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失恋しても時間は容赦なく進むものだ。

 「私、史郎君みたいにできないや」


 隣を歩く彼女が唐突にそう言った。

 まるで日常会話のように。昨日読んだ小説の話を切り出すように。

 校門の前、その言葉の意味を、頭ではすぐにわかった。心が理解してくれなかっただけ。

 卒業の別れを惜しむ生徒たちと、それを見守る保護者達。 

 その中に俺達二人だけの世界が、確かにあった。

 彼女は、涙を流す事無く、ただ、悲し気に笑う。

 彼女が辛そうにする理由が、わからない。

 黒く長い髪が春風に揺れる。 


 何を間違えたのだろう。

 言うべき言葉が浮かんでくるのに、それはただ、グルグルと回るだけで。口に出そうとしても、どれを言うべきかわからなくて。

 しがみついて、駄々をこねる。それがかっこ悪い。そんなプライドを語る次元に俺はいない。


「別れよっか」


 予感していた言葉を言われても、ただ、俯いて、下を向くことしかできなくて。

 告げられた終わりに、役立たずになった体。口からは意味を為さない音しかでなくて。


「ありがとう。その、またね」


 彼女はそう言って卒業した。

 別れを惜しむ人の群れの中に、彼女の姿は消えていく。

 ゆっくりと、振り返ることなく歩いていく。もう見ることの無い、中学の制服姿の彼女。瞬きしたら消えてしまいそうな儚さ。でもその子は確かに、俺の隣にいた。

 春の匂いだけが、そこに残った。風が吹いた。雪が舞った。




 「あ、起きた」


 目を開くと、まだ見慣れない幼馴染の奏の顔。少しだけ痛む頭を抑えながら、身体を起こす。

 ひと月前までは、布団を出れば寒かったのに。

 少し散らかった部屋を見回して、再び横になる。


「こら。もう六時過ぎたよ」


 お叱りの声に目も向けず。耳も傾けず、布団を被り直した。


「入学式、昼からだろ」

「でもいい加減、生活習慣調整入れないと。明日から辛いよ」


 そう言いながら、カーテンが開かれる。朝日が埃っぽい部屋を照らした。


「引きこもりを殺す気か」

「目が覚めるでしょ。今日から君は高校生。引きこもり月間は終わりです」


 そう言って、俺の被った布団を引き剥がしにかかる。

 数秒の攻防。結局、全体重をかけた引っ張りには勝てず、俺の身は外界に晒された。

 ちぇ。目が覚めてしまった。仕方がない。


「なぁ、奏。眼鏡は?」

「あー。高校デビュー?」

「いや、俺が聞いているんだが。髪切って染めただけじゃなかったのか」


 長い黒い三つ編み、眼鏡が特徴的だった奏。

 今は肩口で切りそろえられ、薄めの茶髪になっている。

 この春休み、部屋に引きこもり、外界からの全てをシャットアウトしていた俺も、部屋に踏み込んできた奏の変わりようには、思わず何があったのか問い詰めた。


「眼鏡まで取ったらお前、特徴が」

「外に出る時は基本コンタクトにするから」


 奏に続いて部屋を出た。一階のリビング。

 顔を洗って戻ってくると、丁度キッチンでは奏が朝食を盛り付けている。 


「もうすぐ終わるから。新聞でも読んでなよ」

「手伝うよ」

「……ありがと」


 このやり取りは、一年前はできてなかったな。


「あっ……」


 その声と共に奏の体勢が崩れる。盛り付けようと取り出した、積み重ねられた皿がその腕から零れる。

 瞬間、床を蹴る。

 片手で奏を支える。もう片方の手で、皿を空中でキャッチ。取り損ねた皿は足で衝撃を和らげ、割れる事態は避ける。


「気をつけろ」

「あ、ありがとう。意外と重くて驚いちゃった」

「ったく。手伝うって言ったんだから、身長考えろ」

「むっ、史郎君が私を小さいって言った」

「小柄なのは事実だろうが」


 準備はすぐに終わった。

 二人で手を合わせて、一年振りに迎える。奏との食卓。


「悪いな、こんなところまで」

「こんなところって。隣じゃん」


 奏がからかうように笑う。奏の笑顔は、安心する。


「私は楽しいし嬉しいよ。史郎君とご飯食べられるの」

「そうかい」


 イメチェンして踏み込んできたその日、動揺しているところに、「また朝起こしに来ます」宣言をされ、そのまま押し切られる形でお願いしてしまった。

 良いのかな、これで。という迷いと。でもありがたいなと甘えてしまう気持ち。

 いや。俺はもう、気にする相手がいないんだ。それでも気にしてしまうのは、みっともなく未練たらたらで。

 ちらりと頭に浮かぶのはまた今朝の夢。その最後の光景が簡単に頭に浮かぶ。

 慌てて頭を振って追い払った。


「朝倉さんのこと、まだ辛い?」

「むっ……」


 頭が真っ白になった。急に景色が、少しだけ暗くなる。


「そっか。そうだよね。まだ、駄目だよね」

「あっ、いや」

「ごめんごめん」


 どうにか絞り出した言葉に、奏は穏やかに笑って答えた。





 俺の春休みを総括すると、一行で終わる。

 失恋をした。付き合っていた彼女に振られて部屋に引きこもった。

 冷静に考えればわかる。中学生の恋愛が、長続きするわけがないと。


 中二の秋、付き合い始め、クリスマス、バレンタインといった、冬の恋愛イベントを網羅し、受験勉強の苦楽を、同じ高校に入るという目標を共にし。

そして、春休みに入る直前、卒業式の日、俺は別れを告げられた。

 まとめてしまえば、こんなにも簡単なことだった。


 それから、奏が毎日家に通ってきた。毎日ご飯を冷蔵庫の中に用意してくれた。

 色々と、入学のための手続きがある日は、奏は妹まで連れて部屋の前で馬鹿騒ぎして、無理矢理連れ出した。

 放っておけば良いのに、なんて思っていたが。奏は俺を見捨てようとしなかった。


 思えば、奏は何があっても、俺を見捨てる選択を、しなかった。

 俺が、あの仕事をしていた時も、志保を好きになって、情けなくも助けを求めた時も、付き合い始めてからも。振られた時も。

 そのこと自体は、とても嬉しい。けれど。

 いつまでも寄りかかるわけには、いかない。なんて思う。

 奏はずっと支えてくれた。俺を肯定してくれた。

 奏がいなかったら、今の俺はいない。俺の手は、鉄くさい赤に染まっていたと思う。



 入学式はあっさりと終わり、このクラス初のホームルーム。

目の前に座る奏。出席番号の都合上、久遠奏、九重史郎と並ぶのは、あり得ない話では無い。

 自分の列の一番前の奴に目が奪われる。

 あいつならこういうだろうな。


『「あ」から始まる苗字の宿命だよ』って。


 長い髪も、触れたら壊れしまいそうな細い体も。何も変わっていない。

 どこか緊張感漂う教室。その空気感に耐え切れず、窓の外に目を向けた。

 ボーっと雲の流れを眺める。話は聞こえる。制服や体育着の盗難事件があったので気を付けること、とか。校内でのスマホの使用ルールとか。

 ピシっと額を指で弾かれた。


「史郎君。ホームルーム終わったよ」

「友達作りに行けよ。新入生代表」


 こちらにちらちら向いてる視線は、入試点数第一位という栄光にあやかりたい、お近づきになりたいという人のものだ。


「同じクラスだね」

「わざわざ言うことじゃないだろ」

「違うよ。私じゃなくて」


 奏が目を向けた方向には、もう席の持ち主はいなかった。

 あまり積極的に誰かと交流するタイプじゃなかったな。


「帰る」

「じゃ、私も」


 鞄を担いで立ち上がると、奏も慌てて荷物をまとめる。


「あ、あの。久遠さんで良いんだよね」

「ん? 何かな? えっと、奈良崎さん」


 女の子から呼び止められ、奏が立ち止まり、俺も何となく振り返る。背の低い、大人しそうな子だ。

 しかし、もう名前覚えたのか。


「今から親睦会開くんだけど、久遠さんと、そっちの、えっと」

「九重史郎君だよ」

「九重君……うん。二人は来る?」

「いや、俺は行くところあるから」

「えっ、あっ」

「行けよ。奏」

「でも……」


 奏が迷っている間にさっさと歩き出す。勿論、寄る所なんてない。

 今日一日の中で、ようやく一人の時間ができた。

 保護者に連れられて帰る人達の間をすり抜ける。

 入学式は奏の両親に一緒に乗せてきてもらったが、忙しい人たちだ、入学式を見届けてもう仕事に行っている。


 春の匂いがした。嫌いな匂いだ。

 受験を受けるために来た時は気配すらなかった、新入生を祝うアーチのように並ぶ桜が、やけに眩しく見えた。


 駅に向かって歩く。着慣れない制服が煩わしい。何で高校の近くにコンビニが三つもあるのだろう。

 誰とも目を合わせないように速足で歩く。

 そんな俺の前に人影が見える。思わず立ち止まった。

 でもそいつは、何かを感じたのか、振り返る。

 目が合った。ぱちりと瞬きしたのが見えた。

 少し強く吹いた風。雪の代わりに、桜が舞った。


「あっ」


 澄んだ声が聞こえた。


「やぁ、史郎」

「……志保。帰りか?」

「勿論」


 ちゃんと声が出せたことに安心しながら、その横を、通り過ぎる。志保は当たり前のようにその横に並ぶ。


「なんだよ」

「やはは。どうせ目的地は一緒でしょ」

「そうだけどさ……そっちのキャラなんだな」

「史郎には取り繕ったところでねー。……うん、まぁ、気まずいよねぇ」

「お前が言うか」

「やはは」


 少し前までは当たり前の光景。痛みを感じる思い出も、客観的に見れば綺麗なもの。


「クラスメイトだね」

「そうだな」


 駄目だ。邪険にできない。

 志保の顔を見れば、あべこべの感情が心を割く。

 朝倉志保。クラス名簿にその名前を見つけた時、俺は、どんな感情を抱けば良いか、わからなかった。


「また一番前だよ」

「あぁ」

「ねぇ、史郎。相変わらず髪ボサボサなんだね」

「悪いか?」


 志保は、回り込むように俺の前に出て振り返る。

 長い髪が揺れる。風が吹いてたなびく。


「勿体ない。って話」

「どうでも良い」

「そか」


 覗き込むような眼が俺の眼を捕える。

 スッと顔を寄せて、頬に手が伸びる。俺は知っている。志保の手は、冷たくて、すべすべで。肌荒れなんてものを知らなくて。

 もう少しで触れる。慣れ親しんだ感触が、もうすぐ。

 なのに、無意識のうちに、その手を払った。


「あ……ごめん」


 志保は、優しく微笑んでいた。


「また、友達になれると良いね」


 顔を伏せた。

 今前を向いたら、何を言い出してしまうか、わからなかった。

 志保が歩き出す。俺も歩き出す。会話は無い。ただ静かな時間が流れる。

 気まずくなる。そう思ったのに、沈黙は、穏やかで、苦しくなくて。あの時と変わらない、心地の良い沈黙で。

 別れ際も、手を振って別れた。








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