知らねぇよ。元カノか、好きな人か、友達か、よくわからない関係だけど、でも、ヤバいなら助けに行くしかねぇよ」
「ふぅん。朝倉さんに何かあったんだ」
話しながら家を出て。自転車にまたがると、その後ろに奏が乗った。
「何してるんだ」
「私も連れて行ってよ」
「は?」
「史郎君と違って、私はちゃんと友達だから。史郎君と同じ、一般人だし、私」
「……チッ。じゃあこっちだ」
自転車の隣に止められているのは、父親のバイク。
「あれ、史郎君、免許」
「ねぇよ。でも動かせる。無理矢理ついてくるとか言ってるんだから、目を瞑れ」
軽快なエンジン音と共に走り出す。景色が後ろに流れていく。
背中にしがみつく奏から、不安も緊張も感じられない。遠慮なくスピードを上げる。
信号は都合良く全部青。急ぐのを許してくれる。
それでも、遅く感じてしまうのは、やっぱり焦っているからだろう。
ホテルの駐輪場にバイクを止めて入り口の前、結愛を見つける。
「あっ、先輩!」
こちらにちらりと顔を向けて、でもキーボードの上で走る指は止まらない。
「状況は?」
「その、今、協議中です」
「協議中って、警察は?」
「その、あまり頼りたくないそうで」
「それは……」
攫われたのは大企業のご令嬢で、自分たちが護衛していた相手で。
広まったらとんでもないダメージを受けるから、内々に解決してしまいたいと。
法律的にはブラック寄りのグレーゾーンな組織だ。ちょっとしたヘマで潰されかねない。
「ごめんなさい」
結愛が開いていたパソコンを覗き込むが、当然発信機はロスト。イヤホンも外しているということは、盗聴器ももう機能していないのだろう。
「心当たりは?」
「今は、無いです……先輩、その、電話しておいてあれですけど、やっぱり、ここは私たちに任せて、先輩は、その、気にしないでください。それでは、そろそろ捜索部隊に合流しますので。失礼します」
今日二回目、駆けていく結愛を見送る。
「なんだよ。結愛」
なんか、無性に腹が立った。
でも、だからと言って、結愛が協力を拒否した以上、俺にこれ以上、何ができるというのだ。
ポンと肩に置かれた手。苛立ちに任せて払おうとして、でもそれは、奏の手だと気づいて。
目が合った奏が、安心したような顔をしていて。
「史郎君、帰ろ」
「……ああ」
その時は、素直に従った。
それでも、胸のムカつきは、静かに煮え滾っている。
お前にとって、俺は何なんだよ、結愛。
あれだけ復帰して欲しいとか言っておいて。チャンスじゃないか。志保を利用して俺を引っ張り込めよ。
先輩先輩言って無駄に構って来て、今更良い子ぶるなよ。
奏が家に戻り、一人の家。
そんな時に通知を知らせたスマホに飛びついて。メッセージアプリの通知で、霧島からの連絡だと知って、スマホをベッドに投げた。
「なんだよ、こんな時に」
何が、『起きているか?』だよ。
枕の上に落ちたスマホを持ち上げ、「もう寝るつもりだ」と返事してベッドに投げ直す。
どうすれば良い。手が打てない。
奪還作戦を確実に効果的に行うなら今日だ。
それが一番、組織が受けるだろうダメージが少ない。
そして、誘拐した側も一番警戒していない。
「くそっ」
ちらりと浮かんだ策。今から、街中を探し回る。
愚策だが、いや、策とも呼べないものだが、確実だ。
奪還作戦を決行するなら夜中。今から家を出れば、運が良ければ見つけられる可能性がある。
手早く家を出る準備を整える。
見つからなかったから仕方ない。何て言い訳を、明日する気は無い。
絶対に見つけ出す。絶対にだ。
スマホが震える。無視しようと思ったが、結愛の可能性もあるからと素早く取りだす。
件名なし。送り主のアドレスにも心当たり無し。
ただ、そこには、位置情報が貼り付けてあった。
雑居ビルの住所。駅からも中心街からも離れたところに建っている。
「行くしか、無いよな」
特に考えることなく、その結論に至った。
どうせ、当てなんてなんて無いんだ。罠でも突っ込むしかない。
「史郎君、行くの?」
家を出ると、上から声が降ってきた。
見上げると、奏が窓から顔を覗かせている。月明かりに照らされて、急いでいる筈なのに、足は自然と止まった。
「ちょっと待っててね」
その声から十秒と経たず、奏が出てくる。
「……連れて行かないぞ、今度は」
「うん。止めに来た」
「奏に俺を止められるのか?」
「逆に、史郎君に私をどかせるの? ここを通りたくば、私を倒していけと言われて」
それは、俺に仕事から離れよう、そう思わせた時と同じ目をしていた。
優しくて、澄んだ目だ。
奏に、普通の日常を、普通の生き方を、教わったようなもので。
でも、それでも。
「奏。俺に志保を見捨てろというのか?」
「史郎君が行かなくても解決する。私はそう思っている」
「なんだと」
「むしろ、ブランクがある史郎君に、何ができるの?」
奏の言うことは、正しい。正論だ。
突き崩すことが不可能な論陣だ。
正しいだけではない。俺を想い、状況をちゃんと見ていて。分析していて。みんながちゃんと助かることも、考えている。
でも。
「それでも、俺は行くよ」
「どうして?」
「後輩が泣いているんだ。好きな女の子がピンチなんだ。
賢い振りして動かないことが正しいなら、そんな正しさはいらない。目を逸らして見捨てられるような俺なら、死んだ方がマシだ。
奏は、そんな男とずっと一緒にいたいと、思えるか?」
「ふぅん」
鼻を鳴らして、奏は手を振りかぶる。
目を逸らさない。ここで目を逸らすわけにはいかない。今回は、動かされるわけには、いかない。
迫ってくる手を避けない。俺は動かない。
甲高い音が響いて。鋭い痛みが走る。……手加減無しかよ。
「これで許してあげる。史郎君、終わったら、寄ってね。心配かけて。もう」
「起きてる気かよ」
「勿論。明日土曜だし。たまには夜更かししようかなって……いってらっしゃい」
奏は、嬉しそうに笑う。
……帰って来ないわけにはいかないな。早々に済ませなきゃ。
「いってきます」




