だって好きだから。
部屋に入ると、志保と奏は既に紅茶を飲みながら、何か話している様子だった。
「すまん、待たせた」
「ううん。大丈夫。さて。お話ししようか。奏ちゃん」
「待て。志保。俺が言う。奏も、わかっているだろうけどさ。それでも」
「うん。聞かせて。二人の口から」
ふんわりとした笑みと共に、奏からの要望。
二人の口から、か。
志保と顔を見合わせる。頷き合う。
息を一つ吸う。
「俺達」
ちらりと志保を見る。頷く。
「私たち」
頷き合う。
「「付き合っています!」」
「……卒業式の呼びかけじゃないんだから」
「二人の口からって言われたから」
「あーうん。そうだね。うん。確かに、その私の要望は叶えているね」
頭を抑えて、呆れたように苦笑い。
そうして目を閉じて、こめかみを抑えて何かを考えて、息を吐いて。
「おめでとう」
肩を竦めて、奏はそう言った。
「言えるか不安だったけど、ちゃんと言えたや。良かった、私が、友達のこと、ちゃんと祝える人で」
マグカップを持ち上げた手が震えていた。
それでも、一口飲んで、カップを置いた奏は、どこか吹っ切れたように見えた。
「ありがとう。奏」
「私たち、友達だから。嬉しいよ。とても」
奏の笑顔。とても眩しかった。キラキラしていた。
「お、お邪魔しまーす」
「そんな寝起きドッキリみたいな入り方しなくて良いから」
「あっ。奏さん。どうも。お呼ばれしました」
「うん。いらっしゃい」
「妹さんたちは?」
「寝ちゃった。流石に疲れたもんね。濃い一日だったし。こんな元日、なかなか無いと思う」
「頻繁にあったら困りますよ」
今日は史郎先輩が志保さんの家に泊まるから、警備で私が行く必要はない。
まぁでも。警備としてではなく、恋人として、泊っているのだけど。
「さてさて、お泊り会だね。そういえば、もうすぐ誕生日なんでしょ、結愛ちゃん」
「はい。あれ、言いましたっけ?」
「史郎君から聞いたんだ」
「先輩、覚えていてくれたんだ。……休職中、連絡一つ、くれなかったのに、覚えていてくれたんだ」
「凄い、微妙な気持ちしているの、伝わってくるよ」
結愛さん、眼を逸らしながら笑ってる。
肩から下げた泊まり鞄。そこから長方形の箱を取り出す。
「奏さん、チェスのルールはわかりますか?」
「うん。わかるよ」
「ちょっとやりません?」
「良いね」
気がつけば、二時間、ボードと駒と向き合っていた。
「結愛さんは、史郎君のこと」
「好きでしたよ。精神攻撃ですか? わかりきったこと聞かれても困りますよ」
「そっか」
奏さんのクイーンが中央を制圧にかかる。私はビショップを進軍させてそこに対抗する。
「奏さんは、それで良いのですか?」
「……史郎君が選んだことだから。史郎君が幸せなら、それで……」
「幸せで良い、だなんて。史郎先輩を幸せにする。その気概は無いのですか?」
決めにかかろうと奏さんはさらにナイトを進める。私は圧をかけるべくポーンを進める。あと一個進めば、昇格だ。当然、クイーンを選ぶつもり。
「……幸せは、史郎君が選ぶこと」
「奏さんの幸せは?」
「……史郎君が……」
「幸せになること、ですか?」
奏さんの手が止まる。ルークを横に移動して、ポーンの進軍を止めようとしていた。
「他人依存ですね、奏さんの割に」
「史郎君は、他人じゃない」
「他人ですよ」
「結愛さん」
結愛さんの目には、何の感情も見えない。いや、違う。何も見えないんじゃない。
色んなものが混ざり合って、黒くなってしまっているんだ。
「他人じゃなかったら、今頃、私は、こんな気持ちには、なっていませんよ」
奏さんは、私の中に何を見たのだろう。
私は、奏さんに何を見出すのだろう。
震える手。汗が落ちるのが見えた。
奏さんの手が、ポーンの進軍を止めるべく、ルークを横に滑らせた。
「結愛さんは、私に何を望んでいるの?」
「何も望んでもいません。ただ、疑問を呈している。それだけです。チェックです。奏さん、冷静ではありませんね」
「どうだか。冷静じゃないのは結愛さんの方だよ」
ビショップ。私が動かしたビショップ。けれどそれは、私がクイーンのこれ以上の進軍を止めるためのもので。
「あっ」
やっぱり、奏さんは、厄介な人だ。
どうして、そんな風に、笑えるんだ。
吹っ切れたように、どうして、笑えるんだ。
私だって、そうやって笑いたい。
先輩にとっての良いことを、笑いたい。
自分が選ばれなかった、その一点がいつまでもこびり付いて、頭を抑えてしまうんだ。
「チェックメイトだよ。結愛ちゃん」
ビショップが取られ、同時に、ナイトがチェックをかける。
逃げ道はクイーンに防がれ、ビショップが取られたので防ぐ駒も無い。
「これは。失敗失敗」
「ふふっ。詰めが甘い」
「よく言われます」
「それで、どうしますか? チェスで勝った奏さんは、私に何を要求しますか?」
「えっ? これ、そういう勝負だったの?」
「そうですよ。賭けるものの無い勝負に、本気になれませんよ。私は聞きたかった、史郎先輩のこと、どうしてそんな、諦めた風でいられるのか、聞きたいと、戦いながら、思いました」
奏さんは顎に指を当てて考える。
「諦めてないよ。史郎君のことは、きっと諦めきれない。今、ようやくわかったよ。結愛ちゃんに、気づかされた。そのことを、素直に受け入れられた」
「私も、同じです」
それなのに、どうして吹っ切れたように笑えるのか。
なんで、私の中で感情が渦巻いているのか。
抑えるので精一杯だった。
ようやくわかった。任務の時、どうして先輩に対して、容赦なしでいられたのか。
先輩がほんの少し鈍い人だったら、最後、詰んでいたかもしれない。なのに、どうしてそんな難しい手を打てたのか。
任務に本気になっていると、感情の渦巻きを、感じなくて済んでいたから。
奏さん。どうしてそんな笑顔、できるのですか?
私は、それが知りたい。
「でも、志保さんとも結愛さんとも、これからも友達でいたい。みんな、大事なの」
「……それは、嬉しいです」
友達という言葉に、心が、震えた。
「嬉しい、です。嬉しいけど、わかりません。だからって、私は、手放せません」
「うん。私も史郎君への気持ち、手放せないよ。だからね、笑うの。だって考えてみてよ。ずっと好きでいられるって、素敵なことじゃん。好きな人の前で笑っていられないの、嫌じゃん」
「奏さん……」
奏さんの指が、真っ直ぐに私の目元へ伸びて、優しく目尻を拭った。
「私、泣いていますか?」
「ふふっ。大丈夫。私しか見てないから」
「はい」
「史郎君の前では笑っていたい。史郎君の好きな人と……好きな人の好きな人とも、仲良くしていたい。嫌いになりたくない。だって、好きだから。これも私の本心」
「強いですね、奏さんって」
「私は、強くない。みんなが強いから、私も強くありたいって思うの。強く、堂々と、自分にできることを、精一杯やる。みんなが持っている強さを、私も欲しいって、だから、私は、私の本心を全うできるように、したいの」
机を回り込んで、そっと奏さんは、私を抱きしめた。
腕の中で震える結愛ちゃんは、街一つを混乱に陥れたような人には思えなくて。
聞こえる心臓の音は、奏さんの人柄を感じさせる優しさで。
「奏さん、これからも、ずっと、私と仲良く、して欲しいです」
「うん。約束だよ」
「……ニヒッ」
少しだけ距離を空けて、結愛さんはそう言って、心からの笑顔を見せてくれた。
春に咲く花は、きっと、こんな風に咲くんだ。
「そういえば、要求」
「あっ、はい。何でも聞きますよ。萩野結愛は、結構色んなことできるので」
「別に、そんな難しいことじゃないよ。今度、遊びに行こ」
「良いですね」
「あと、とりあえず今晩は、眠くなるまで、おしゃべりしよ」
「はい」




